六話
長い廊下を進んでいくと、左手に折れた先に桜が描かれた襖があった。
狐はその襖を遠慮なく開け、部屋へ入るなり夏梨に向き直る。
「ここがお前の部屋だ、好きに使え」
ぶっきらぼうにそう言い放つ。
部屋の中は大広間より狭かったが、それでも十分な広さと言える。可愛らしい小さな机に、タンス、押入れの中には布団が一組入っていた。
「村人も、打つ手がなくなったからと、娘を生け贄にするとはな」
どこか嘲笑まじりなその笑みを、狐は窓から外に向けていた。
「あ、あのっ、私――!!」
「大丈夫だよ」
夏梨の言葉を遮るように、陸斗が口を開いた。
「大丈夫だよ、殺したりしないから」
ふわりと微笑むその姿は、実に可愛らしかった。そして海斗が、内緒話をするかのように、そっと言葉をつむぐ。
「昔もね、あったんだ。一度だけ……女の子が、生け贄にされたこと」
「えっ……」
驚く夏梨に、海斗は笑ってみせる。
「でも、殺さなかったんだ。その時の狐は。だから、大丈夫だよ」
戸惑いながらも小さく頷く夏梨を見て、満足げに海斗は笑う。
「行くぞ」
今まで黙っていた狐が、話が終わる時を見計らったかのように双子に声をかける。
「はーい、じゃあまた後でね……えっと」
「え、あ……あ、浅野夏梨です」
「夏梨?じゃあ夏梨、またね!」
「またね~」
手を振る双子を一瞥し、狐が歩き出そうとした時、夏梨はとっさに服の裾を掴んでいた。
じろりと睨む狐を見て、居住まいを正しながらも口を開く。
「名前……」
ぎゅっと裾を掴む手に力をいれ、顔を上げる。
「名前、なんて言うの?」
狐は夏梨を凝視し、掴まれている裾を引っ張り、手を離させまた歩き出す。
「……凛」
小さな声で、けれど夏梨の耳にははっきり聞こえた。
三人が去った部屋の中で、小さくその名を呟いた。
自室と与えられた部屋にある丸い形をしている窓から、月明かりが見える。
夏梨は天井を見つめたまま微動だにしない。
夕食の時間になったとき、双子のお付きが迎えに来た。出された食事は驚くほどまともで、和食中心だった。
相変わらずの仏頂面で、黙々と箸を動かす凛。楽しそうに話す双子。そんな様子を戸惑いながらも見つめる夏梨。
微妙な空気の中、食事の時間は過ぎていった。
「なんで……」
数時間前のことを思い出し、そっと息を吐く。
「なんで……こんなことに」
ゆっくりと閉じていた双眸を開き、体を起こす。そして、どこか休まる場所はないかと思い襖を開け廊下に出る。
部屋の中が休めないわけではない、けれどどこか落ち着かないのだ。
しばらく廊下を進み、右手に進んでいくと、ふわりと風が頬を撫でた。
視線を動かすと、そこには真っ赤な紅葉がいくつもある開放された庭があった。
「縁側……?」
戸惑いながらもそっと腰かけ、そして気付く。
四角い石の上に、下駄が置いてあるのが見えた。夏梨の足より大きいそれは、すぐに凛のものだと分かった。この庭も、凛が手入れしているのだろうか。小奇麗にされた庭を眺め、そんなことが思考をよぎった。
ふわりと頬を撫でる風は心地よく、気持ちを徐々に落ち着かせる。
真っ暗な空に輝く月は、夏梨を照らしているようで、自然と頬が緩んでいく。
「夢、見てるみたい」
そんなことを呟き、双眸を閉じた。
旅行と称してきたこの村。なのに突然狐と名乗る少年が現れ、生け贄なのだといわれ、そんなことは本当に夢だと思った。夢だと思いたかった。
携帯電話を使って、連絡しようかとも思ったが、生憎荷物は全て旅館においてきたのだ。
それほど遠くには行かないだろうと思い、身一つでここに来てしまった。
自分はこれからどうなるのか、分からない。殺されるのだろうか、とぼんやり考える。
夏梨を優しく照らす月が、妙に遠く感じた。