表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
beat bite beside bind!  作者: alIsa


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/7

その3

 翌朝、いつものように朝日が木々の隙間から巣をうかがうと、クモはすでに目覚めていました。彼は一晩中腹の具合が優れずに、浅い眠りを繰り返していたのです。腹を満たすためにやむを得ずかじった雑草がよくなかったのでしょう。毒々しいまでに濃い緑色をした小さな草でしたが、あれも今後は口にしないようにしようと彼は心に決めたのでした。

 昨日と同様、巣には羽虫一匹もかかっていませんでした。その巣にはいつどこから湧いてきたのかも知れない露の珠が、その数と同じだけの陽光を輝かしながら、木になった果物のようにあちこちぶら下がり、糸の平面模様を立体の塑像へと変形させています。どうやら水滴が引っかかったらしいな、とクモは自嘲しましたが、内心助かった思いでいっぱいでした。夜中から喉が渇いてしかたなかったのです。

 彼が一歩進むと、その弱い力にもかかわらず糸は振動を正確に伝え、水滴を揺らします。それが連続すると、露はまるで踊っているかのように糸の下を跳ね回るのでした。そのようにして彼は目を楽しませていましたが、渇きを思い出して手近な果実の一つへ糸の枝越しに口をつけました。薄い膜を破った感触の後に、水滴は柔軟に形を変えてスルリと口に寄生し、牙と毛を包んで湿らせました。大気の卵が熱と渇きと癒し、体内を朝の爽やかさで満たしていきます。クモが体を震わせるにつれて露は次第に小さくなり、やがて見えなくなりました。

 一滴飲み干してもまだ物足りませんでしたが、安堵が勝って彼はその場に座りこみました。なんだか体調も少し良くなっているような気がします、これなら昼過ぎにはまた探索に行けるでしょう。そのように一日の予定を考えながら光の珠を見ていると、不意に昨日のメスグモのことが思い出されました。彼女も毎朝このように朝露を飲んでいるのだろうか、と。あの生死を揺さぶる口が脳裏をよぎり、いい具合に冷えていたクモの体をまた熱くしました。

 やろうと思えばできたんだ!と頭の中がいっぱいになり、消化不良のことなどすっかり忘れた様子で彼は糸の上を忙しくなく歩き出しました。そして目についた水滴を手あたり次第、思考を埋め尽くすあの唇を陽光の反射に重ねながら、深くキスするかのように吸い上げていったのでした。

 太陽が中天にかかる頃、クモは水ぼったい腹を地面にこすりながら探索に出発しました。体調は悪いどころかすこぶる良好で、全身の感覚が過敏なまでに澄んでいるような気がします。熱狂的な高揚感が思考を支配していて、楽しくてたまらないという様子でした。今日の目的もエサとミツバチを見つけることでしたが、ひょっとするとあのメスグモにまた会うかもしれないという期待ばかりが膨らみます。

「また会おうと確かに言っていた、俺のものになりたがっていた、確実に……」

 飢えた獣のようにギラギラギョロギョロと、彼は人目を避けつつ木陰へと潜っていきました。

 さて、昨日の苦労が嘘みたいに、蜂はあっさりと見つかりました。お堂にさしかかった時、なにやら重機のような重苦しい音が近づいたり遠ざかったりして聞こえてきたので、もしやと思って見上げた先にいたのです。

 お堂にまだらな影を落とす木々の一つ、雑々と茂った葉叢の内へ外へ、火花のような鋭い孤を描きながら出たり入ったり飛び回っています。小さい体に黄と黒のストライプをきっちり着こなしたその姿は、まぎれもなくミツバチでしょう。クモはこの幸運を喜びましたが、それと同時に、目的の一つが思ったよりずっと早く達成されたことを残念がりました、ほんの一瞬ですが無視しようとさえ考えたほどです。

「やぁどうも、ミツバチさん!何をやってるんだい、かくれんぼ?」

 そのように彼は友好的に呼びかけました。本当に仲良くなれるだろうかという不安はいくらかありましたが、母のやり方を見ていたのだしきっとうまくいくだろうという楽観的な考えが多くを占めていました。蜂はクモに気づいてもしばらくは忙しそうに木の周りを飛び回っていましたが、やがて彼の近くに下りてきて挨拶しました。

「どうも失礼しました、繁忙期でしてね。新しい巣を作るための下見をやっている最中で、それであちらへこちらへと……」ミチバチは真面目で働き者ですが、根はおしゃべり好きの社交家ですから、話したくってたまらなかったのでしょう、ため込んだものを吐き出すようにまくしたてます。

