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雪深き知らずの森(2)

 神殿に入ることは、一般的には俗世から距離を置くことになると言われている。けれど実際のところ神殿内部では、貴族社会における立ち位置が予想以上に幅を利かせていた。「誰もが神の前に平等」というのは、あくまで建前であることに気が付かなかった自分の愚かさに、リリィは我がことながら呆れてしまったくらいだ。


『大変申し訳ないのですが、このようなお仕事では力を発揮することが難しいのです』

『平民の方のお相手は緊張してしまって。ほら、皆さまお口が達者でいらっしゃるから』

『魔獣退治後の治療や武具の穢れを払うだなんて荷が重いのです。そういったお仕事に対しても忌避感のない豪胆な方にお任せした方が良いのでは?』


 貴族の屋敷であれば使用人が行っていたような雑事、平民相手の治療、魔獣相手に重篤な怪我を負った騎士団員の治療、穢れをまとった武具の浄化など、地味な上に、重労働な汚れ仕事は立場の弱い聖女見習いに回ってくる。身分こそ伯爵令嬢ではあったものの、神殿への寄付も少なく、社交界での繋がりも薄いリリィは、あっという間にそういったみんなの嫌がる仕事を押し付けられるようになってしまった。


 それでもリリィは、田舎貴族ゆえに魔獣の脅威が骨身にしみている。そして命を賭けて戦ってくれる騎士団が来てくれることのありがたさもまた、誰よりも熟知しているのだ。何せ王都から離れれば離れるほど魔獣の出現率は上がるというのに、田舎になればなるほど騎士団の救援を求めることは難しくなるのだから。


 騎士団員の生存率が上がること、武器の性能が上がることは、弱い立場の民衆にとってもめぐりめぐって重要なことになる。だからこそリリィは、寝る間も惜しんで働いた。明らかに過労状態だったが、神殿に入ることを決めた時点である程度の覚悟はできている。


 どんな仕事でも厭わないリリィのことを信頼してくれる友人も少数ながらできた。何より神殿には、リリィが尊敬してやまない大聖女がいるのだ。


『リリィ。そなたは、真面目で頑張り屋だ。何事にも手を抜かず、自身の正しいと思ったことを貫く強さもある』

『ありがとうございます』

『だが、時にそなたは真面目過ぎる。何よりすべてを抱え込みすぎておる。勤勉なことは素晴らしいが、そなたがつぶれてしまわないか心配でならぬのだ』

『もったいないお言葉でございます』


 リリィはあくまで問題ないと、微笑んでみせた。本当に大切な相手だからこそ、言いたくないことだってあるのだ。


 もともとリリィの実家は、とある田舎の地方領主である。そこは魔獣がたびたび出現する場所でもあり、幼いリリィが初めて大聖女に出会ったのもまた、魔獣の大量発生の瞬間であった。


 本来ならば指揮をとるのは領主たる父。けれど父は領地から離れ、王都の愛人の元で安穏と過ごしている。もともと父に領地運営の才はない。父の代わりに領地を適切に運営するために政略結婚をする羽目になったリリィの母は、黙々と領民のために働いた。魔力が高く、魔術師としての実力も十分にあったが、それでもわずかばかりの騎士団で、異常発生した魔獣を制圧することは難しい。


 領地が魔獣の群れに蹂躙されようとしたその時、リリィは見た。ひとりのまばゆいほどの麗人が、結界を張り、魔獣を浄化し、傷ついた多くの人々を治癒しているのを。神々しいとしか言いようのないその様子に、リリィはただただ圧倒された。その後の記憶はとぎれとぎれで、ほとんど覚えていない。


 リリィの母は領地の騎士の多くとともに亡くなっている。葬儀もあげたはずなのだが、やはりリリィにはほとんど記憶がない。あまりの衝撃ゆえに、辛い記憶を心の中にしまい込んでいるのかもしれない。そうでなければリリィはとてもではないが、父親を始めとする周囲の仕打ちに耐えることはできなかっただろう。


