第九話 絶望
本来この祭りは、泉に眠る女神へと、これまでエストリアを豊かに導いてくれたことへの感謝を捧げるためのものだった。
森の南北にある祭りの外苑会場は、町にある飲食店や土産屋が軒を連ね、この町を象徴する色とりどりの食品や品物が出品される。さらに、人々の興味を引き付ける伝統的な工芸品や魔法科学の叡智を集めた魔法道具などの技術文化の展示、市民参加型の舞台など――祭りにふさわしい豪華絢爛な催しものばかりである。
そして、夕方には森の外苑の俗世的な賑わいと対照的に、森の泉にて女神に祈りをささげる儀式が始まる。
それはこの祭りの、最も神聖な一幕のはずだった。
しかし今の祭りの会場にはそのような神聖さも、人々の活気も存在していない。
屋台のあった場所には瓦礫が、人々が酒を楽しむ席には赤く塗れた亡骸が、盤楽遊嬉の喧騒は悲鳴と慟哭へ。
誰もが予期しなかった最悪の地獄へと祭りは姿を変えていた。
その地獄の中、アラヤは森の中心――泉のある場所へと向かう。
泉へと続く森の街道にも、祭りのために設けられた数多の施設や屋台が並んでいる。そこにはまだ、逃げ遅れた人々がいるかもしれない。
救える命があると信じて、外苑南側のけが人や逃げ遅れた人たちをある程度救出した後、森へと足を踏み入れた。
泉へと続く道には祭りの為に飾りつけされていたであろう紙の花や旗が地面に破れ落ち、魔法で宙を舞っていたであろう蝶の模型が壊れて火花を散らしている。
屋台も潰されたように崩れ、人の一部であった「何か」も落ちている。
ぐったりと地に伏している人間の殆どが息を引き取っているか、風前の灯火。
中には小さな子供や恋人、司祭のような恰好をした老人まで。
惨状で言えば外苑よりも森の中の方が地獄だった。
(いくらなんでもこれはやりすぎだ…。こんなやり方は正当化できない)
そう考えるアラヤの視界には、子供を守るように抱いている人間の焼死体があった。性別すらも分からず、死体からは僅かに煙が立ち上っている。
――道中にあったいくつもの死体と瓦礫を見た後、やがて泉へとたどり着いた。
そこは、かつて女神へ祈りを捧げる儀式の準備が進められていた場所――今は見る影もない。
篝火を灯すための台、濃藍色の布を被せた祭壇、祈祷に使われるはずだった長杖が地面に散乱し、どれも血と煤にまみれていた。
そして、すでに息絶えている儀式の衣装を纏った関係者が地に倒れ伏せている。ざっと6,7人程度だろうか。外傷は人それぞれだった。衣装の方は群青色らしかったが、それも血に染まり変色していた。
そしてアラヤと泉の大穴を挟んで向かい側、北側の外苑に抜けるための道の入り口に見た目が全く同じ姿をした少年たちが一人の人間を囲んでいる。20人はいるのではなかろうか。
「やめて!」
そう声を荒げた。
少年たちが囲んでいる人間がリンチに遭い、危険だと判断しての行動だった。
少年たちが敵を見るような表情で一斉にこちらに振り返ったときは身の毛がよだつ思いだったが、そんなことで足を止めるわけにはいかず走って近づいた。
アラヤが彼らに近づき、集団の中に分け入ろうとしたそのとき、目の前に一人の少年が立ちはだかった。
「もしかして...、"救世主"の人じゃないですか! 名前を確か、アラヤさんと言いましたよね! 私は47番目の〈クァテム〉と申します! 実は今は――」
「分かったから、その中の人を解放して!」
自己を〈クァテム〉と名乗る少年が何かを言おうとしていたが、目の前の一人の命を救うことに夢中だったアラヤは彼の話を全て聞く余裕などなかった。今まで目の前の命を救うことができなかった――その後悔がアラヤを急かしていた。
しかし、そのアラヤの勢いを制止するかのようにクァテムが大声で言う。
「待って、聞いてください! 何事も暴力の前に話し合いですよ! アラヤさん!」
アラヤは暴力で解決するつもりなど毛頭ない。
「無関係の市民を惨殺しておいてよくそんなこと言えたね! いいから、そこの人を放して!」
アラヤもクァテムの声に呼応するかのように大声で言い放った。その声色には怒りも混じっていた。
「01 がこの結末を望んでいると思うの?! 早くこんなことをやめてよ!」
「…」
アラヤのその言葉を聞いて、クァテムは黙り込んだ。
そして、独り言でも言うかのように小さく、そして冷たい声で言った。
「アラヤさん。あなたは私たちのことを根本的に誤解しています。ウルデリスがあなたに何を話したのかは分かりかねますが、これは私たちが待ちわびた結末ですよ。」
(ウルデリスって誰の事? 待ちわびた結末? そんなはずは――)
アラヤが考える隙をついたようにクァテムは背後の集団に目配せをし、合図を送った。
途端に少年の集団は中心の人間を持ち上げ、大穴へと落とすように掲げた。
「やめて!」
そう強く叫ぶ。
アラヤの叫びが功を奏したのか、彼らの動きは人間を穴へと落とす直前で止まった。
持ち上げられた人間は女性だった。それも見覚えのある女性。長い茶髪は以前よりも艶が失われ泥で汚れており、知的で綺麗だった顔は痣と血で覆われていたがなぜか分かる――カリスタだ。
ぐったりと力を失い、抵抗することもできず、それでも彼女はかすれた声で呟く。
「……や、めろ……」
生きている――。
