鋼の空に咲く
見覚えのある名前があったりしますが、こちら前作の「空の青はまだ遠く」とは別作品です。
次こそは完成させて見せます!
空は、鈍く濁っていた。
灰色の雲が低く垂れこめ、陽の光さえ戦場に降りてこようとはしない。ここは東部戦線。かつては都市だった痕跡を、戦火で黒ずんだ瓦礫がかろうじて伝えている。
リオ=アルヴァレスは、崩れかけた監視塔の屋上に立っていた。ヘルメットを脱ぎ、髪を風に流しながら、遠くを見つめている。
――やれやれ。空模様までやる気がないときたか。
耳元に流れるのは、ベースキャンプから流れてきた通信音と、すっかり錆びついた風の音だけ。乾いた風は生ぬるく、戦争の匂い――油と金属、そして焦げた土の臭気をはらんでいた。
「……こんな空にも、いつか明るく澄んだ陽が射すもんかね」
呟いた言葉は誰にも届かない。届かせるつもりもない。
まだ十七。だが、少年と呼ぶには肌の奥に染み付いた硝煙の色が濃すぎた。
傭兵――その呼び名が日常になってしまったのは、もうずっと前のことだ。
リオは背後の通信パネルに目をやる。戦況は芳しくない。味方の損耗率、敵の侵攻速度。数字は冷たく、冷酷な現実をまざまざと突き付ける。
「この分じゃ、数週間も保たねぇな……エルダ=ユニオンの本隊が来る前に詰む」
軽口に見せかけた独白。それは生き残るために身につけた“皮肉”という鎧だ。感情を押し殺し、判断を鈍らせないために。
――だが、その日常にも、変化が訪れようとしていた。
通信パネルの端末が急に点滅する。
『識別信号:特機輸送ユニット、到着確認』
「特機、だと?」
リオの眉がわずかに動く。
特機――特別機動兵装部隊が管理する、選別された戦場の切り札。その輸送は極秘裏に行われるのが常で、この時期に前線に投入されるとなれば、それは即ち――
「ようやく、お目見えってわけか」
彼はヘルメットを被り直し、階段を降りる。
この戦場に新たな“何か”が届いた。
それが希望か、あるいは破滅かは、まだわからない。
搬入口のゲートが開いたのは、それから二十分後のことだった。
鋼鉄の扉が唸りを上げてスライドし、灰色の前線基地に一際目立つ車列が入ってくる。
「……軍の正規ルートじゃねぇな。こりゃ完全に“黒”か」
リオは指揮棟のバルコニーからその光景を見下ろしていた。輸送トラックの規格、護衛機のシリアルナンバー、兵士たちの装備――すべてが標準からわずかに逸れている。正規の部隊ではない。だが、否応なく“本物”の匂いを纏っていた。
それは前線に持ち込むには過ぎた切札、あるいは──制御不能な試作機だ。
トラックの荷台が開く。
中から姿を現したそれは、薄暗い灰色の空を背景に、ゆっくりとその影を伸ばした。
「……こいつが、特機?」
鋼の巨体が地に降り立つ。
全高約十八メートル。通常の主力量産機よりも一回り小柄で、しかし装甲と関節部には過剰とも言える補強が施されていた。右腕には60mmバレルガン、左腕にはビームブレード用の接続端子。背面にはエネルギーパック式のレールガンがコンパクトに収まっている。
だが、それ以上に――リオの目を引いたのは、その“顔”だった。
無骨なフォルムの中に、どこか人間的な輪郭を持つ仮面。センサーラインは青空を感じさせる蒼に光っていたが、そこには既存の無人兵器にはない、奇妙な“視線”の感触があった。
「……見てるな、こっちを」
ただのAI制御機ではない。明らかに、“意志”を感じさせる挙動。
そう、まるで――
「生きてるみたいだな、お前」
ふと、背後から足音がした。リオが振り返ると、見慣れぬ軍服の中年男が立っていた。片目に義眼をはめた、軍上がりの技術士官らしい風貌。
「《ヴァリアント・ネイヴ》はお前の新しい相棒だ。それとサポートの二ヴェルだ。特機の試用任務に志願しただろう?」
「よろしく…」
「……話が違うな。俺は新型のテストをするとは聞いてたが、“目付きの悪い機械と付属品”を押しつけられるとは思ってなかったぜ」
「口は達者だな。だが、こいつは従来の機体とはわけが違う。AI制御機でも、有人機でもない。言ってみれば――お前らの常識を壊すために作られた兵器だ」
「常識ね。……それで、そのお披露目の相手が俺ってのも、また皮肉が効いてるな」
リオは肩をすくめ、ネイヴの足元へと歩いていく。
鉄の巨体がリオを見下ろすように動いた――気がした。
