(File35)鎌田正信の殺意④
西村は車掌を連れて、被害者の待つトイレへと戻った。
子どもは蒼白な顔をして倒れ込み、その父親も血の気が引いているようだった。
現在の容態を父親に確認しても、「あー」とか「うー」とかの返事だけで、ショックのため言葉を取り戻せておらず、ただただ声帯を震わせているだけだった。
「まずは呼吸と脈拍の確認を行います。車掌さんは自動体外式除細動器(AED)のある最寄り駅への停車をお願いします。他にもホームまで運ぶ人員の確保も頼みます。私は胸骨圧迫及び人工呼吸を行いますので!」
早口にそう告げると、西村は患者の手首を握った。微弱な拍動ではあるが、それでも脈拍は確認できた。次にハンカチを口元に乗せる。薄く覆った布は、少しずつ鼻からずれ落ちていく。
「呼吸、脈拍ともに薄弱ですが、確認はできました。次に意識の確認に移ります」
いつの間にか増えてきた立ち見の乗客をかき分けながら、車掌は運転席へと戻っていく。
西村はドンドンと強く肩を叩いた。
大丈夫ですか、と耳元で叫ぶが、返事はない。
警察官には人命救助の検定試験が毎年あるが、まさしくそれが活きた瞬間だと西村は思った。
「呼吸、脈拍に異常はありませんが、念のためにAEDは準備させる予定で考えています」
西村はそう父親に向き直る。
「失礼ですが、お子さんは、心臓にペースメーカーを埋めていたり、他にも金属類を体内には入れてはいないでしょうか?」
「ペースメーカー?」
呆けた頭では思考がまとまらないらしく、目をつむったり、開いたりしていたが、
「ペースメーカー、付けてる!」
その父親は目を飛び出さんばかりにして言った。
「うちの息子は生まれつき虚弱体質でよぉ……」
泣き崩れそうになるのを無視して、西村は車両内を移動する。
車掌さんに頼んでAEDの手配をしてもらうつもりだったが、予定が変わった。
この患者にAEDは使えない。
だったらどこでもいいから最寄りの駅に緊急停車するべきだ。
そこに救急車を呼んで適切な処置を講じてもらわなければ。
そうロングシートを横切っていると、南拓実を含めた子ども達が耳を抑えながら、「なんかキンキンする」と言っているのが聞こえてきた。JR横須賀線は首都圏の中でもトンネルが多いため、気圧の差で耳がやられやすいというのは知っているが、この列車の運行ルートにトンネルは含まれてはいない。そのため、ここまで執拗に耳鳴りを訴えてくるのには、何か理由があるのかもしれない。
そしてその理由は、ペースメーカーの子どもが倒れたこととは無関係だろうか。
あの子が具合悪いと言ったとき、南拓実少年も同じようなことを言っていた。
なんだか変なところで符合する点が多い。
ペースメーカーの患者に電波障害。
もしも今回の一連の騒動が仕組まれた罠なのであれば、これは計画殺人ということになるのではないか? しかし、証拠はどうやって集める? 容疑者はどうやって特定する? アリバイがないのは乗客の全員だ。
もしかしたら、鉄道という絶海の孤島で殺人が行われようとしているのではないだろうか?




