その2
さて、丸一日経ちましたが、クモの巣は張りたて同然で、ホコリ一つ付いていませんでした。台風が羽虫をも吹き飛ばしてしまったのでしょうか?巣の上でのんびりアンニュイしていたクモもさすがに空腹を覚えました、先の台風から食事にありついていないこともあるでしょう。そういうわけで、ゆらゆらと心地よいハンモックから渋々降りて、地上でエサを探すことにしたのでした。
エサといっても、何も狩りをするわけではありません。そのためにはこのクモは、あまりにも小さすぎます。彼は小指の爪ほどの大きさしかなくて足も短い、背中に二本の白い線の入ったクモで、部屋にいたらそっと捕まえて逃がしてあげたくなるくらい、かわいらしいサイズのクモなのです。彼にとっての狩りとは、あくまで巣の上で待つことなのでした。そうであるならばこの小さなクモは、地上でどうやってエサを求めるというのでしょうか。彼は採集をするのです。主に地上に落ちた虫の死体を、それが無ければ木の実を、集めて飢えを凌ぐのでした。
石鳥居の柱を伝って地面に下りると、安全を取ってまず住処の周囲を、鳥居の足元や朽ちたお堂の床下や賽銭箱の裏を探索し始めました。しかしどうしたことでしょう、普段口にする名前も知らない羽虫や木の実が、まるで落ちていないではありませんか。ひょっとすると、激しい雨が死骸も木の物も流してしまったのかもしれません。クモは早くもそこを見限り、神社のより広い敷地の方に足を向けました。
周りの落ち葉や雑草をかじってもよかったのですが、それは最終手段です。それらがしつこい消化不良と数日に及ぶ不快な倦怠を招くということを、彼は経験から知っているのでした。この的確な即断力が彼を今日まで生かしてきたと言っても言い過ぎではないでしょう。自身の能力や状態を把握した上でなされる、優れた直感です。
そういうわけでクモは採集に向かったのですが、中央の広い参道は危ないので、古いお堂の裏から出て近場を探索することにしました。危ない、とは言いましたが、それは朝からひっきりなしに行き来している人間たちのことではありません、もちろん注意するに越したことはありませんが、彼の最も警戒するのは敵対的な同胞やエサを求める鳥であり、それに比べれば人間などとるに足らない木偶の坊に過ぎないのですから。
また、彼はここに来てまだ一週間も経っていないため、早いうちに隣人たちの様子見をし、あわよくば交友を持とうとしていました。ただしそれは、博愛精神や寂しさのためではなく、自然を生き抜くためであり、つまり、利害の一致が不可欠なのです。ただでさえそのような繊細な取引を、生まれて三か月しか経っていない非力な、独り立ちしてから一か月も経っていない未熟な、このクモがやるにはかなりの困難が伴うことでしょう。それでもやらなければならないのです。
相手は慎重に選ばなければなりません。その辺を飛んでいる羽虫はもちろん駄目でしょう、きっとすぐ逃げられてしまいますし、何より言葉が通じません。同胞のクモなら話はできますが、きっとすぐ縄張りやらで口論になってしまうので論外です、話ができすぎるというのも厄介なものです。しかしながら、この課題は彼の中ではとうに解決していました、母のやり方を覚えていたのです。
母は蜂を友人に選んでいました。これはなかなか賢い選択で、互いに捕食関係になくてエサもかぶらない上、言葉もほどほどに理解し合えるので、安心して情報を交換できるわけです。それにどういうわけか、両者の美的センスは似ていて、母が自慢の巣を見せると、蜂はみんな感心してすぐ打ち解けたものでした。しかし一口に蜂と言ってもたくさんいて、スズメバチや足長バチは短気でケンカになる恐れがあったので、血の気が少なくて穏やかなミツバチが狙い目でした。
