第35層 氷亜竜《フロストレギオン》
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空気が、凍っていた。
息を吸えば、肺の奥が軋む。
吐いた息は光を帯び、氷の霧となって宙に漂う。
その中を、俺たちは進んでいた。
足音が響くたび、床の蒼晶が鈍く脈を打つ。
壁は鏡のように光を返し、天井からは細い氷の針が無数に垂れ下がっている。
――まるで、この層そのものが巨大な生き物の中のようだった。
「……これ、音が返ってこない」
アリアが眉をひそめる。
弓を構えながら、慎重に一歩進む。
「音の反響が消えてる。まるで空間が吸い込んでるみたい」
「魔力が飽和してる証拠ね」
ミーナが魔導計を展開する。
計測盤の針が狂ったように震え、数値が跳ね上がった。
「蒼晶が限界近くまで成長してる。この階層……“生きてる”わ」
ルメナが羽音を立て、淡い光を散らす。
ノクスが影の中から警戒の低い唸りを漏らす。
アージェは一歩前に出て、静かに咆哮を上げた。
その瞬間――
空気が変わった。
低い、うねるような震動。
氷柱が震え、天井の氷針がぱらぱらと落ちてくる。
「来るぞ……」
俺が刀《繋》の柄を握りしめる。
氷壁の奥、蒼光が一斉に走った。
地鳴り。氷が砕け、蒼晶の霧が爆ぜる。
そこから現れたのは――
翼のない竜。
背中に無数の結晶を背負い、脚は太く、尾は鞭のように鋭い。
氷亜竜。
咆哮。
空気そのものが割れるような音だった。
蒼晶が一斉に共鳴し、足元の床が波打つ。
「な、なにこれ……地面が動いてる!」
「やつが歩くだけで、蒼晶が呼応してる……層の主ってわけか」
竜が一歩踏み出す。
そのたびに床が砕け、氷の衝撃波が広がった。
アージェが即座に《魔障壁》を展開し、俺たちを守る。
壁に衝突する氷片が火花を散らし、空気が一瞬で冷え込んだ。
「硬い……!」
「物理も魔法も通しにくいタイプね。内部で蒼晶が増殖してる」
ミーナの分析が続く。
「つまり、内部の“核”を壊さない限り、再生する」
「核探しってわけか」
「ええ。……ただし、どこにあるかはわからない」
ノクスが床を走る。影を線のように伸ばし、敵の下へ潜り込む。
だが、フロストレギオンの尾が閃き、影ごと氷を薙ぎ払った。
バシンッ!
床が裂け、蒼晶が粉塵となって舞う。
「ノクス!」
すぐさま影が別の場所から浮かび、ノクスが現れる。
毛並みが逆立ち、尻尾が怒りを帯びていた。
“ニャフッ!”と短く鳴き、再び身を低くする。
「大丈夫……けど、尾の動き速すぎる!」
「なら、アリア、遠距離から翼の根元を狙え!」
「了解!」
弦が鳴る。矢が飛ぶ。
だが、竜の背から放たれた氷片がそれを弾く。
次の瞬間、床の蒼晶が“逆流”した。
「ミーナっ!」
「まずい、共鳴波が逆流してる! 層そのものが“敵”になってるわ!」
蒼環の輪を展開し、波動を打ち消そうとするが――
足元の氷が噛みついた。
まるで生き物のように隆起し、ミーナの足首を絡め取る。
「きゃっ!」
「アージェ!」
銀狼が咆哮し、牙で氷を噛み砕く。
ミーナを引き寄せ、後方へ下がらせた。
竜が咆哮。
蒼い光の波が放たれる。
ブレスではない。音そのものが魔力を伴っている――“氷鳴”。
天井の氷針が一斉に降り注ぐ。
ルメナが翼を広げ、光の障壁を展開。
落下する氷を受け止め、粉々に砕く。
「トリス、やつの咆哮に蒼晶が共鳴してる!」
「つまり……“音”を媒介に動いてるってことか」
「ええ! 音が反響しないのは、やつが“吸ってる”からよ!」
ミーナの声に、俺の脳が閃いた。
「吸ってるなら――逆に、吐かせる!」
俺は雷を纏い、刀を握り直す。
刃の上を稲光が走り、空気が焦げる。
「ノクス、音の影を作れ!」
“ニャ!”
影が四方に広がり、虚像のように“音”を放つ。
竜の視線が惑わされる。
アリアが一気に矢を放ち、竜の顎下を撃つ。
瞬間、竜の咆哮が途切れた。
床の光が弱まり、共鳴が乱れる。
「今だ、ミーナ!」
「《蒼環の理》――逆位相展開!」
魔法陣が地面に広がり、蒼の光が逆流する。
竜の装甲が一瞬だけ光を失った。
「行くぞッ!」
俺は踏み込み、雷光とともに斬り上げた。
刃が胸を裂き、内部の蒼晶が露出する。
亀裂の中で青白い光が脈打っていた。
「これが……核か!」
竜が吠える。
だが、反撃の前にアージェが突撃した。
《剛牙》が発動し、竜の首元に噛みつく。
その瞬間、アリアの矢が続けざまに放たれ、露出した核を貫いた。
光が爆ぜた。
洞窟全体が白く染まり、空気が一瞬止まる。
次いで――轟音。
氷が割れ、光があふれる。
フロストレギオンの身体が崩れ、蒼い粒子となって霧散していった。
⸻
静寂。
床の光がゆっくりと沈静化し、再び淡く明滅を始める。
アリアが息をつく。
「……やった、の?」
「完全に消えたな」
俺は刀を下ろし、息を吐いた。
ミーナが倒れ込むように座り込み、苦笑を浮かべた。
「理の干渉は止まった。……この層の循環、元に戻ってる」
ルメナが肩に降りてきて、小さく鳴いた。
ノクスがその隣に影から現れ、尾を絡める。
アージェは静かにミーナの背後に回り、守るように座る。
「トリス……」
ミーナが見上げる。
「あなたの雷がなければ、今ごろ私たち……凍ってたわ」
「違う。お前が蒼環を制御したから、俺の斬撃が通ったんだ」
俺は微笑み、剣を鞘に収めた。
アリアが立ち上がり、肩を回す。
「まったく……。あの反射氷、矢が折れるかと思ったわ」
「おつかれ。次はもう少し軽い相手だといいな」
「そんな希望が叶うと思ってるの?」
笑い声が小さく響いた。
緊張がほどけると同時に、胸の奥にじんわりと温かいものが広がる。
俺たちはまた、一つ壁を越えた。
視線を上げると、崩れた床の奥に淡い光。
転送陣が浮かび上がり、その中心には――
一片の蒼い結晶が残っていた。
ミーナがそれを拾い上げ、そっと掌で包む。
「トリス鑑定してみて」
「了解! 鑑定」
[ “レギオンコア”。亜竜が取り込んでいた力の残滓であり、フロストレギオンの力の源であった物]
「つまり、竜種の核か」
「ええ。この魔力、なんか独特の雰囲気があるわ」
俺は頷いた。
「そうだな。なんとなく、ルメナに似てるけど」
仲間たちがゆっくりと歩み寄る。
ノクスが喉を鳴らし、アージェが低く唸り、ルメナが光を散らす。
そんな中、ルメナが、レギオンコアを見つめていた。
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