若き獅子、地獄を断つ
夜のオルディア港。
倉庫は炎に包まれ、黒い煙が海風に流れていた。潮の匂いに、酒と脂と血の臭いが混じり、吐き気を誘う。
広場には割られた酒樽が転がり、侯国兵が大声で笑いながら飲み荒れていた。
「飲めや! 踊れや!」
「おい!王国の女は柔らかいぞ!」
捕らえられた娘たちのすすり泣きと、兵の下卑た笑い声が重なる。石畳には剥ぎ取られた衣や宝飾が散らばり、惨めな光景を照らす炎は一層赤い。
広場の中心に座していたのは、将校のグランツ・ドルガン。
古傷で白濁した片目を細め、膝に戦斧を置いたまま酒杯を傾ける。
「見ろよ、王国の連中は震えてるぞ! 明日にはリヴェールも俺たちのもんだ!」
兵どもが歓声で応じ、酒と欲望にまみれた夜は狂気の宴と化していた。
その空気を切り裂く声が響いた。
「王国の民を、これ以上弄ぶな」
門の影から白いマントが現れる。
歩み出たのはトリス・レガリオン。
その背に二刀を構えるアリア。
銀狼アージェが低く唸り、影猫ノクスが石畳を駆け抜ける。
「なんだ……?」
「子どもじゃねえか」
「いや……あれは……」
青ざめた兵の一人が呟いた。
「トリス・レガリオン子爵……!」
ざわめきが広がり、酔いは一瞬で吹き飛んだ。
グランツが立ち上がり、椅子を蹴り飛ばす。
「おいおい……若造が遊びを邪魔しに来たってか!」
トリスの足取りは止まらない。
「遊びじゃない。ただの戯れだ。ここで終わらせる」
グランツは嗤い、戦斧を担いだ。
「面白ぇ! お前ら、こいつを八つ裂きにしろ!」
兵が殺到する。
だがノクスが影から飛び出し、足を裂く。
アージェの障壁が槍をまとめて弾き返し、アリアの双剣が喉と手首を切り裂いた。
一瞬で広場の空気は変わる。恐怖と怒号が入り交じり、敵兵は後退した。
戦場の中心に残ったのは二人
トリスとグランツ
静寂。次の瞬間、大斧が唸りを上げて振り下ろされる。
石畳が砕け、火花が散る。だが、トリスは受けず、半歩外へ抜けた。剣の腹で斧を撫で上げ、重みを逃がす。
グランツが歯を剥く。
「ちょこまかと!」
横薙ぎの斬撃。トリスは沈み込み、影のように滑る。すれ違いざま、剣の鍔で柄を叩き、斧の軌道を狂わせた。
怒りが斧に乗る。三撃、四撃、五撃。
ガン、ギャリ、ガキン!
だがトリスは受け止めない。触れるだけで外し、間合いを詰めていく。
(古傷で肩が硬い。踏み込みは深いが、戻りが遅い……)
狙いを見極めた。
斧が振り切られるより速く、トリスは懐へ潜り込む。
剣が脇の継ぎ目を裂いた。
血飛沫。グランツが咆哮し、肘で反撃する。重い衝撃が肩に走り、視界が白く揺れる。だが踏みとどまった。
「まだだぁぁ!」
頭上から落ちる斬撃。トリスは逃げずに踏み込み、斧の腹に剣を滑らせる。力を受け流し、返す。
「終わりだ」
剣が胸甲の合わせ目を縦に裂いた。
巨躯が震え、白濁の片目が見開かれる。
大斧がガランと落ち、グランツは前のめりに崩れた。
広場は凍りつく。次いで、恐慌。
「グ、グランツ様が……!」
兵が武器を捨て、逃げ出す。
だがノクスの影が膝裏を裂き、アリアの双剣が残党を斬る。アージェの障壁が突進を押し潰し、抵抗は瞬く間に消えた。
トリスは剣を掲げ、低く叫ぶ。
「武器を捨てろ! 命が惜しければ投降しろ!」
侯国兵は次々に平伏した。
縛られていた娘たちの縄をアリアが断ち切る。
「もう大丈夫よ」
その声で涙が一斉に溢れる。
ノクスは子どもの側に寄り添い、アージェは震える人々の前に立って護りの壁となった。
トリスは裂かれた侯国の軍旗を拾い上げ、真っ二つに引き裂いた。
「この地は王国の民のものだ。二度と、お前たちの戯れに渡さない」
民の嗚咽が、やがて歓声に変わった。
「領主さまだ……!」「助かった!」
声が広場に広がり、夜空へと昇っていく。
若き獅子は、地獄を断った。
剣を携えただけで。
誰一人、戯れで命を奪わせはしないと示すために。




