其之零
この小説の其之零以外はダブル主人公で構成されます。
水陰sideと天之sideの二つの視点です。
そして、其之零のみが水陰sideで進みます。
死勇双絵巻其之零
――キーンという甲高い音が頭に響く――
その音に反応して、目を見開く。
暗い夜空に数々の星が彩られている。天井の無いこの場所では、それが唯一の特徴であると言っても過言ではない。そして広大な長方形の部屋の中にはたくさんの若者達が規則正しく整列している。若者の中でも十六歳位というのが正確だろうか。ともあれ、まるで体育館で朝礼時に並ぶ学生のように彼らは列を成していた。
馬鹿らしい。ざっと百人位と推定した水陰満月にとって、それは気持ち悪く感じられた。だが同時に、自分もその列の中に並んでいることに気付く。
この場所に来たのはいつのことだろうか。閉じている目を開いた瞬間、あまりに唐突的にこの場にいたため、記憶が思い出せない。
とりあえず、この列から外れようと水陰は足を動かした。しかし、動くと思っていた足は棒のようにそこに立ったまま。制止していた、金縛りのように。
そこで、やっと理解した。この百人程の若者は皆、好きで並んでいるのではなく、自分と同じように金縛りのようなものを受けて、目を開いた瞬間から、その場を動けなくなっているのだと。
動けない若者達の列の前に一人の男が現れた。鮮やかな赤いマントを背中に付けて、一般感覚からして異様ともいえる色とりどりなデザインから真っ先に思いつくのは、昭和時代に流行ったヒーロー。
水陰は少し昔に流行ったヒーローは知ってため、ヒーロー衣装というものに多少期待の色はあったが、お腹の張った中年程度の男が着ている様子からは、あまりにも残酷な光景としか見てとれない。
お腹にも負けない張りのある声でヒーローの服装をした男は人々に話しかけた。
「ようこそ、ヒーロー諸君。我々は君らが来るのを楽しみに待っていた。いいや、楽しみというのは変か。しかし心待ちにしていたぞ。これから世界を救うヒーロー」
ヒーローと言われているのはたぶん自分たちのことであろうと水陰は思った。だが何故、ヒーロー呼ばわれされているのかは理解できない。少なくとも、水陰は誰かを救う英雄などではなく、英雄に助けられる弱虫である。
幼稚園の頃、小学校の頃、そうした優しい幼馴染の英雄によく水陰は助けられたものだ。周りは無邪気な子供であるのに自分一人だけ大人しく、そして苛められていた。その度に水陰をある英雄は助けてくれた。
それも小学校まで。中学受験して英雄とも別れた彼を守る者は誰もいなく、そこでまた苛められた。孤独に苦しみ、また人を信じることに臆病になり、そして中学の三年間を過ごした。
自分は英雄がいないと何も出来ない臆病者。そう自覚している水陰にとって、あまりヒーローと呼ばれることが喜ばしくなかった。
そう考えている内に気が付くと足が動いていた。他の若者も同様に動いていた。どうやら金縛りのようなものが外れたようだ。
「ヒーロー諸君。君らは抽選の中で見事、選ばれることが出来たんだ。喜びたまえ」
喜んでいる人達は一人もいない。そして雰囲気は静寂の一言だ。気にせずに男は話を進めた。
「君たちには、これから化け物と戦っていくヒーローになってもらう。これまではほとんどの諸君が学生だっただろうが、これからはヒーローにならなければならない。諸君らの右腕に付いたリストバンドがその証だ」
水陰にも右腕にも確かにリストバンドがあった。見る限り、鉄製で出来ている。手首の甲の方には小型の液晶画面が付いていて、画面上には、九つのパネルが表示されていた。
「そのリストバンド、我々は死勇源と呼んでいるそれがあることで、君らは変身してヒーローになれる。――だが、まだパネルにタッチしてはいけないよ」
周りを見ると、百人ばかりいた若者の中の四十人程が、急に消滅した。
途端に水陰の顔に動揺の色が浮かぶ。昔の幼馴染に助けを求める際に発していた表情である。今、その表情が大げさに出ている。
水陰はリストバンドを覗いた。先ほどあった九つのパネル。ストライクアウトのように並んでいるそれの、各パネルには先ほど見ていた画面から若干の変化があった。
各パネルに〈HERO〉と書かれてある人数表示が、先は零だったのが増えている。どのパネルも。
