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<2・このもふもふは聖獣さん?>

「と、とにかく!」


 アンは我慢しきれず、両手で婚約者――もとい、魅惑のもふもふを抱き上げた。

 正直に言おう。そこらへんの最高級のタオルより、よっぽど触り心地がいい。触れた途端、顔が半端なくにやけてしまう。ああ、魅惑の触り心地。吸いたい、無性に。


「こ、婚約破棄とか、そんなことあなたは気にしなくていいのよニコラス!悪いのはあなたをこんな魅惑的な姿に変えてしまった怖いモンスターですものね。そいつに呪いでもかけられてしまったのよきっと。なら、そのモンスターを倒すなりなんなりすれば、きっと呪いは解けて元の姿に戻ることができるはずよ、うん!」

「アン、台詞に反して顔がものすごおおおおおおおく嬉しそうに見えるのは気のせいかな?あとさりげなく右手と左手の動きが気持ち悪いんだけど……ってちょっとどこ触ってるんだい!?えっち!!」

「この体だと、性器も排泄器官もないのね、とっても不思議ですわ。あ、なんかすごく甘い香りがする……くんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんかくんか」

「いやああああああああ!変態!変態に食われるううううううううううう!」


 ワンコにゃんこを飼っている人ならわかってくれるはずだ。こう、世界一可愛い愛犬愛猫を見ると、定期的に体に顔をうずめて吸いまくりたくなってしまうこの気持ちが!

 ああ、顔全体、至福の感触。ふわふわ、もふもふ。なんて気持ちいいのだろう。しかも、ほのかに甘い香りがする。なんだかイチゴみたいな、美味しそうな香りではないか。

 体も真っ白だし、この子はイチゴミルクでできているのではないか?


「……は!」


 暫くアンは正気を失っていた。

 気づけばテーブルの上で丸くなって、しくしく泣いている婚約者の姿がある。


「うっうっうっ……ひどい。あんなところもこんなところも匂い嗅がれた……もうお嫁に行けない……」

「あなたがお嫁に行く先、わたくしの家ですけどね。責任取って娶ってあげるから安心して嗅がれてなさいな」

「自分で言っていてなんだけどなんで当たり前のように私が奥さんなのかなー!?」


 ああよかった、ちゃんとツッコミができるなら、彼はまだ元気だ。

 うっかり自分も正気を失ってしまって、まあちょっと数分ばかり暴走モードに入っていた気がするが忘れよう。ましゅまろを超えるふわふわもちもちの美味しそうな毛玉が目の前にあるのがいけないのだ。


「は、話を元に戻しましょう」


 アンは咳払いをして告げる。


「今あなたの体をくまなく観察したんだけどもね?」

「観察しすぎ……私の尊厳が木っ端みじんになった……」

「真面目に話してるんですのよ、ニコラス。あなたも自分で気づいてるんでしょう、自分が普通のモンスターになったわけではないことくらい」


 こちらの言葉に、アンにお尻を向けて泣いていたニコラスがちらっと振り向く。その体制、ちょっと可愛すぎて心臓に悪いのだが。


「わたくしもあなたも、大学では生物学の研究をしていますわ。特に、モンスターの生態について調べていて、最終的にはモンスターの研究家になるのが夢よね」


 つまり、自分も彼も、モンスターに関しては素人よりもかなり詳しいのだ。まさに、大学でその研究をしている真っ最中なのだから。高校の頃からも、生物に関する独自の研究は始めているし、本もたくさん読んできている。


「現在、この世界にいる生き物は人間以外は三種類いるわ。動物、モンスター、それから……聖獣」

「ああ、そうだね」

「この三つの違いについて、あなたには説明する必要もないですわね。わたくしより成績良いんですもの」


 動物とは、そのまんまの意味。人間も含めた、一般的な多くの生き物のことである。モンスターと聖獣との違いは主にその危険度と魔法の力を有しているかで判定される。簡単に言うならば〝通常のクマよりも危険度が高い〟か、もしくは〝魔法の力を有している生き物〟か、〝そのどちらも解明されていない未知の生物〟は総じてモンスターに分類されることになるのだ。

 裏を返せば、解明が進んで危険度が低く魔力も有してないとなると、後で動物にカテゴリが変更されるケースもある。逆に危険度が上がったことで、動物からモンスターに変更になるケースもあるというわけだ。

 残る最後の〝聖獣〟はそんなモンスターの中でもかなり特異な一部の生き物が当てはまる。

 生物である以上、呼吸をし、食事をし、排泄をし、生殖活動をするというサイクルからは逃れることができない。にも拘らず、どれか一つ、あるいは全部の要素が欠けている謎のモンスターが時々見つかることがあるのだ。

 明らかに呼吸する器官がどこにもないのに当たり前のように生き物として成立しているとか。排泄器官も食事する器官もないのにエネルギーを取り込むことができ、かつ高い知性を持っているとか。あるいは――オスメスの区別が完全につかない、生殖器官がまったくない生き物だとか。


「見たところ、あなたの今の体には、口はあるのに排泄機能もなければ、陰茎や膣といった性器らしきものも一切ないようですわ。呼吸に関しては皮膚呼吸の可能性もあるし、ちょっと触っただけではよくわからなかったけれどね」


 つまり、生き物として、あまりにも不自然な存在なのだ。


「今のニコラスはどう見ても聖獣。そして聖獣は、モンスターや動物と比べてレア中のレアだし……人間が聖獣に変身してしまったなんて事例、今まで見たことも聞いたこともありませんことよ」