「この者は38番の〈トリト〉を誑かし、死に導きました。その報いの儀式を今から行おうとしていました。私たちを助けようと動いてくれている”救世主様”は分かってくれますよね。あの純粋で健気な38番。」
「38って…」
作戦決行前の決起集会で、01 以外でアラヤに誰よりも親しく話しかけてくれた個体が 38 だった。ぼろぼろの服を着ていて切なく感じたと同時に、それを気にしていない様子に強さを感じて印象に残る子だった。
カリスタは残りの力を振り絞るかのように、涙をその目に滲ませて叫んだ。
「違う! 誑かしてなんて…ない! あの子は私を、私は…あの子を…愛して。服も着せて。美味しいものも…!」
カリスタの声を無視して、クァテムは冷たく集団に言い放った。
「みなさん、落としてください。」
無情にも彼女は放物線を描くように宙へと舞い、穴へと落とされる。
その瞬間、考えるよりも先にアラヤの体は動いた。
泉の湧き出る穴に自らの身を投げ、カリスタの手を掴むと同時に赫い血のワイヤーを作り出し、穴のふちにある柵へと固定した。
「うっ!」
ぶら下がった二人の重みが、一気にアラヤの腕を引きちぎらんばかりに襲う。
力の抜けた彼女の体は、疲労と傷に蝕まれたアラヤには、あまりにも重く感じられた。
金属製の柵が「ギギ……ギギィッ」と悲鳴のような音を立て、錆びた鉄がきしむ。
(決起集会の時は服はああだったけど、初めて喫茶店で会ったときは違った。もし、あれが 38 ならあの喫茶店で見せたカリスタの笑顔も説明がつく。カリスタは、 38 を冷遇していない! …はず!)
アラヤたちへの協力も恐らく、38 に対する愛が動機の行動だったのだろう。
であれば、カリスタは分裂体にとって寧ろ希望の星だ。
この状態で声を上げるのもしんどいがアラヤは必死に叫ぶ。
「カリスタが 38 に愛を感じていたのは事実よ! あなたたちは人と等しく扱われることを望んでいるはずでしょ!? なら!」
その先を言いかけた途端にクァテムとは別の個体が、アラヤたちを見下ろしながら口を挟む。
「俺たちの目的は最初から町全体への復讐だ。勘違いするなよ。」
そしてまた別の個体が言う。
「ウルデリスは僕たちの頭の中に作戦の決行を合図したよ。『全てを壊せ』って」
その言葉を聞いてアラヤは漸く理解した。〈ウルデリス〉とは 〈01〉のことだと。
そして同時に彼らが話した事実に絶望した。
彼らは最初から平和的な解決手段を選択肢にいれていない状態で動いていたこと。 01 がアラヤに提示した”解決”は嘘だったこと。ずっと騙されて利用されていたこと。この大量虐殺をアラヤが招いたこと。
その事実が、全身を杭で貫くようにのしかかる。
呼吸が浅くなる。思考が、重く沈んでいく。
彼らが嘘をついている可能性を考える余裕はなく、その最悪の事実に頭が埋め尽くされていた。
そしてクァテムが言う。
「私たちは、ここまで計画を進めてくれた”救世主様”と言えど、邪魔をするなら排除します。それでは女神〈デア・ドルミト〉への供物となりて、その義憤を悔いてください。」
少年たちは柵を蹴ったり、持っている鈍器で叩いたりして壊し始めた。
柵の地面との固定面が次第に緩くなり始める。同時にアラヤたちの体はどんどん泉との距離を近づけていく。
カリスタの手を掴む左手が、急に重さを増した。どうやら、泉の魔力にあてられてカリスタが気絶したらしい。
(魔素中毒…!)
このままではカリスタの命が危ない。
さらにアラヤの魔力を吸い取る体質が悪さをして体内の魔力量が急激に上昇し、アラヤも体調が悪くなり始めた。
それだけではない。魔法の連続使用で貧血の症状も起こしている。
全身から力が抜けていくのがわかる。
アラヤは魔法使いであり、特異体質を持ち合わせている分、魔力耐性が魔法を使えないカリスタよりも高く、意識を長く維持できるが、この状態が長く続けば、いつ気絶してもおかしくはない。
その時が来れば、二人とも泉の魔力と水に飲み込まれ、どろどろに溶解し、泉の一部となるだろう。
柵が崩壊し泉に落ちるか、アラヤが意識の糸を切らして落下するか。
絶望に打ちひしがられ半分生きることを諦めていたアラヤだが、カリスタだけは助けたかった。
(こんな…こんな結末は嫌だ)
柵が地面から外れかけ、最後の追い打ちを仕掛けようとしたその時、轟音を立てて少年たちが吹き飛んだ。
一瞬助かったと思ったアラヤだが、その衝撃を受けて柵も地面から外れてしまった。
アラヤたちは穴に吸い込まれるかのように、虚空へと落ちていく。
アラヤが死を悟った瞬間、その身が上に引き延ばされるような衝撃と共に落下が止まった。
「あっっっぶねぇえ!」
若い男性の声が大穴に響く。
目を見開き見てみると、金髪の20代くらいで顔が整った好青年がアラヤの右手から出ている血のワイヤーを掴んでいた。
その表情は焦りと安堵が混じった何とも言い難い顔をしている。
第九話を読んでいただきありがとうございます!
今回、少し雑な仕上がりになっているかもしれません。何かあれば教えてください。
分裂体の命名に関しては、ラテン語由来です。最低二つの単語を混合して作ってあるので考えてみてください!次回は何と日曜日に更新できるようにします!