機械に“感情”があるとは思わない。だが、この機体には確かに何かが宿っている。
それが幻想でも、錯覚でも構わない。戦場では、そういう直感こそが生死を分ける。
「……ま、悪くない。見た目は嫌いじゃないさ」
リオが呟くと、ネイヴのセンサーラインがわずかに明滅したように見えた。
それは応答か、偶然か。彼にはまだ分からなかった。
試験場中央、格納ハンガーの外縁に鎮座する〈ヴァリアント・ネイヴ〉。
濃紺の装甲をまとったその機体の胸部、コクピットハッチが音もなく開き、リオが内部へと身を滑り込ませた。
コンソール前のメインシートに腰を下ろし、バックサポートに背を預けると、機体の起動プロトコルが自動で点灯する。
その上段、リオの真後ろに近い位置にはもう一つのサブシートがあり、そこに二ヴェルが静かに座っていた。
機体内の照明が落ち、青白いインターフェース光に浮かぶ彼女の横顔は、無機質な沈黙の中でもわずかに人の気配を帯びていた。
――たしかに、彼女は“そこに”いた。
人工的な冷たさを纏ってはいても、その指先の動きや小さな呼吸の起伏が、彼女がただの機械でも幻でもないことを告げている。
「……準備は?」
リオが問いかけると、後方から短く、「完了」と応じる声が届いた。
ヘルメット越しに届くその声は、やや低く、感情の起伏に乏しい。けれど、どこか耳に残る“人の声”だった。
やがて、彼女の背後に接続された神経リンクが起動し、〈ネイヴ〉のシステムにその存在が繋がっていく。
二ヴェルは人間でありながら、機体の“副制御核”として、その意識を内部に溶け込ませる――それが〈ヴァリアント・ネイヴ〉の設計だった。
機体背部のメイン動力が唸りを上げ、〈ネイヴ〉の全系統がオンラインへと移行していく。
青く光るセンサーラインが装甲の継ぎ目をなぞりながら走り抜け、コクピット周囲の複合HUDが展開された。
「機体起動、エネルギーフレーム安定圏突入。バイタルリンク、二重接続完了」
二ヴェルの報告が淡々と流れ、リオの前面に表示された操作パネルが次々と稼働状態へ遷移する。
――動き出す。
指先に伝わるわずかな振動が、それを告げていた。
「これが……白銀機への“対抗”ってわけか」
リオは、コンソール左側に装備されたサムパッドに指を滑らせ、マニュアル制御へ移行。
静かに右脚ペダルを踏み込むと、機体の巨躯がゆっくりと膝を伸ばしていく。
全高18.7メートル。
それだけの質量が、無駄な揺れもなく立ち上がる様子は、軍規格を遥かに凌駕していた。
〈ヴァリアント・ネイヴ〉は確かに、“ただの兵器”ではなかった。
「初期可動テスト、移動開始。同期率、現在72%……安定域」
二ヴェルの声音に揺らぎはない。
だがリオには、その“数値”の背後に潜む異常を感じ取っていた。
72%という値は、通常の訓練機ではほぼ最大値に近い。
それを「初期起動段階」で、しかも「リオに最適化されていない状態」で叩き出している――。
「……なるほど、こいつは気に入った」
リオは微笑を浮かべ、ハンドレールガンの接続確認を終えた左手で操縦桿を握り直した。
その瞬間だった。
――ぎゅん、と視界が一瞬、横に流れる。
「おい、今の動き……」
リオが眉をひそめる間もなく、〈ネイヴ〉はまるで“先回り”するかのように、重心移動と次の行動を補助する動きを見せた。
「補正動作。貴方の操作に対する予測に基づく制御」
「……先読みってレベルじゃねぇな。まるで――」
《お前の思考が機体を動かすようだろう?》
脳裏に、二ヴェルとは違う“声”が響いた気がした。
だが、それは外部のものではない。
〈ネイヴ〉――いや、“ネイヴ”自身の内的な挙動。
リオはすぐに口を閉ざし、思考のノイズを遮断するように集中を深めた。
仮想空間の再現領域──試験用シミュレータ空間が、360度全天投影でコクピットを満たす。
廃都市の一角を模した演習フィールドに、敵役として旧式の自律型戦術機〈ラファール改〉が3機、転送された。
「テスト開始。目標、全機撃破」
二ヴェルの無機質な宣言と同時に、ネイヴの関節部がうなる。
その挙動は機械というより、猛獣が体を屈めるかのようにしなやかだった。
「左前方、接敵。来るぞ」
リオが操縦桿を倒すと、ネイヴは瞬時に反応。
重力制御フレームが滑らかに膝を沈め、反動制御を殺したままスライドジャンプ。
飛び上がった機体の右腕――60mmバレルガンが自動収束、敵の頭部センサーに照準が吸い寄せられる。
