四話
ゆっくりと、庭の絨毯となった紅葉の上を歩く。
足には、梶に用意してもらった赤い緒のついた下駄。
地面を噛み締めるように歩き、ふいに足を止めた。
「凛……?」
からりと下駄の音がし、振り返った視線の先には凛がいた。
「お前……」
なぜここにいる、と夏梨を睨む。
「あ、あの、ここ落ち着くから好き!!」
睨まれた瞬間、まるで反射のように言葉を口走った。
凛は目を見開き、夏梨を凝視し、またその夏梨も自分がとった行動が理解できない。
「え、えっと……この庭って、凛が手入れしてるんだよね?」
ちらりと整えられた、手の込んだ花々を見る。
凛はそっと双眸を閉じ、舌打ちしそうなくらいの険しい表情でつぶやいた。
「……梶か」
梶がこの目の前の少女、夏梨に余計なことを言ったのだろう。
余計なことをする、と心の中で毒つきながら、体を反転させた。
「え、どこ行くの!?」
今来たところを引き返そうとする凛に、慌てて声をかける。
凛はこの庭に来たのだ。何か用事があったのだろう。
それが自分のせいで出来なくなってしまったのなら、申し訳ないと思った。
「別に……庭、気に入ったか」
背を向けたまま問いかけられる。
「う、うんっ」
夏梨の答えに少し間を空け、口を開いた。
「……そうか」
また凛が歩き出し、屋敷の中へと消えていった。
あの言葉に、柔らかな印象を持ったのは気のせいだったのだろうか。
そして途端に、息苦しくなった。知らずに緊張していたのだ。
朝、自分は殺されかけた。先ほどまで目の前にいた狐に。
日常生活で殺されかけたことなど普通はないだろう。故に、恐怖心が夏梨を支配する。
「……狐?」
ぐるぐると恐怖が体を駆け巡っていたとき、不意に疑問が浮かんだ。
昔は自分のように生け贄に捧げられた娘がいたという。
ならば、何故その娘は殺されなかったのか。単に、その時の狐の気分だったのかもしれないが。
そもそも狐とは、なんなのか。
「梶さんに聞いてみようかな」
もしかすれば、自分が殺されないようになるかもしれない。
下駄を元の位置に戻し、廊下を歩く。けれど、一向に梶の姿が見えず、広い屋敷の中を歩き回っていた。
幾度も入り組んだ廊下を曲がり、視線を彷徨わせる。
「なに、あれ?蔵……?」
右手にある窓から覗くのは、大きく古ぼけた蔵だった。しかし貯蔵庫のようにも見える。
蔵はしっかりとしていて、屋敷の外れに構えるそれは、どん、とそこに居座っているようだ。
なんとなく興味を引かれた夏梨は、外に出られるところを探す。
そして裏出口らしきものを見つけ、ゆるりと蔵へ近づき、視線を仰ぐ。
「あ……」
蔵の扉は大きく、ひとりでは開けられないと思った。そして、鍵がついているだろうとも。
けれど、そっと押しただけであっさりと扉は開いた。
ぎい、と音を立て、扉が開く。
開け放たれた蔵の中は、驚くほど何もない。ところどころに何かの残りのような物があり、床は軋んでいる。
夏梨が足を踏み出すたびに床は軋み、その音にびくりと肩を揺らした。
端のほうで夏梨はしゃがみ、そっと手を伸ばす。
切れ端の布のような物が、埃に被って白く変わっていた。
蔵の中にはいくつもの箱があり、とても丁寧に扱われているのが分かる。けれど、今はもう使われていないのだろう。
この蔵自体も、最近出入りのあった形跡はない。
「もしかして、捧げ物の……?」
昔はここに村人たちから捧げられた物が保管してあったのか。
夏梨は視線を移動させ、ぐるりと見渡す。
そして、またしても疑問が浮かぶ。
確かではないが、“昔はここに村人たちからの捧げ物が置いてあった”のだ。
では、“今は”どうなのだろう。
あの狐――凛にも、なにかあるのだろうか。
自分と同じように、何か過去に、現在になんらかのことが――。
夏梨は虚空を見据え、息を吐き出す。
小さな小窓から、夕日の暖かな光が差し込んでいた。