 クモの方はといえば、母のやっていたように、蜂の話を丁寧に聞き、意味のない相槌を返します。大切なのは好きなだけしゃべらせてやること、質問で遮るなどもってのほかです。

「ただでさえ忙しいっていうのに、うちの女王様はかなりの気分屋でさらに癇癪持ちと来ていますから、もう大変ですよ。つい先日も、初夏の夜気を飲みたいだなんて言い出して……台風の真っ最中ですよ、無理に決まってるじゃないですか!あの方は外のことを何にも知らないんですよ。

 それでもどうにかしなきゃいけないってんで、もうてんやわんやで、結局同僚の一匹がその役目を全部押しつけられる形になったんですが、彼はもう丸一日帰ってません、あの方の気分が変わるまで雲隠れでもするつもりなんでしょうが……。

 でも気がかりがあって、彼女は確かに気分屋なんですが、どうも執念深いというか、嫉妬深いというか、そういうところがあって、部下たちが自分にどれだけ尽くしてくれたかだけはしっかり覚えてるんですよね。だからもしあの哀れな蜂が何日も巣をほったらかしにして、その上手ぶらで帰ってきたらと思うと……ああ恐ろしい、彼だけじゃなく、私たちの首まで飛んでしまうかも!

 そうだ、話は変わりますがね、クモさん。どこか花のいっぱい咲いている場所を知りませんか?先日の台風のせいで、よく行く花壇や花畑は軒並みダメになってしまっていて困ってるんですよ。クモさんは花の近くに巣を作ることもあるでしょうし、どこか穴場を知ってるんじゃありせんか?もちろんタダでとは言いません、交渉ですからね、私も最近見つけた穴場、大きなハエがブンブン飛んでる場所ですよ、そこをお教えいたしましょう。」

 勢いに押されて呆然としていたクモは、軽はずみに何も考えず、相槌の延長で、いや知らないな、と答えてしまいました。それを聞いたミツバチは明らかに興味を失った目になって彼を見下しました。これはしくじったと思ったのか、クモはどうにか気を引こうと切り出しました。

「ところで、俺はこの近所に巣を張ってるんだ。あんた新しい巣を作ってるんだろ?何か参考になるかもしれないし、よかったら見に来なよ。」

「お言葉はありがたいのですが、」ミツバチは礼儀正しく慇懃に答えます。「先ほど申し上げたように今は大変忙しい時期でして、今日だって下見が終わったらすぐ帰らなければならないのです。本当に大忙し……女王様のお世話一つとっても言い尽くせないくらいやることがあって……私も気晴らしがてら、あなたの傑作を拝見したいのですが、どうもなかなか……。すみませんが、またの機会にぜひ。」

 彼はできうる限りの丁重さでクモの誘いを断りました。こんな世間知らずのクモに対してなら過剰すぎるくらいです。しかしその丁重さがかえってこの小さなクモの感情を刺激しました。無関心で冷ややかな目、それと対照的に心を尽くした断りの文句。

 クモは思いました。『コイツ、俺のことを馬鹿にしてやがる!俺を坊やだと思って真面目に取り合わないつもりだ、「お前の作った巣なんて、どうせ不格好でエモノが素通りできるくらいお粗末なものだろう」とでも言いたげな顔じゃないか!』その心中は今にも飛びかからんばかりの猛りぶりでしたが、彼がその場から動くことはありませんでした。分別があったというより、勇気がなかったのです。

「それでは失礼します。」と蜂は去りかけましたが、とどまって付け加えます。「これはアドバイスであって、つまり友好の証として言わせていただくのであって、だから決して悪いように受け取ってほしくないのですが……、この世界で生き抜くつもりなら交渉材料もなしに他者へ話しかけるべきではありませんよ。あなただってそうでしょうけど、皆暇じゃないのですから。」

 そうしてミツバチは飛び去っていきました。クモはあまりにも腹が立って、意味もなく地面に牙を立てながら頭の中であの蜂をケチョンケチョンにしてやりました。あのロボット野郎め、まずお前のケツからご自慢の針を引っこ抜いて、そこからあの下品な毒を全部吸い取ってやる、とか考えていたのですが、もう我慢ならなくなって叫びました。

「こっちからお断りだ!テメェら働き蜂なんて、みんなメスの奴隷じゃないか、メス相手にへえこらへこへこ頭と腰を振っちゃってさ!情けない!こっちは自分よりデカいメスをあっという間に手籠めにしてやったんだぞ!お前みたいなのに俺の巣の、糸の偉さが分かるもんか!」

 思いつくまま体力の限り、もうそこにいない蜂を罵倒しましたが、苛立ちは収まりませんでした、それどころかさらに胸糞悪くなっていきます。自分があの蜂に敵わないということを本能的に察していたからでしょう、全て負け惜しみのように聞こえるのでした。もう日も暮れそうなので、クモはやり切れないまま住処へと引き返していきました。