――ドン。
発砲と同時に跳ねる薬莢。
直撃を受けた〈ラファール改〉のセンサーブロックが火花を噴き、虚構の装甲を砕いて爆散した。
「命中。残り2機、挟撃の構え」
「見えてる」
リオはすでに次の敵を捉えていた。
ネイヴのセンサーフィードは、操縦者の視線よりも先に敵機の行動パターンを予測し、マーカーが赤から黄、そして橙へと変わっていく。
これは“目で見る戦い”ではない。
〈ネイヴ〉の神経接続とAI補助、さらに機体内の予測補完が融合した、“直感を越えた”戦闘領域。
左の機体が斜線に出る前に、リオはすでに操縦桿を“引いていた”。
「——ビーム、抜くぞ」
左腕部、ビームブレード起動。
青白い刃が腕部から展開され、ネイヴの機体を横薙ぎに振るう。
接近していたラファール改の胴体を、その一閃が断つ。
反撃の余地すら与えず、敵機は仮想空間の演算処理に従って霧散する。
「残り一機」
二ヴェルが言うまでもなく、リオは後方の接近を察知していた。
ネイヴのフレームが僅かに“警告音ではない何か”を走らせ、直感に訴える。
「回避だ、ネイヴ!」
リオが操縦桿を倒しきる前に、ネイヴが“勝手に”動いた。
反応加速。制御をオーバーライドして、側転軌道で斜線を逸脱。
地面に衝撃を走らせながら着地し、即座に右肩の武装ユニットへ動力供給が移る。
主武装〈140mmレールガン〉。
チャージ音が空気を裂き、コクピット内に振動として跳ね返る。
「射角、補正いけるか」
「可能。エネルギー充填率84%」
リオがトリガーを握る。
ネイヴの銃口が敵機の中心へ吸い込まれるように動き――
「ファイア」
雷鳴のような一撃が戦場を焼き裂いた。
衝撃波が廃ビルの残骸を巻き上げ、最後の〈ラファール改〉を一閃で粉砕する。
――全機、撃破完了。
「……化け物だな」
リオの呟きに、ネイヴが答えることはなかった。
だが、ほんの一瞬。HUDの端に、青いセンサーラインが“明滅した”ように見えた。
まるで、満足げに笑っているように。
仮想戦場がフェードアウトし、コクピット内の表示が次第に現実のラボ空間へと戻ってくる。
包囲していた演算ラインが一つずつ解放され、ネイヴの拘束アームが外れる音が、装甲越しに微かに響いた。
「……テスト終了。全項目、実行完了」
二ヴェルが静かに告げる。声のトーンも呼吸も変わらない。
だが、その膝元から微かに伝わる熱に、リオは再び「彼女が人間であること」を思い出していた。
「なあ」
リオが尋ねる。
言葉を選ばず、唐突に。
「ネイヴって……お前の命令で動いてるのか? それとも、勝手に動いたのか?」
二ヴェルは一拍、無言のままリオを見下ろす。
コクピット内の狭い空間、彼女の白銀の髪がわずかに揺れる。
「命令は、していない」
「じゃあ、自律判断で……?」
「それも、違う」
短く、だが確信を持った返答だった。
リオはわずかに眉をひそめ、ディスプレイの片隅に残っていたシステムログを呼び出す。
操縦者の指示から0.3秒、ネイヴが自己演算によって軌道を選択している。
ただの反射とは思えない。完全に人の意志を“読んだ”かのような補助動作。
リオは、喉の奥で言葉を呑み込んだ。
その時、通信が入る。
《こちら管制。全データリンク解除。操縦者、および二ヴェル試験体は速やかに機体を降りろ》
「了解」
短く答え、リオは操縦桿から手を離した。
二ヴェルが先に身体を起こす。そのわずかな動きが、リオの肩に触れた。
――ほんの一瞬の接触。
熱い。生身の人間の体温だった。
コクピットが開き、外気が入り込んでくる。
訓練用ジャケットの胸元を軽く引き、リオは冷えた空気に息を吐いた。
***
「……信じられんな」
モニターを覗き込みながら、ラボ主任の老技術者が小さく唸る。
「単独での撃破性能もそうだが……ネイヴが自律演算と操縦者の判断を“予測して補完”している。これはもう、ただの制御支援フレームじゃない」
「戦術AIの応答では説明がつきません。リオの操作とネイヴの行動は、明らかに同期を超えていました」
隣の研究員が吐き出すように言う。
「まるで……感応してるみたいだ」
主任が腕を組み、壁際の黒いモニターを一瞥する。
その向こう、特殊観測ブロックの奥で、静かに立ち尽くす〈ヴァリアント・ネイヴ〉。
濃紺の装甲に、青いセンサーラインが微かに瞬いた。
あれは――本当にただの兵器か?
