一話
窓から差し込む日差しに包まれ、ゆっくりと双眸を開ける。
もしかしたら昨夜のことは夢ではないのかと淡い期待を抱いていたが、それはことごとく打ち消された。
目の前に広がるのは、眠りにつく前に見た天井。少しの家具しかない殺風景といえる部屋。
夏梨は重いため息をつきながら、体を起こす。
「朝……」
窓からは暖かな朝の日差しが、外からは鳥のさえずりが聞こえる。
のろのろと布団をたたみ、押入れに入れる。そして畳の上に座り、またそっと息を吐いた。
「逃げよう……かな」
殺されることはないと、昨日言われた。しかし、果たして本当なのだろうか。
生け贄というからには、それなりのことをするということ。今殺さないにしても、いずれ殺されるのではないか。
だったら、今のうちに逃げて、さっさと帰ってしまった方がいい。夏梨はこの村の者ではないのだから、こんなことに巻き込まれる言われはない。
「っ――!!」
夏梨が腰を浮かせた直後、音もなく鮮やかな色で描かれた桜の襖が開いた。
そして部屋の前に立っている男は、じっと夏梨を見下ろしている。
「り、凛」
凛はすっと目を細め、首をひねり廊下を見る。
「飯の時間だ」
その言葉と同時に、風に乗ってふわりと暖かな香りが鼻腔をくすぐる。
「あ、ありがとう」
その言葉に凛が一瞬目を見開いたような気もしたが、気にせず立ち上がり襖へと向かう。
「……お前、逃げないのか?」
「え……?」
「殺されないと言われたからか?……それなら」
夏梨が言葉を発せようとした瞬間、視界が大きくぐらついた。
背中に硬いものがぶつかり、肩に痛みが広がる。息を呑み、とっさに瞑った目を開ける。
「それなら、見当違いもいいところだ」
夏梨の首を絞めるような形で手を置きながら、酷く歪に笑う。引き寄せられそうなほど綺麗な淡い緑色の目は、鋭く細められている。
恐怖心が出てきたのにもかかわらず、夏梨は身動き一つできなかった。
「昔は殺さなかったみたいだが、俺は違う」
ぐっと、首に当てられている手に力が入る。
「っ……」
「お前は俺に捧げられた生け贄だ。殺すか殺さないかは、俺の自由だ」
ゆっくりと、細い首に凛の指がめり込んでいく。
「ぅ……」
喉を圧迫され、息がつまる。
「お前は生け贄だ。殺されるのは当たり前だろ」
目の前に広がる歪な笑みが、少し変わった気がした。
不思議に思い、凛が見つめている手に夏梨も視線を落とす。
「お止めください」
静かな、丁寧な声が聞こえた。視線を移した手には、声の主の手が乗っていた。
「……梶」
静かに佇む男に睨みつけ、夏梨の首を掴んでいた手を放す。
「何をしているのですか、凛様」
「こっちの台詞だ、梶」
「私はただ、朝食が冷めてしまいますので凛様と……夏梨様をお呼びに来ただけです」
急に流れ込んだ酸素に咳き込み、膝をついている夏梨の背中をそっと撫でる。
「っ……あの、だい、じょうぶです」
夏梨は胸を押さえ、梶と呼ばれる男に視線を移す。
そこにいる凛とは違う黒髪で、黒い着物を着ており、歳は三十歳くらいだろうか。けれど年老いた印象はなく、凛と同じように整った顔立ちだった。
「凛様……!」
凛を呼ぶ梶の声にはっとし、首をひねると凛が部屋を出て行くのが見えた。
「……申し訳ございません」
「え?」
突然頭を下げられ、謝罪の意味も分からず首を傾げる。
そんな夏梨を見て梶は苦笑し、凛の遠くなる後姿を見つめ口を開く。
「あなた様……夏梨様は殺されません」
「……それは、昔もそうだったから、ですか?」
「それもあります。ですが……」
梶は言葉を濁し、口を閉ざした。
何か言いにくいことでもあるのだろうか。夏梨は小首をかしげる。
「朝食が冷めてしまいますね、行きましょう」
にっこりと梶が微笑んだと同時に、腹が空腹を告げた。