封域航路 ――凍てつく流れ
《雷鳴号》は北の大河《ルーン河》を遡っていた。
両岸に広がるのは、白く染まりはじめた森。
風は冷たく、吐く息が白くなっている。
「……季節、まだ春だよね?」
アリアが肩をすくめる。
「封域の冷気がここまで来てるのね」
ミーナが地図を見ながら答えた。
川の流れは穏やかだが、空の色が不気味に沈んでいる。
雲が低く、太陽の輪郭がかすれていた。
「トリス」
ミーナが顔を上げる。
「水温、下がりすぎてるわ。氷の反応も早い。……異常よ」
「つまり、封印がもう“開きかけてる”ってことか」
「……たぶん」
川面を渡る風が一瞬止まり、空気がぴんと張りつめた。
ルメナが甲板の上で立ち止まり、翼を広げて鳴いた。
“キュルゥ!”
その鳴き声と同時に、川の流れが跳ね上がる。
「前方! 巨大反応!」
見張りの声が響く。
次の瞬間、川が爆ぜた。
水柱とともに、氷の鱗をまとう巨体が姿を現す。
《氷牙蛇》――。
冷気を纏う川の主。
鋭い牙が太陽の光を受け、氷の刃のように輝いていた。
「っ……出たな」
俺は刀《繋》の柄に手をかける。
アリアが素早く後ろへ下がり、弓を構えた。
ノクスが影を渡り、アージェが低く唸る。
「冷気が強すぎる、近づけないわ!」
「任せろ」
俺は息を吸い込み、蒼と雷の気を巡らせる。
《蒼環の理》――展開。
青白い光輪が足元に浮かび、川の流れが逆巻く。
水と雷が混ざり合い、空気が震えた。
氷蛇が口を開き、冷気を吐く。
瞬間、俺は踏み込んだ。
雷が爆ぜ、蒼の波が道を開く。
「雷閃――《一閃絶雷》ッ!」
刀が走る。
蒼雷が一直線に蛇の喉を裂き、氷が砕けた。
轟音が川を揺らし、氷片が空へ散る。
ミーナが呆然と呟いた。
「……は、速すぎる……!」
「ほんとに人間?」
アリアが笑いながら弓を下ろす。
蛇が呻き声を上げ、身をくねらせる。
しかし、もう遅い。
斬撃はすでに核心を貫いていた。
川面が光り、蛇の身体が粉のように崩れていく。
蒼晶の粒が風に混じり、静かに流れた。
「終わりだ」
刀を下ろす。
風が戻り、凍っていた空気がゆっくりと溶けていく。
⸻
静寂。
川は再び穏やかに流れ、陽光が差し込んだ。
ルメナが俺の肩に降り、満足そうに鳴いた。
“キュルッ”
小さな光がその鱗から舞い落ち、川面を照らす。
「お見事」
ミーナが安堵の笑みを浮かべる。
「まるで封印の門番を切り捨てたみたい」
「本番はこれからだ。封域そのものが目を覚ましてる」
アリアが空を見上げる。
「でも……ちょっとワクワクするね」
「お前は本当に戦闘になると嬉しそうだな」
「だって、こういう旅が好きなのよ」
ノクスが“にゃ”と鳴き、アージェが尾を一振り。
川を遡る風が吹き抜け、雪の粒が舞う。
遠く、北の空に巨大な光柱が見えた。
「封域の中心……あそこだな」
ミーナが地図を閉じ、頷いた。
「ここから先は完全な氷原。生き物も少ない。けど――」
「行くぞ」
俺は静かに言った。
「この異変、確かめずに終われない」
ルメナが短く鳴き、帆の上に飛び上がる。
川風が彼女の光を乗せ、北へ向かって流れていった。