***
「……重すぎる装甲だな。だが、動くのは速すぎる」
リオが降機用ステップを下りながら呟く。
その後ろから、無言のまま二ヴェルも続いた。
「なあ、ネイヴが“お前に似てる”って思ったこと、ないか?」
リオが足を止め、軽く肩越しに振り返る。
二ヴェルは、答えない。だが、その視線がネイヴを向いている。
まるで、自分の影を見つめるように。
***
峡谷地帯は、まるで咆哮する獣の喉奥のようだった。
風も陽も遮られ、機体の熱と冷却噴射音が壁面に反響する。索敵レーダーは不規則な跳ね返りを返し、まるでそこに“意思”があるかのような錯覚を抱かせた。
『敵機、六体。四機は高熱源、二機は遮蔽下に潜伏』
二ヴェルの声が、神経に直接響いた。
情報処理と提示速度は、既存の戦術AIとは比較にならない精度。しかも、それを彼女は“考えることなく”やっているのだ。
リオはスラスターを軽く吹かし、ネイヴを左へ滑らせる。
装甲がきしむ音が響く。通常の量産機ならば、この反応速度には操縦系統がついてこない。
「……冗談みたいに動くな、コレ」
「それは、あなたが“そう動こうとした”から」
「つまり……お前は俺の脳を盗み見てるってわけか」
わずかに苦笑を含んだリオの言葉に、二ヴェルは何も返さなかった。
しかしその沈黙に、どこか“不快”ではない感情が混じっている気がした。
峡谷の影から、突如飛び出す敵機。
武装は旧型ガトリング。だがその銃口が、真正面からネイヴを捉える。
「……下らん」
リオは機体の姿勢を一瞬で変え、左肩を壁面へぶつけるようにスライドさせる。
同時に、右腕の60mmバレルガンを逆手に構えて発砲。
――ズドドッ!