 いつの間にか空を覆っていた分厚い雲が、落日の光を遮っています。クモは悔しさを抱いて帰路を進みながら、なぜエモノがちっともかからないのかあれこれ思い悩んでいました。張る場所が悪かったのか、角度が悪かったのか、小さすぎたのか、糸が細すぎたのか、そもそも自分の体質がダメなんじゃないか、才能がないんじゃないか……。

 神経が高ぶっているときは、悪い思考も極端になってしまうものです。実際には贔屓目抜きにしても、彼の糸も巣もそれほど悪いものではありませんでした、むしろ上等と言えるでしょう。つまるところ、めぐりあわせの問題なのです。ここ数日はたまたま虫がかからなかった、そう諦めてどっしりと構えておけばいいのです。うじうじ悩んで早まった行動を起こしたり、肝心な機会を逃してしまったりしては元も子もありませんから。あらゆる結果を自分の力量や能力と結びつけて考えてしまうのは、未熟さゆえのおごりなのです。

 雨を予感させる冷たい風としっとりとした土に触れて歩くうちに、彼は少しずつ冷静さを取り戻していきました。それから、焦っても仕方ない、もう少し様子を見よう、もしかしたら明日は入れ食いかもしれないぞ、と物事を現実的に受け止められるようになる頃には住処のすぐそこまで来ていました。

 巣の見えるところまで来ると、諦めの敷き詰められた思考に淡い期待が差しこみ、気になるけど見たくない、そんな気持ちでこわごわと巣を一瞥せずにはいられませんでした。彼はすぐに目をそらしました、しかしその一瞬で捉えたものに驚いて、今度は凝視しました。曇天の下、目を凝らさなければ分からないほど細く薄い糸でできた巣が、鈍い光を受けて弱弱しく輝いています。その巣、おのが血肉に等しい自慢の巣の中央に、緑色の虫が二匹モゾモゾと動いているではありませんか。

 クモは全身の浮くような心地で巣へと近寄っていきました。近づくにつれてその虫の輪郭がはっきりとします、若草のような緑色、角ばった縦長の楕円、細長い触角、不愉快な音を鳴らす羽、気色悪い黒斑点。強烈な臭気を発して鳥も捕食したがらない、そしてそのことを誇りにしている勘違い屋で厚顔無恥の徒、あらゆる虫たちの嫌われ者。巣にかかっていたのはカメムシでした。

 彼はあの虫を見ると例の反吐並の臭いを思い出し、空腹どころではなくなりました。忌まわしいその虫のことは、克明に記憶しています。数カ月前、まだ母のもとにいた時、憎きこの虫けらが巣に飛び込んできたのです。そこからはもう地獄でした。カメムシは罠にはめられたとでも言いたげに必死で羽をブンブン唸らせてはスモッグをプンプン振り撒き、それに怒り狂った母は暴れて巣をさらに揺らし、この息子グモは激臭と恐怖で気を失ってしまったのでした。兄弟の何匹かもこの大事件の中で命を落としました。

 ある意味においては鳥よりも天敵、軽蔑すべき天敵ですが、そのようなやつが命と同じくらい大事な巣に、二匹も、引っかかっていたのです。それに加えて彼の憎悪に薪をくべたのは、二匹の愚か者がまるで被害者のような顔をしていることでした。一匹がもう一匹に覆いかぶさる体勢で巣にくっついているのですが、求愛行動でもしていたのでしょうか、そんな二匹がそろってクモの方を見て、これはお前の仕業かと非難の色を浮かべているのでした。

 こうなってしまってはもうどうしようもありません、巣を取り返す手立てはないのです。カメムシは時折羽を開いて暴れますが、巣を揺らすだけで脱出はできそうにありません。クモ自身が巣から払い落とすことも不可能です、母にもできなかったことがどうして彼にできましょうか、彼もそれを理解していました。どうしようもありません、かつて母がやったように巣を見捨てるしかなくなったのです。

 クモはもうわけが分からなくなり、巣を見上げてうろうろしていましたが、突然低く唸ったかと思うとその場に突っ伏してしまいました。台風のような天災に巣を壊されるのはまだ我慢できました、ですが自分と同じ虫に、それも心底嫌悪し見下している虫に台無しにされるのは納得いきませんでした。何か猛烈な悪意が自分に害をなそうとこのチンケな虫を差し向けたのではないか、という病的な思考に陥りかけたほどです。

 結合したままのカメムシ二匹は、脱出を諦めたのか静かになって、このクモちょっと変なんじゃないか?的な視線を交し合っているのでした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