クモは古いお堂の裏手から散策を始めました。頭上は木に覆われて薄暗く、足に触れる土草はしっとり湿っています。石でできた参道、それは上空から見ると丁字になっていて、彼はできるだけそこから離れるように進路を選んでいたのですが、決して広い敷地ではないので、どこにいても人間の喧騒が付きまといますし、行き交う人間の姿が草木の隙間から見えてしまい、そのことが少し彼を不安にさせました。
彼は人間の姿態になかなか慣れることができませんでした。あのひょろひょろとした二本足で、どうやってあのずんぐりとした胴と不格好な頭を支えているのだろう、その点で言えば、鳥の方がまだ洗練されているように見えるが、と彼は考えるのでした。また、彼らの声も苦手でした、やつらの交わす言葉にはどうも無駄が多いように聞こえるが、と。それに彼らが大声で口を利くのも理解できませんでした、情報伝達というのはもっと静かになされるべきだろう、と。それに重ねて、彼らの笑い声も我慢なりませんでした、一種の威嚇行為なのだろうか、と。
そんなものに気を取られている場合ではありません。クモは足運びに集中して、頷くようにキョロキョロ首を振りましたが、エサも蜂もなかなか見つかりません。虫にとって重要なのは忍耐です、その小ささが物語っているように虫は忍耐の生物なのです。彼もそのことを理解しているつもりでしたが、四囲から聞こえる鋭い笑い声が、自分をやじっているように思えて少しずつ腹が立ってきました。
とその時、背後から草や落ち枝を踏みつけ踏み折りする音が聞こえました。聞こえた、と思った時には、もうずっと近づいています、体の芯まで響いてくる轟音です。クモは振り返らずに音の直線から跳ね退きました。これほどの爆音を出せるのはずっと大きい生物に違いありませんから、彼は二十も三十も、何度も飛び跳ねて、少しでもその爆撃から遠ざかろうとします。たっぷり三メートルも離れてからようやく振り向きました。そこはまさしく爆心地となっていました。
子供、とはいってもクモからすれば過剰なまでに大きいのですが、それが二人、鬼ごっこでもしていたのでしょうか、大声で笑いながらじゃれ合っています。先ほどまでクモのいた場所は、草は飛び散り土はめくれ上がり、穴掘り好きの犬でもかくやとばかりにめちゃくちゃになっていました。
クモはもし自分が逃げ遅れていたらと思うと、体中の毛という毛がこわばる心地でした。それと同時に、怒りが沸々と起こってきました。利得損害を勘定に入れない、ただ感情に任せて一つ食らわせてやろうという、自然に生きるものが最も抑えなければならない、あの昂ぶりです。しかしながら彼にできるのは、どちらかの子供の家まで引っ付いていき、子供部屋の片隅に巣を張る程度のことでしょうし、最後に待っているのは全身マヒか本の背表紙との接吻でしょう。それでも彼は我慢なりませんでした。
不意に、子供たちの笑い声が怒声に変わっていることに気づきました。見ると、戯れのつかみ合いが何かの拍子に本格的なケンカに発展してしまったのか、二人は目をむいて互いに髪と服を引っ張り合いながら、意味をなさない言葉を喚き散らしています。クモは呆れてばかばかしくなってしまい、そこに背を向けてひたひたと歩き出しました。同胞で争うなんて間抜けなことですが、生きる中ではそれが日常で、なおかつ大事件なのでしょう。クモは、自分はここの同胞たちとうまく付き合っていこうと思ったのでした。
子供たちからそれほど離れないうちに、クモは驚いてピョンと一つ大きく跳ねました。約一メートル先にある木の根元、そこにひっくり返って腹を見せているハエを見つけたのです。濁った羽、乾ききった手、気味の悪い唇を持った、まさしくハエでした。誰もが知っているように、生物はどういうわけか死ぬと仰向けになります。あのハエもおそらく死骸でしょう。クモは嬉しさのあまり、わき目を振らず、前後も忘れて、空腹さえ忘れて、あれが誰にも横取りされませんようにと神様に祈りながら、ピョンピョコと疾駆しました。