一発目は空を切り、二発目が敵の腹部装甲を直撃。三発目で機体の動力ユニットが露出し、爆発とともに内部から崩壊した。
残りの五機が一斉に動く。
「囲みに来る。対応順を指示する」
「いらない。……直感で動く」
「それでも私は“補正”する」
コクピット内の警告音が一瞬だけ上がる。
だがすぐに収まり、機体の挙動がさらに“鋭く”なった。
敵の一機が高所から飛び降り、ネイヴに覆いかぶさろうとする。
リオは視線を上へ向けるだけで、二ヴェルが反応した。
左腕、ビームブレード展開。
蒼く光る刃が一閃し、空中から飛びかかってきた敵機の膝関節を斬り裂く。
機体は落下軌道を崩し、地面に激突。そこへ――
レールガンが動く。
「チャージ三割で十分だ。撃つぞ、ネイヴ」
「照準一致、開放どうぞ」
引き金を引いた。
砲撃は狙い澄ました線のように敵機を貫き、背後にいたもう一機も巻き込んで爆散させた。
通信に、後続部隊の声が入る。
『アルヴァレス、もう少し押さえろ! データが飛んで――!』
「戦場でデータをとる余裕なんかねえ。欲しいなら、戦場じゃなく演習場に行け」
皮肉とともに通信を切る。
ネイヴが低く唸るような駆動音を響かせ、残る二機に向かって加速する。
「左、高速接近。二ヴェル、タイミングは?」
「今」
スラスターを逆噴射、機体が急停止した直後、脚部サーボを用いて“側面跳躍”を行う。
それは、戦術機では本来想定されていない挙動だった。
しかしネイヴは跳んだ。人間のように、しなやかに、そして暴力的に。
敵の懐に入り込んだ瞬間、リオは躊躇なく60mmバレルガンを押し付ける。
「近距離で撃たれたら、どんな奴でも動けねえだろ」
引き金を引く。銃口から火花が散り、敵機の上半身が内側から破裂した。
最後の一機が離脱を試みた。
それを、逃がす理由はない。
「……ネイヴに脚部射出機構あるか?」
「制限付き。推奨しない」
「あるんだな。――いけ」
リオの意図に応じて、ネイヴの脚部スラスターが解放され、半ば跳ねるように前方へ突進。
射程外と思われた敵機を正面から叩き潰す形で直撃し、脚部のフレームが軋む音が響く。
「……足、壊れた」
「修理費、後で請求されるな」
リオは息をついた。戦闘は、終わった。
通信に、後方の味方部隊が再接続される。
『目標排除確認。前線、安定化。……ネイヴは無事か?』
「壊れてるのは足だけ。帰還に支障はない」
応答と同時に、機体をゆっくりと旋回させる。
峡谷の風が、冷たく吹き込んだ気がした。
だが、その風の中で――
「……今の、あなたの“動き”」
不意に、二ヴェルの声が響いた。
「最適ではなかった。だが……“人間らしい”選択だった」
「人間らしい、ね」
リオは機体の天井を仰ぐようにしながら、少し笑った。
「そりゃそうだ。俺は……人間だからな」
返答はなかった。
けれどコクピットの奥、視界の端で、二ヴェルが小さく瞬きをしたのが見えた。
戦闘後の帰還の基地は夜を迎えていた。
静寂の中、格納庫にネイヴの駆動音が響く。破損した脚部を引きずりながらも、機体は誇らしげに帰還を果たしていた。
整備士たちが慌ただしく駆け寄る。誰もがその異様なシルエットと、青く光るセンサーラインに目を奪われる。
「……化け物だな、あの機体」
「いや、あのパイロットも、だ。たった一機であれを……」
耳障りなほどの賞賛は、コクピットを開いたリオには届いていない。
金属が軋む音とともに、二ヴェルが静かに立ち上がる。
狭い内部で、天井側に配置された補助席から降りてくる彼女の身体が、リオの視界の端をよぎる。改めて、彼はその“重さ”を実感する。これは情報体などではない。明確に“肉体”を持つ存在だ。
二ヴェルのブーツがコクピット床を軽く鳴らす。視線が合う。相変わらず無表情だが、何かを測るように彼を見ていた。
「……帰還したぞ、相棒」
リオの軽口に、彼女はわずかに瞬きをした。それだけだった。
***
評価会議は、その夜のうちに開かれた。
報告用の多面スクリーンには、戦闘時の記録映像が何度も再生されていた。スロー再生で映し出されるネイヴの跳躍、反応速度、そして一連の撃破シークエンス。人間の反応とは思えぬ機動――だが、それを人間がやってのけたという事実が、部屋の空気を重くしていた。
「現状、この機体と操縦系は適合率99.2%。通常の神経伝達では説明できん」
「いや、それ以上に問題なのは――」
参謀の一人が声を潜めて口を開いた。
「ネイヴが、“補正した”という点だ。パイロットの操作に、自律的に介入し、結果として“人間離れした動作”を可能にしていた」
「つまり……あれはもはや、“機体”ではなく、“戦闘パートナー”として機能している?」
