ハルディア開港式
潮の香りが、朝の風に混じっていた。
波の音。船の軋む音。遠くでカモメが鳴く。
ついに、この日が来た。
港の入り江には、真新しい桟橋が三つ。
どれも王国と辺境の職人が力を合わせて造り上げたものだ。
蒼晶の光が水面に揺れ、海と空の境が見えないほど青い。
「ふふっ……ようやく“港の顔”になったね」
ミーナが潮風に髪をなびかせながら、笑った。
今日は珍しく、正装じゃない。白の軽衣に青のショール。
港の光とよく似合っている。
「本当に俺たちの港なんだな……」
俺はゆっくりと視線を上げる。
“ハルディア港”――あの戦いの焦げ跡から、ここまで立ち直った。
アリアが柵の上に座って、足をぶらぶらさせる。
「ねぇトリス。海風って、ハルトンの風とは一味違うね」
「それは塩のせいだろ」
「違うって。なんか……“自由”の匂いがするの」
ノクスが彼女の肩で“にゃっ”と鳴いた。
同意らしい。
⸻
広場では、ハルディアの民が列をなし、
新造船《レガリオン号》の前で鐘が鳴る。
王都からも、宰相オルヴィウス、皇太子アルフォンスが到着していた。
「辺境伯殿、立派になったな」
アルフォンス殿下が笑みを浮かべる。
「殿下まで……こちらこそ恐れ多いです」
「恐れるな。君の港だろう?我々はただ、その始まりを見届けに来たに過ぎない」
オルヴィウスが巻物を開き、朗々と読み上げた。
「王国の南門の一つハルディア港。
これをもって正式に開港とする。
交易・商業・文化すべての自由往来を認め、
辺境伯トリス=レガリオンを、その総監と定む!」
轟音のような拍手。
蒼晶の塔の鐘が鳴り響く。
空を裂くように一筋の雷が走った。
「……ほら、やっぱり鳴った」
アリアが笑って俺の腕を軽く小突く。
「雷までお祝いしてるわね」
「鳴らしてんの、誰だよ」
「あなたでしょ」
ミーナが微笑み、ノクスが尻尾を立てた。
⸻
式が終わり、港の先端に出る。
目の前には真っ青な水平線。
アージェが海辺で波しぶきを蹴り上げ、子どもたちが笑って追いかけている。
……これが、守りたかった景色だ。
「トリス殿」
レイバート提督が隣に立つ。
「この港、名前だけじゃない。
俺たちが夢見た“国を繋ぐ場所”になった」
「そうだな。もう誰も、戦で海を汚させない」
「お前、王都でも評判だぞ。
“雷の辺境伯”ってのと"雷神"の二つ名、宰相閣下まで使ってたよ」
「やめてくれ、それ。胃が痛くなる」
アリアが肩をすくめる。
「もう定着してるよ。“胃痛の雷伯”って呼ばれる前に慣れなさい」
「そんな二つ名いらねぇ!」
笑い声が風に流れた。
ミーナが微笑みながら、蒼晶のペンダントを掲げる。
「トリス。港の名を“ハルディア”にされた理由、もう一度言ってみて」
「……照らす“陽”と“ディア=エルディアの民”。
王も民も分け隔てなく、同じ光の下に立てる場所にしたかった」
ミーナの目が優しく細められた。
「なら、もう大丈夫ね。この港はきっと、誰かの希望になる」
「……ああ。そう信じたい」
⸻
夕暮れ。
蒼晶塔に夕陽が当たり、港全体が橙と蒼に染まる。
船団が並び、帆に王国とハルディアの紋章が掲げられた。
アリアが弓を構え、空へ向けて一本の矢を放つ。
矢の先に小さな光玉《蒼晶花火》。
夜空で弾け、青い光の輪が広がった。
「これで、ハルディアは“正式に生き返った”ね」
「そうだな」
俺は刀《繋》の柄を握り、潮風を吸い込む。
「照らせ、雷の理」
呟くと、遠くの海面で一瞬だけ稲光が走った。
まるで海そのものが頷いたように。
港の鐘が三度鳴る。
民の歓声、笑い声、そして波音。
それが、ハルディアの“最初の夜”だった。