ああ、なんという短絡さ、自然に生きるものとして恥ずべき直情。このような場合、生き抜くものは冷静さを、忍耐を意識して努めるものです。ひょっとしてあれは罠ではないか?周囲に誰もいないか?そもそも本当にハエか?空腹のあまり小石と見間違えてはいないか、もしそうだったら本末転倒、空腹を満たすための行動がかえって空腹を助長することになるでしょう。しかしながら、このクモにしたって半人前ながら今日まで生き抜いてきただけはあります、半メートル進んだところでこの考えに行き当たって、地面に張り付きました。
はやる気持ちをグッと堪えて観察に徹したところで、クモは重大な気づきを得ました。ハエの死骸だと思っていたものがゆっくりと動いているのです。どういうことでしょうか、まだ生きているのでしょうか、だとしても、どうやって背中で移動しているのでしょうか。そこでクモはずっと昔、自分がまだ母の背中にぶら下がっていた頃のことを思い出しました。
腹を外に向けて丸くなったムカデ、死んだらみんな腹をさらす、と呟く母、でも動いてるよ、と母の背中の毛を甘噛みして笑う自分、「あれはね、アリどもの業さ。お前よりちっさいのがたくさん集まって、私よりでっかいやつを運ぶんだ。」背中を優しく揺らす母、「死骸だけを好んで食って最後には毛一本も残さない。」……
あれもきっとアリの仕業に違いないとクモは合点しました、ほかに何も見当たらないのですから。そうと決まれば話は早いとばかりに、彼はまた駆け出します。もしアリが何匹いようとも、死骸ばかり食っている軟弱ものに負けるわけがないと思ったのです。たとえ向かってきたとしてもあんなに小さい虫なんてわけない、その場で捕らえて食ってしまえば一石二虫じゃないか。そう考えたのでした。
バネのように勢いよく跳ねて半メートルの距離をあっという間に埋め、あと一飛びだ、アリどもめ驚かしてやる、と毛深い口をあんぐりと開け、最後の一歩を踏み出そうとしたまさにその時でした。
「やい、何のつもりだい!」
ハエの死骸が口を利いたのです。クモは驚いて体が固まってしまいました。そうしているうちにハエは遠ざかっていきますが、どこを見てもアリの一匹もいません、本当は生きていたのでしょうか。仮にそうだとしても、あれは仰向けになっています、ご自慢のこざかしい羽は使えません。弱っているように見えますし、飛びかかって頭をかみつぶせば、このクモでも簡単に仕留められるでしょう。彼はそうするつもりで、じりじりと死にぞこないの虫に近づきます。
「アタシの獲物を横取りしようってかい、ええ?いい度胸じゃないか。」
死骸がまたモノを言いました。と、ハエの動きが止まり、奥から一匹のクモ、鳥居住まいのクモよりも黒く大きく、足もずっと細長いメスグモが姿を現しました。今までは死骸と木陰に隠れていて見えていなかったのでしょう。同胞を間近に見るのは、母を除けばこれが初めてだったので、彼は緊張で体毛を震わせました。それによく見ればなかなか立派なメスグモです。
先日の台風のせいで彼女も同様に苦労しているのか、顔には疲労を浮かべて体もところどころ汚れ、殺気立っていますが、その赤い目には年増の女の持つ、こちらを見透かしているような、落ち着き払ったような、意識された無頓着といえばいいでしょうか、そのような光が漂っていて、どこか妖艶な雰囲気を醸していました。それとなんといっても注目すべきは、彼女の口でしょう。きっと毎日新鮮な朝露で口もとを洗っているに違いありません、口まわりの毛はさらさらとして日光をまばゆく弾き、牙は象牙のように白くシミ一つなく、吸い寄せられてしまいそうです。
「なんなら今ここでお前の足を全部もいで、うちの子たちの晩飯にしてやってもいいんだよ、坊や?」
メスグモはにらみつけながらそう言いました。彼女の口にみとれていたクモは、そこでようやく我に返り、空腹の鈍痛と自分の目的を思い出しました。あまりの苦痛になりふり構っていられなくなり、身をよじらせながら口を開きます。