「その場合、制御の優先順位が問題になる。機体が意思を持ち始めたとしたら――それは白銀計画の再来になるぞ」
部屋に沈黙が落ちる。誰もが、ネイヴと二ヴェルの関係性に警戒を抱いていた。
***
同じころ、リオは整備用の仮設ラウンジにいた。
机の上に置かれたミルク入りのコーヒー缶を、指でくるくると回している。
向かい側に座る二ヴェルは、手にしたデータ端末を黙々と操作していた。
「なあ」
リオが口を開いた。
「お前、さっき俺の動きを“人間らしい”って言ってたな。……それって、つまり、お前自身は“人間じゃない”って意味か?」
二ヴェルは手を止めた。数秒の沈黙。その後、ゆっくりと顔を上げる。
「私は、かつて“そう設計された”存在。でも、今は――」
そこまで言って、彼女は言葉を区切った。
「“人間”という定義が、曖昧になっている。……私は、判断できない」
「そうかよ」
リオは缶を開け、一口飲んで、言った。
「じゃあそれでいい。俺も、お前のことをまだ“よく分からない”。……けど、今日一日で分かったのは、少なくとも“背中は預けていい”ってことだ」
その言葉に、二ヴェルはまたまばたきを一度だけした。
そして、ごくわずかに、唇を動かした。
「……ありがとう」
それは初めて彼女が“自分の意志で”返した言葉だった。
***
月明かりが射し込む格納庫で、静かに佇む《ヴァリアント・ネイヴ》。
青いセンサーラインは、まるで呼吸するように脈打っていた。
リオはその足元に立ち、無言のまま機体を見上げていた。
巨大な金属の塊――だが、今日、確かに“意思”を感じた。
背後から足音が近づく。聞き慣れた、軽やかで無機質なリズム。
「ネイヴは眠ってるのか?」
リオが言う。
二ヴェルは隣に立ち、同じように機体を見上げた。
「“休止状態”。だけど、私たちの声は常に記録されている。解析も並行して進行中」
「……なんか落ち着かないな。無言で横に誰か立ってるようなもんだ」
二ヴェルは否定もしなかったが、同意もしなかった。
「ネイヴは、もともと《白銀計画》の制御系統をベースに設計された対抗機。だけど……その情報の大半は、既に機密指定が強化され、私にも閲覧できない」
リオの表情が一瞬だけ険しくなる。白銀計画――敵も味方も口を濁す、機密の深淵。その中心にいたのが、彼女らしい。
「俺が操縦した感触からすると、コレは……“自律的に命令を理解してくれる”レベルに近い。命令というより“意図”を読んでるみたいだった」
「事実、その通り。ネイヴは人間の脳波と神経反応から“意図の予測”を行う――通常のAIより遥かに深い“介入”が可能。……だけど、それは同時に、危険でもある」
「危険?」
二ヴェルは少しだけ間を置いて、言った。
「制御を誤れば、ネイヴはパイロットを“不要”と判断する可能性がある。白銀機――私がかつて乗っていた機体は、そうして何人ものパイロットを“排除”した」
その言葉に、リオは目を細める。
「……それでも、あれに乗ったのはお前だろ」
「そう。“私”には制御系統への優先権限が与えられていた。だけど、それでも……“殺されかけた”ことはある」
沈黙。
格納庫に空調の音が響き、二人の影が足元に揺れる。
「俺が乗る限り、そんなことは起きないし起こさせない」
リオが静かに言った。
二ヴェルが少しだけこちらを見る。
「根拠は?」
「根拠なんてない。けど――あいつは、戦場で俺に賭けてきた。なら、俺も同じだけの“信用”を返す。それだけだ」
二ヴェルの瞳に、わずかな変化が走った。
「……リオ」
名を呼ばれ、リオはそちらを見る。彼女は一歩、近づいた。
「もし今後、ネイヴが暴走しかけたとき。……それでも、私たちを“信じる”?」
静かだが、重い問いだった。
リオはしばらく考えて、それでも笑った。
「ああ。信じるとも。……たとえ、お前が何者でもな」
言い切ると、彼は背を向けて歩き出した。
その背に、二ヴェルが問いかける。
「私が――《白銀計画》の“鍵”だったとしても?」
リオの歩みが止まる。
だが、すぐに肩越しに言った。
「だったらその鍵で、未来をこじ開けるだけだ。……違うか?」
二ヴェルは答えなかった。
ただ、静かにその背を見つめていた。
――青いラインが、再び脈動する。
まるで“その言葉”に、応えるように。
鋼の空に、新たな《機影》が咲いた夜。
それが、彼らの長き戦いの、始まりだった。
前作を打ち切って新たに始まった作品です。大まかなストーリーの概要は前作と同じですが色々変えてます。
今作は多分急な打ち切りはないでしょう。たぶん…
応援のほどよろしくお願いします。




