蒼環の港 暁の出立
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港の鐘が三度、静かに鳴った。
朝の潮風が戦の焦げ跡を吹き払い、波止場の旗がはためく。
昨日まで硝煙と血の匂いが満ちていた海辺には、干した網と木材の香りが戻っていた。
復興の杭を打つ音、笑い声、子どもの泣き声。
それら全部が、ようやく「日常」という音になっていた。
「……本当に、行くのか」
レイバート提督の低い声が背から届く。
焼けた鉄の匂いを纏うその男の顔には、もう“戦の指揮官”ではなく、“この海を託された者”の穏やかさが宿っていた。
「ああ。ここからは、お前たちの海だ」
俺は懐から封書を取り出す。王国印の封蝋が朝日に光る。
《アルマリウス自治領 正式発足》
その文書は、港が“戦場”から“都市”へ変わる証だった。
「任せたぞ、提督」
「任された。君が見せた未来を、今度は我々が守ろう」
レイバートが笑う。
かつて敵だった男が、今は信頼で繋がる仲間だ。
この港の新しい礎は、戦火ではなく“絆”から始まる。
ふと、潮風の匂いが変わった。
湿気の中に、微かな花の香りが混じる。海が生き返っている。
「ミーナ」
「補給船、準備完了。積載も点検済み」
書類の束を抱えるミーナの頬は朝日でうっすら赤く染まっていた。
「自治領の会計はレイバート提督に一任する」
「了解。……ほんと、立派になったわね」
微笑みながらも、その瞳には名残惜しさが宿る。
「俺たちの領地は、ここから始まる。……だがまず、帰ろう」
桟橋の先でアリアが手を振る。
「船、出すよ! 潮はいい。追い風も来てる!」
ノクスが影を走らせ、アージェが低く唸る。
従魔たちは言葉を持たずとも理解していた。
この出航が、“別れ”であり、“再出発”であることを。
帆が上がる。
潮風が蒼環の港の空を裂き、海面が光を返す。
まるで、新しい章の幕開けを祝福するように。
⸻
トリス領 帰還
長い航海を経て、俺たちは故郷、ハルトンダンジョン都市へ戻った。
その瞬間、街中がざわめきで包まれた。
「おかえりなさい、子爵様!」
「ミーナ様だ! 本当に帰ってきた!」
子どもたちが駆け寄り、アリアの弓に興味津々で群がる。
アージェは荷車を押す老人の肩を鼻先で支え、ノクスは影の中から子猫を脅かして遊ぶ。
焼けた鉄の港とは違う――ここには、パンと香草の匂いがあった。
その香りだけで、胸が熱くなる。
「……帰ってきたな」
思わず呟いた俺に、ミーナが柔らかく笑う。
「みんな、あなたの帰りを待ってたのよ」
「俺はただ、約束を果たしただけだ」
「ふふ、それが一番難しいのよ」
アリアが肩を小突く。
「しんみりすんなって。港は任せたんでしょ? だったら、次を決めなきゃ」
「次?」
「王都から“論功行賞”の召喚よ」
「……もう来たのか」
「そりゃあね。あなた、国ひとつ救ったんだから」
アリアの笑顔が眩しくて、俺は少しだけ目を細めた。
⸻
王都 謁見の間
王城の大広間。白金の柱が並び、天井には光の幕が揺れていた。
整列する貴族たちのざわめきが、まるで波のように広がる。
王アルトリウスが立ち上がった。
「若き雷の領主、トリス・レガリオン」
王の声が、広間の空気を引き締めた。
「汝は戦乱を鎮め、海を護り、正義を示した。
ゆえに此度、王国の名のもとに命ず。
トリス・レガリオン、汝を“辺境伯”に叙す。」
息が止まる。
王が近づき、白銀の剣を俺の肩に当てた。
光が走り、刃の輝きが蒼晶の装飾に反射する。
「新たな領域を護る者。雷を掲げ、国を導け」
「はっ。命に代えても、王国と民を護ります」
王女がそっと微笑んだ。
「……あの日の少年が、ここまで来るなんてね」
その瞳には、誇りと少しの寂しさがあった。
⸻
謁見が終わり、夜の風が静かに吹き抜ける。
王城のバルコニーから街を見下ろすと、無数の灯火が星のように揺れていた。
ミーナとアリアが並び立ち、ノクスとアージェが足元で丸くなる。
港の方角には、遠くかすかに光が見えた気がした。
「ここまで来たな……」
「うん。でも、まだ途中だね」
アリアが笑う。
「これからは守るだけじゃなく、“動かす”立場よ」
「そうだな。……俺たちで、次の時代を築こう」
刀《繋》の刃が月光を受けて淡く光る。
その輝きは、戦の終わりではなく、新しい始まりを照らす光。
ふと、遠くの空に一筋の稲光が走った。
蒼環の海の方角。
まるで海そのものが、再び息をしたように。
⸻
「行こう。国も、人も、もう“荒らさせない”。」
潮風が吹き抜け、マントがはためく。
雷の辺境伯、トリス・レガリオン。
その名が、新しい時代の黎明を告げていた。
蒼い環が夜空に浮かび、海と空を繋ぐ。
それはまるで、神が見守る“誓いの印”のようだった。
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