「あんまり腹が減ってたもんだからさ、よく見えてなかったんだ、悪かったよ。でも悪かったからさ、どうかちょっとだけでも分けてくれないか?あんまり腹が減ってるんだよ。」
自身の内に颯然と渦巻いたつむじ風のような衝動を食欲によるものだと捉えたからでしょう、クモは同胞に、しかもメス相手に、しっかり強気に出ることができました。この世間知らずのクモは運よく重要な一手を外さなかったのです、自然に生きるもの同士のコミュニケーションにおいて欠くべからざるのは、堂々としていることなのですから。
それはなにも、攻撃的あるいは侵略的態度であることを必ずしも意味するのではなく、対等であるための、弱者と、被搾者と見なされないための心構えにすぎません。そういうわけですから強気に出る必要がないのは、真の強者のみといえるでしょう。しかしながら、必滅が掟の自然界において、一体誰が強者たりえるのでしょうか。
彼のラッキーパンチ、空腹から来たやけっぱちな行為は十分な効果を生んだようで、メスグモはもうそれほど害意をむき出しにはしていませんでした。しかし依然として警戒はといていないのか、彼女はオスの体を値踏みするようにあちこちにらみまわしてから、目をそらして俯き加減で、これはうちの子たちのエサなんだよ、と小さくつっけんどんな声で言いました。クモはメスのそのような変化には全く気づかずに、粘り強く交渉を試みます。
「頼むよ。足だけ、その硬くてトゲトゲした足の一本だけでいいから!」
「うちの子はハエの足を水でふやかして食うのが大好きなんだ。」メスグモはすげなく答えました。
「そんなら羽だけ、その薄くてパサパサした羽の一欠片だけでいいから!」クモは嘆願するように言いました。
「うちの子はハエの羽をパリッパリになるまで日干して食うのが大好きなんだ。」
もはや取り付く島もありせんが、クモとしてもここを逃したら次いつ獲物にありつけるか分かりません。ですので、そんなら……、となおも食い下がろうとしましたが、メスグモにキッとにらまれて押し黙ってしまいました。
「しつこい男だねぇ、黙らせてやろうか?」
そう言った彼女の広々と開けられた口、赤黒い口腔、猟奇的色彩の牙にオスグモは本能的恐怖を抱きました。死の経験などないにもかかわらず、死への恐怖を感じたのです。震えることもできずに、目を見開いて顔色一面生気を失っている彼を見て、一人前のメスは笑いました。
「そんなに怯えないでよ、かわいい坊や。アタシが悪いみたいじゃないか。」
彼女は嗜虐者の微笑を浮かべてクモを見下しました。未熟なクモは何も分からず、安堵しきった笑みを返したのでした。メスグモは続けます。
「でもねえ、うちにはたくさんのおチビさんがいてねえ。あんたに分けてやる余裕はないんだよ、本当に。ごめんなさいね?」そこで彼女は区切って声を低めました。「……あんたがアタシのものになるってんなら、話は別だけど。」
オスの目は彼女の口に釘付けになりました。口角は微かに持ち上がり、薄く開かれた隙間から妖艶に光る牙がのぞく口、奥の方では粘液がてらてらと光って、口内の赤さに情欲を添えています。先ほどは彼に死への恐怖を与えた口が、今度は生命への欲求を煽ったのです。
メスグモのこの洗練された仕草で、ずっと忘れられていた彼の期待と興奮は、最高潮まで達しました。またそれと同時に、彼の空腹も限界を迎えました。二つの大きな欲求にせっつかれていたのです。一つでも理性を暴走させるには十分な飢えが、一緒になって襲いかかり、クモは前後もなく、その瞬間ごとの意識は明瞭に、メスグモへと近づいていきます。血走った目と熱い吐息、ただ欲望を満たすためだけに前進するその姿は、まさしく一人前のオスでした。