どよめきに包まれていた天井無しの部屋から、聞こえることは無かったが、小さく男はため息を吐いていた。それから話した。
水陰がマイクの存在に気付いたのはその時であった。確かにこれほどの人数のいる中、ざわつかれたらマイクを使わないと、声は聞こえそうにないだろう。
「もう遅いか……。どうやら、気の早いヒーロー達が旅立ってしまったようだ。残念ながら死勇源の説明をしていない今、彼らは食われるだろうが、まぁ仕方ない。ともあれ、君たちには説明しておくことがある。その腕に付いた死勇源のことだ。そこに九つのパネルが表示されている。そのパネルをタッチすると各エリアに自分の体が転送されるのだ。ゆえに、彼らはそのパネルにタッチしたことで転送されたというわけだ。くれぐれも扱いには注意を払ってくれ」
なるほど。好奇心に乗せられずにいて良かった。男のように、水陰は小さいため息を吐いた。こちらのため息は安堵のものだ。
「そして各パネルには〈HERO〉と〈ENEMY〉とあり、それぞれの隣には数字が書かれている。これはそのエリアにいる、ヒーローの数と敵の数を表している。ヒーロー諸君の役目は敵を倒すことだから、敵のいるエリアに向かってくれ。またHP<ヒーローポイント>というものがある。これが零になると、リストバンドが爆発し、手首の脈が切れて最後には死が待っている。初期ポイントは100HPあり、月に一度100HP供給される。またHPは増えることは無い、減るのみだ。減る要素としては、敵に襲われた一般人の死者一人に付き、その敵のいるエリアにいたヒーローはマイナス10HP」
水陰はこの唐突な男の発言についていける気がしないが、話を聞く限りそのルールに逃げ道はあると考えていた。ずる賢い考えだが。
要するに敵のいるエリアではなく、居ないエリアをわざと選択し、転送されればいいのだ。パネルに敵の人数がちゃんと表示されているので、それは可能だ。
「ちなみに、わざと敵のいないエリアを選択すれば、HPは減らないと考える臆病者への対策はされている。敵は月に五日間のみ、そして一日の内に一時間しか出現しない。だからその一ヶ月の内、三日間分、敵の居るエリアに、つまり戦いに参加しないとポイントの有無は関係なしに死勇源は爆発する。自動でヒーロー退場というわけだ」
水陰のような臆病者への対策はとっくにされていた。しかし、水陰はどこか満足げな気持ちでいた。ヒーローと言われるよりも臆病者だと言われる方がお似合いだとそんな、やっと元の自分に戻れたかのような安心感が彼にはしたのだ。
「敵の出現する五日間はランダムに、またどの時間に一時間現れるかも決まっていない。ただ、現れた時間を我々は<ヒーロータイム>と呼んでいる。この一時間のみが、諸君らがヒーローに変身できる時間だからである。ついでにいうと、敵のいるパネルがある今、この時間がヒーロータイムである。もうあと十分ほどしかないんだが」
これから自分はどうなるのだろうか。男の話すことが本当ならば、これからヒーローとして敵を倒す使命を背負うのか。しかし到底、臆病者の水陰に出来そうもない。そして出来なければ、リストバンド<死勇源>が爆発し、死が訪れる。それは絶対に避けなければならない。だけど、自分がヒーローなどできるのか。そして、まだ何故ここに自分がいるのかもよくわかっていない。恐らくは何かしらの方法で男に呼び出されたのだろうが、この非現実的な空間と事実が水陰の不安をどんどん煽り立てている。
若者達の中には動けるようになってから、男の立っている所に殴りかかりにいこうとする者もいたが、そういう者は男の十メートル付近までの所で動きを完全に制止させるのである。先ほど水陰も受けた金縛りだ。
どうやら、男には遠距離にいる人に金縛りをさせる能力があるらしい。男をただ者ではないと判断し、殴りにかかるような真似をしなかったのは正解だと思ったが、端から臆病者の水陰にとってそんな真似するなど最初から考えてはいなかった。
「変身の仕方は、死勇源の液晶画面自体のパネルを右回りに回すことだ。反対に、左回りで変身を解除できる」
水陰は右腕の死勇源を見た。液晶画面が回転する為の可動空間は確かにある。これを右に回すと変身できるらしい。昔に水陰の見ていたヒーローものとそっくり変身機能まであることが、馬鹿らしい。
