(File33)鎌田正信の殺意②
「西村さん、なんか耳鳴りがするんだけど」
南拓実はスマートフォンから顔を上げて、苦言を呈した。
「だから鉄道は嫌なんだけど……」
「おかしいですね。地下鉄でもトンネルに入ったわけでもないのに」
西村はそう首を傾げて、
「大音量でゲームばっかりしているからじゃないですか?」
「はあ? 大人はそうやって、すぐにゲームを否定するけど、ゲーマーの方が複数のタスク処理能力は高いんだよ。ハイ、論破ー!」
「ああ、はい、それでいいですけど」
西村はなかば呆れながら言う。
「ゲームもほどほどにしておかないと、将来の健康状態に影響が出ますよ」
「大丈夫だし。子供用の目薬を持ってるから!」
「だからそういう問題では……」
「ねえ、お父さん。気持ち悪い」
長椅子の隣に座っていた少年が青ざめた顔で父親に訴えている。先程までは靴を脱いで、嬉しそうに、車窓を眺めていたはずなのだが、容態が急変したようだ。「トイレ行きたい」
父親も戸惑いながら、
「うんちか、おしっこか?」
そう聞きながらロングシートから立ち上がった。
「ううん、そういうのじゃない。具合悪い」
「じゃあお父さんもついていくよ」
その父親は網棚からビジネスバッグを取って、列車の振動でふらつきながらも、トイレへと歩いていく。西村はその様子を黙って見届けながらも、近くの座席にいる男性が、奇妙にほくそ笑んでいるのを見逃さなかった。
西村は彼をもっと観察したかったが、
「ようやく耳鳴りが収まった」
南拓実の言葉に注意は削がれてしまった。
少年は耳の穴をほじくりながら、スマートフォンを操作している。
「なんだよ、人騒がせな野郎だな」
それを見ていた東川が茶々を入れた。
「学校にも行かないでケータイばっかりいじってるからだ!」
「は? 学校には行ってますけど。まあ僕にとっては独学の方が効率的なんですけどね」
「将来は引きこもり確定だな」
「それはあなたでしょう?」
「まあまあ、そんなにいがみ合わなくても」
島崎が笑顔でたしなめると2人はムッとした様子でそっぽを向いた。
一陣の殺気を感じたが、気のせいか?
西村は引っ掛かりを覚えながらも列車の揺れに身を委ねた。
そのときだった。
「ん? 西村っち。株式の変動チャートが急に見れなくなったけど、トンネルにでも入ったのか?」
「まさか、窓の外は工業地帯が続いているでしょう」
「西村さん。僕もスマホアプリやってたら、接続できませんってなったんだけど」
「電波の接続障害でしょうか。大手の動画投稿サイトでも似たような事例はありましたから」
実体のない一抹の不安が脳裏をよぎる。
「いや、インターネット全体へのアクセスが制限されている。いきなり圏外になった」
東川は苛立った声を上げる。
「なにか嫌な予感がしますね」
西村は落ち着いてそう応じる。
「とてつもなく不吉な計画が、水面下で進められているような……」
ドンドンドンと、列車の結合部分に設えられた便所から、ただならぬ音がした。西村は一気にそちらへと目線を転じた。
「ああ、ようやく開いた。おい、医者はいねえか!」
先程の父親が血相を変えて叫ぶ。
「息子が、急病で、倒れて、救急車を、早く、頼む」
その異様な光景とは裏腹に、ほとんどの人間は見てみぬ振りを決め込んでいた。西村はコール音を鳴らして電話を耳に当てるが、やはり繋がらない。電波障害はいまだ継続しているようだ。
ケータイ電話の基地局がダメなら、車両用の無線機だ。
普通、列車は駅と連絡を取り合って、運行状況を報告しているから、そこで病人の発生を伝えて、次の停車駅で対応してもらうしかないだろう。
「私は車掌を呼んできます。それまでは無理に患者を動かさないでください!」
西村はそう言って、不安定な車内を駆け出した。