しかし、存分に欲求を満たすまで、メスグモのところまであとちょっとのところで、意識に魔が差しました。こんなうまい話があるのだろうか、この女は自分を騙しているのではないか?と。それが悪魔の囁きか、はたまた天使の助言か、彼には分かりませんでした、一体誰にそれが分かりましょう。急に立ち止まったクモを見て、メスグモは訝りましたが、何に気づいたのか、まぁ!と声を上げました。
「まぁまぁ、おチビちゃんたち!アタシが帰るまで我慢できなかったんだねぇ、堪え性のない子たち!」
その歓声でクモは我に返り、あたりを見回しました。最初はよく分かりませんでしたが、よくよく目を凝らすと、なるほど半透明の小さな子グモが一匹、母親の足元にいるのが見えました。その近くに一匹、さらにもう一匹、それどころか気が付けばそこら中にうじゃうじゃいるではありませんか。あるものは母にじゃれつき、あるものは無心でハエの死骸をむさぼり、そしてあるものはクモに近寄って物珍しそうに見上げています。
「かわいい子たちだろう?」母グモが自慢げに笑います。
クモは曖昧な返事をして、足元にいる子グモの一匹と目を合わせました。よその子供ほど扱いに困るものはありません。彼は手でも振ってやるか、微笑みかけてやるべきか悩みましたが、そうしているうちに子グモは母のところへと逃げていってしまいました。
節操なくうろちょろする子グモを見ていると、ふと自分にもかつてたくさんの兄弟がいたことを思い出しました。九十九匹もの兄弟です。とはいっても、そのうち三十三匹は生まれると同時に姿を消し、また他の三十三匹はいつの間にかはぐれ、残る三十三匹は母が死ぬまで一緒にいたのですが、別段思い入れはありませんでした。むしろ思い出すと強い嫌悪に駆られるので、あえて忘れていたくらいです。
母の息絶えたあの時、兄弟たちは沈没船のような騒ぎぶりでした。なにせ彼らは何も知らなかったのですから。母は彼らに生きていく術を教える余裕もなく死んでしまったのです。やがて空腹に憑かれた彼らがどうしたのかというと、あろうことか母の死骸を我先にとむさぼり始めたのです。このクモはそれを見るや否や、彼らに背を向けたのでした。彼にしたところで、母を食ってその場を凌ぎたいという欲求がないわけではありませんでした。しかし兄弟たちの醜い有様を見た時、それは正しいことなのだろうかという疑問が不意によぎったのでした。
また、彼は自分だけで生きていく自信がありました。彼だけは糸の吐き方を体得していたからです。いつも母の背にぶら下がりながら彼女の業を見ていたおかげでしょう。そうして彼は自分を誇らしく思いながら単身で自然に飛び込んだのでした。今頃兄弟たちがどうしているか、彼の知るところではありませんが、すでに皆死んでいるということを知ったら、自分と自分の糸をより誇らしく感じたことでしょう。
「もしまたどこかで会ったら、そのときはよろしく頼むよ。」
母グモはそう言うと、食事を終えた子供たちを牧羊犬のような手際の良さで集めて去っていきました。遠ざかるメスグモとその周りで蠢く半透明のモヤを、クモは茫漠と眺めていました。あの子グモたちはハエの毛一本も見逃さずに平らげて、そこに残ったのは一匹のクモと満たされなかった空腹の鈍痛と、遂げられなかった情欲の燠火だけでした。
空腹は体の芯までしみわたり、周囲をひたす影は一層濃くなって仄かに紅がかっています。これ以上は危険だとクモは判断し、エサを蜂も諦めて住処へと戻ることにしました。帰りのみちすがら彼の頭に浮かんできたのは、あのメスグモについて行かなかったことへの正当化ばかりでした。今はまだ独り身が気楽でいい、あんな数の子供の面倒なんて見れるものか、あの女は自分を食うつもりだったかもしれない――。そのような言葉が脳内を賑やかした後は決まって、一区切りつけるように呟きます。
「俺はやろうと思えばやれたんだ、あの女をものにしようと思えばできたんだ」と。
そうして思考は再び正当化へと沈んでゆくのでした。




