聖餐
ごめんね。言い訳にしか聞こえないだろうけど、記憶が入って来る前後は、本当に物凄い混乱と不安でごちゃごちゃになってしまうの。
ごめんね、「知らない」なんて言って。
あれから、あなたは私のことを、一度も「ママ」と呼んでない。
他人行儀に「あなた」と言うだけ。
病気がやってきて、認知能力が落ちていく。私はいつも自分が死んだことも気付かない。そして新しく生れたとき、いつもあなたは前より大きくなってる。
いつからだったかしらね。あなたは私を追い越した。それでもあなたの目は、いつも私が知らないと言ってしまったあのときのまま、凍てついてる。
あなたが幸せな結婚を選ばずに、いつまでもパパと暮らしてるのは、きっとママがあなたに、幸せの代わりに家族への絶望の種を植えてしまったからね。
そんな簡単なことも、私の傍らで畑仕事をするあなたの横顔を、随分たくさん見続けてからやっと気がついた。
本当に今度も、目覚めた瞬間に私を殺さなかったあなたを呪ったわ。でも、食べ物を得るために、たくさんの時間を一緒に過ごしてたら、なんだかそんなことどうでもよくなってきたわ。あなたの中に染み込んで消えていくのが、一番正しい形に思えるの。……不思議ね。それとも、LDcマンは、私にも何かを仕掛けたのかしら。
ただ、美味しく食べて。それでいい。
今では、私が覚えている私のママよりも、ずっと老けて見えるあなたが、不幸を背負って年老いていかないように、拘りの全てを、これで忘れてくれますように。
* * *
一口、二口、口にして、味わうように噛みしめてから飲み込んで、それから、ふと思い出したように手を合せて、娘は「いただきます」とつぶやいた。
地獄のような無限ループ。逃げるのではなく、あの子の中に帰りたいのだと言われたときは、僕も驚いた。だけど、今では、一番正しい葬祭のような気さえしている。
僕も君を食べていいのかな。今までずっと、人工羊水に浮かんでいる君を、いつも抱きしめたいと思って眺めていたけど、今回ばかりは、どうやって捌いていけば、血の一滴すら無駄なく、あの子に食べさせてあげることができるか、そればかりを考えてた気がする。
今では豚だって捌けるけど、それでも君を解体するのは生涯一度きり。失敗して、どこか無駄にしてしまったり、最後に苦痛を与えてしまって、肉質が硬くなったりしないよう、僕は学び洗練させてきた技術の全てを注ぎ込んだ。
「パパは……?」
唐突に娘が言った。
「僕もいいのかな?」
「もちろん。パパがお料理してくれたんじゃない」
「いただきます」と、僕も言った。
「ママ……おいしいね」と、娘が笑った。
あの子が、君をママと呼ぶの……、すごく久しぶりに聞いたよ。