「……私もだよ」

「自然に変身するはずもなし。なら、別のモンスターか聖獣に襲われて、あなたの体が転じてしまったと考えるのが自然。まずはマーキュリータウンに足を運ぶ前に、あなたがどういう聖獣になったのか、どういうモンスターにそういう力があるのか……事前に調べていく必要がありますわね」


 それと、とアンはニコラスのしっぽを突きながら言う。


「今のあなたに、どこまで何ができるのか。これも知っておきたいところです。翼は生えているから、飛べるということなのかしら?」

「……どうだろう。テンパってて、翼の存在忘れてたから……試してないや」

「運動能力とかもチェックしましょう。場合によっては、戦うことになるかもしれないんですからね」

「うっ」


 アンがそう言うと、彼はもう一度こちらに向き直って、泣きそうな顔をしてみせた。


「戦うの、怖いなあ。だって、今の私にとってみんな巨人そのものなんだもの。ちっとも戦える気がしないし、片手で掴んでぱくっと食べられちゃいそう。な、なんならおもちみたいにひきのばされて、ち、ちぎられて食べられちゃうんじゃ……!」


 あー、とアンは思わずニコラスを凝視していた。

 ふわふわ、もちもち、つやつや。ぷるぷる震えるニコラスは、なるほど段々おもちにも見えてくる。ふわふわの毛の下には、ぷよぷよと柔らかいスライムのような体があるようだった。きっと、たっぷり肉と脂肪がつまっていて美味しいのだろう。

 そもそもイチゴっぽい甘い匂いがするのだし、食べたら苺ケーキのように甘くておいしいのかもしれない。あるいは、おもちらしく苺大福かも――。


「……美味しそう」

「いやあああああああああ!やだ、やだ!アン、私を食べる気でしょ、ねえ!?」

「た、食べない、食べない、食ベルワケナイデショ?何ヲ言ッテルノカナ?」

「なんでカタコト!?」


 思わず引きつり笑いを浮かべるアン。直後逃げ出したニコラスを捕まえるのに、少々苦労してしまったのだった。




 ***




 小さな羽根が、ぱたぱたと動き始める。天使のようなその翼は、光の加減によって青にも黄色にも虹色にも見える不思議な色合いをしていた。


「お、おおおおお!」


 現在、アンとともに、アンのプルート家の書庫にいるニコラス。小さな体が小さな羽根でふわふわと浮き上がるのを見て、アンは思わず拍手してしまったのだった。


「へえ、素晴らしいですわね、ニコラス!一体どういう仕組みで空を飛んでいるのかしら?」

「わ、わかんない!私もびっくりだよ。だってこの体重支えるためには、どう考えてもこの羽根じゃサイズ小さすぎるのに」

「そうよね」


 ついでにいうなら、胸筋と背筋も足りているようには見えない。基本鳥が空を飛べるのは、自分の体より大きな羽根と屈強な胸筋があってこそなのだ。一方、ニコラスには体に対して極めて小さな薄い翼しかついていない。しかも、触ってみた時にわかったが、彼の体は見た目よりもずっと小さいのだ。ふわふわの毛のせいで、かなり大きめに見えているだけで。

 正直、普通ならば空を飛ぶなんぞ不可能である。

 だから正直アンも、空を飛べるとはとても思っていなかったのだが。


「魔法の力を使っている、のかもしれませんわね」


 ふむ、と顎に手を当てて頷く。


「ちなみに、高さとか速度はどれくらい出ますの?」

「それは……あんまり。飛べるには飛べるし、そんなに疲れる様子もないんだけど……ふわふわの体が空気抵抗を高めているのか、あまり速度は出ないみたいで。この様子だと、頑張っても人間が走るくらいの速度しか出ないかも」

「あらら。ちなみにその状態で魔法は出せますの?」


 どうやら魔力はなくなっていないらしい、というのは既にわかっている。むしろ、人間の姿の時より魔法の力は高まっているようだ。

 ここは屋内なので、あまり大きな魔法は出せないが――。


「えっと……〝Blizzard〟!」


 試しに魔法を唱えてみるニコラス。すると、テーブルの上にあった花瓶が見事に凍り付いていた。なるほど、とアンは理解する。空を飛んでいても、魔法を撃つことはできそうだ。しかも、唱えてから発動までが非常に早い上、魔法を撃った直後でも墜落することなく飛べている。

 やはり、魔法に関してはむしろ能力が向上していると思って間違いないらしい。


「……やっぱり、この本で見た通りですわね。あなたの姿を頼りに、聖獣図鑑を調べてみましたの」


 アンは言いながら持っていた図鑑を開くと、彼に向けて見せた。


「聖獣の中でも特に貴重な聖獣……図鑑№25、スノウフェアリー。北の果てにあるクリスタルタワーにしか存在しないとされる、幻の聖獣よ。わたくしも生まれて初めてお目にかかったし、大学の研究室にも標本が一つもなかった。だからすぐに気づかなかったのだけど」


 ニコラスには悪いが、これはちょっとした発見なのかもしれない。


「この聖獣に、他の生き物を変化させるモンスターがいる。……そっちは、いくら調べてもデータがありませんでしたわ。あなたを元に戻すのと同じくらい、これは学者の卵としても……調べないわけにはいきませんわね!」


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