しかし、男の金縛りの能力を見てしまった以上、妙に信じられるのが不思議だ。人は自分の見てきた概念が崩された時に信じてしまうという、占いや詐欺の手法とそっくりである。だが分かっていても、水陰は変身できることを信じて疑わなかった。やはり、占いや詐欺の手法は恐ろしい。
「今回限り、私が諸君らを敵のエリアに自動転送する。ヒーロー諸君、多くの一般人の命を救い、HPを稼いで最高のヒーローとなってくれ」
その瞬間、男の姿も半数近くいた若者達の姿も水陰の目の前から消えた。そして彼自信もその場から消える。
――キーンという甲高い音が頭に響く――
目を開いた時には、というよりも意識がはっきりとあって、まだ目を瞑った状態の時。五感の中で最初に刺激を受けたのは嗅覚だった。とてつもない異臭に反射的に水陰は鼻を摘んだ。
次に視覚の刺激だ。目を開けると視界には沢山の肉片が映る。そして思わず退き尻餅をついてしまうと地面についた手からは生ぬるい感触がする。それは触覚から伝わる刺激の通り、血であった。
肉片と血の周りには水陰と同じく転送されてきた若者達が、水陰と全く同じ反応を取っている。違うのは皆、背中にマントを着せ、手には何やら武器のような物を持っていることだ。想像はつく。変身しているのだ。
そして最後に聴覚の刺激。先ほどから聞こえるムシャムシャと何かをかみ砕いている音。骨が砕かれている音にも似るそれを辿った先には、何か謎の生物がいた。
そして、人間を食っていた。
右回しで高速回転で回った液晶画面。次の瞬間、液晶画面は死勇源ごと、姿を変えた。一瞬、体中を紺色の光が包み込み、後にその光が分散して消える。背中には紺色のマント、右手には短めの剣が握られていた。両刃で鍔の付いたものだ。あまり重くはない。
自分の体をじろじろ見るというのはおかしなものだが、水陰はまさに今、それをしていた。そして少しばかり感動に浸っていた。
謎の怪物の姿は三メートル程で、水陰からは見上げる形だった。目つきは鋭く、髪の毛は長髪であまりの長さに片目は隠れている。そして何より特徴があるのは不気味な紫の色をした翼が背中から生え、空中に飛んでいるといことである。
怪物は次から次へどんどん人間を食っていく。ヒーローに変身していた若者達は、その怪物と戦っていたが、その内、何人かが怪物の歯によって体を砕かれている。怪物は空中で移動しながら、降下してきて人間を掴み、空中で食うというのを繰り返していた。その為、最初はその怪物の存在に気付かなかった。そして気付いた今、水陰に残された行動はただ一つである。
逃げること。
臆病者には戦うことなんか出来ない。ヒーローなんかでなくていい。怪物に背中を向けて走って逃げながらそんな事を考えていた。
風を切る音が聞こえて後ろを振り向くと、水陰の背後百メートル先に怪物がいた。とっくに千メートルは離れたと思っていたが、人間を食いまくる怪物の、次に決めた餌食が水陰になってしまったのだろう。なんて不幸なのだろうか。
そもそも金縛りを使える能力の男は、諸君らは抽選で選ばれたと言ったのを水陰は覚えている。だったら、それ自体がすでに不幸である。
風を切る音は段々と大きくなる。後ろを見ると、残り二十メートルもない所に怪物はいた。
もう無理だ。水陰は英雄なんかじゃない。この状況から英雄に救ってほしいのは彼自身である。完全な絶望を浮かべ、彼の脳裏に浮かんできたのはかつての幼なじみの顔だった。同じく英雄の顔でもある。
だが、この状況で英雄が助けにやってくることは無いだろう。先の怪物との二十メートルという距離は、足から地面までの距離へといつの間にか変わっていた。
つまり水陰は宙に浮かんでいた。怪物の大きな手のひらで胴体を掴まれて。抵抗して空中から落下したら死ぬだろう。もしくは、抵抗せずに空中で怪物に食われるかのどちらかである。
だから水陰には決断出来なかった。英雄ならここで決断して、万事休すの危機を乗り越えるが水陰にそれは無理であった。よって彼は素直に諦めることにした。英雄になることを。
そして、一生涯の人生を。
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