 恩人である麗人が大聖女であることを、ずいぶんと後になってリリィは知った。神殿に飾られている姿絵を見て、その存在に気づいたのだ。大聖女の功績はあまりに多すぎるせいか、それとも非常に謙虚なのか、この働きについては神殿の正式な記録には残っていない。それでもリリィは、大聖女によって救われた自分の命は、神殿を通して人々のために使うべきだと考えている。自身の幸福を考えることなどおこがましい。


 だからリリィにとって、大聖女が自分のことを気にかけてくれているという事実だけで、前を向いて生きていくことができたのである。



 ***



 そんなリリィの大聖女には決して言えない不安。それは、自身の聖女としての伸びしろが大きくはないというところだ。リリィは器用貧乏だ。ある程度の魔術をそれなりの速度で覚え、それなりの質で展開することができる。だが、それだけだ。高度に展開速度を上げることも、質を高めることもリリィには難しい。


 新人としてやってくる見習い聖女たちに指導するのもつかの間、いつの間にかリリィの能力を軽々と超えた彼らは、見習いから卒業していってしまう。いつまで経っても見習い聖女のリリィ。かつての新人たちは今のところリリィに感謝を示してくれているが、いつまで経っても見習いという現状では、「向上心なし」「聖女への適合なし」と上に判断されてもおかしくない。


 聖女でなくなれば、神殿にいることはできない。還俗した聖女は、政略結婚の相手としてなかなかの値打ちものだが、あの家族が自分に幸せな結婚を用意してくれるとはとても思えない。万が一還俗ともなれば、どこへ売り飛ばされる羽目になるのか。そう思い悩んでいたところでの、まさかの聖女資格の剥奪だったわけである。


 結局のところリリィは、異母妹が自分を神殿から追放した理由がわからないままだった。異母妹は、リリィのすべてを手に入れた。これ以上は無意味だ。リリィが身を寄せていた神殿から居場所を奪う必要がどこにあったのだろう。


 そしてあれほどリリィのことを気にかけてくれていた大聖女が、どうしてリリィではなく異母妹の話を信用したのか。それもまたリリィには理解できなかった。まさかリリィの異母妹は、お伽噺に出てくるような魅了の力でも持ち合わせているのだろうか?


 王国の初代国王の友人だったという黒の魔女や白の魔術師でもなければ持ち合わせていないはずの代物を想像し、リリィは小さく首を横に振った。


「私には関係のない話ね」


 資格剥奪で死にたくなるほどショックを受けるかと思っていたが、思った以上に冷静な自分がいる。大切な場所があるから怖いのだ。失うものなど何もなくなってしまえば、もう恐れることはない。弱者の心の守り方は、何とも愚かなものなのだ。


 リリィが追放されることになった知らずの森は、一年中深い雪に閉ざされている不思議な森だ。森の中に入ることができるのは、森の番人が招いた者だけ。何を対価に払ったとしても叶えたい強い想いがある者だけが、客人として深き森の奥にある秘密の館に招かれるのだそうだ。招かれざる客は死ぬまで森の中をさまよい歩くことになるのだという。


 それは王国の誰もが知るお伽噺。けれど森の番人に会い、願いを叶えてもらったという人間は表には現れない。ただ神殿によって禁足地に指定されているという事実が、単なるお伽噺ではないのだろうと人々に思わせている程度の与太話。神殿を敵に回してまで真実を確かめたいと思うほど、リリィは命知らずではなかった。


 それなのにリリィの異母妹は、リリィが向かう場所は知らずの森がふさわしいと言い放った。確かに森に招かれ、番人に願うことができたならば「偽聖女」の汚名もすすがれるのかもしれない。けれどそれはあまりにも可能性の低い望み。辺鄙な森の中で飢え死にするか、あるいは獣に屠られるか。どちらの未来がより確率が高いだろうか。そもそも禁足地への侵入を理由として処分する腹積もりかもしれない。


「死ぬ間際まで痛いのは遠慮したいわね」


 リリィのつぶやきに、返事をする者は誰もいなかった。

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