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紫水晶の誓い(1)

「殿下、申し訳ありませんが、気分が優れませんの。本日はこれにて失礼いたしますわ」

『バイオレット、何を言っているの! まだお茶会は始まったばかりよ。せっかくバイオレットの誕生日をお祝いするために駆けつけてくださったというのに!』

「あら、ヴィオラに叱られてしまったわね。そんなにわたくしの不作法を咎めるというのであれば、わたくしの代わりとしてヴィオラに殿下のお相手をお願いするわ」

「姫、お渡ししたいものがございます」

「どうぞ、侍女に預けてくださいませ」


 つんと顔をそらし、バイオレットはお茶会の席を立った。婚約者である隣国の王太子モラドは、日頃バイオレットがどんな態度をとったところで怒ることはない。バイオレットの意志を尊重してくれていると言えば聞こえは良いが、結局のところバイオレットの癇癪など気にもならないのだろう。完璧な美貌の王子さまにしてみれば、婚約者であるバイオレットなど赤子のようなもの。


「姫! 少々お待ちを!」


 どういう風の吹き回しか、今回は珍しく何事か後ろで騒いでいるらしい。追いつかれると面倒だ。バイオレットは小柄なことを活かしてお茶会の会場だった庭園をつっきり、生け垣の端から無理矢理身体を潜り込ませる。背の高いものには見えない崩れかけた秘密のトンネル。そこを通れば、回り道をすることなく薔薇園の奥にある秘密の花園に到着することができるのだ。追っ手を引き離し、バイオレットはりすのように駆け回る。


『バイオレット、逃げちゃダメだって言ったのに!』

「なによ、ヴィオラはわたくしではなく殿下の味方をするのね」

『そういうつもりじゃないわ。ただ、バイオレットには幸せになってほしくて……』


 落ち込む親友を見ると怒りを持続させるのは難しくなる。それでも、バイオレットは自身の主張を曲げることなどできなかった。とはいえバイオレットがどんなに嫌がったところで王族の結婚は義務のようなものであり、逃げられるはずもない。その上、一般的に見てこれほどの好条件との相手ともなれば、拒否などありえないのである。


 バイオレットの両親はこの婚約に涙した。隣国との関係性に頭を悩ませてきたのは、国王と王妃なのだから当然だ。両国の国境沿いがきな臭いのは長年の懸案事項でもある。バイオレットとモラドの婚姻により両国が姻族関係になれば、多少は国境沿いの国民たちも穏やかに暮らすことができるようになるのではないかと期待されていた。


 兄弟姉妹も喜んだ。何せバイオレットたち王女には王位継承権はない。そうなるとより良い結婚相手を見つけることが、幸せへの近道となる。高貴な身分ともなると、年齢的な問題も含めて婚姻をまとめるのは意外と難しいことなのだ。その上バイオレットのように、上に姉がたくさんいる妹姫ともなると、良い嫁ぎ先はなかなか少なくなってしまう。身分的につり合いがとれており、遠すぎない場所にある嫁ぎ先というのは涙が出るほどありがたい代物なのだった。


 その上、バイオレットの親友でもあり、護衛でもあるヴィオラもまた、王太子モラドのことを非常に気に入っているようだった。何せ王家の影ですら見抜けなかった他国の間諜を一発で怪しいと判断する鋭い嗅覚を持っているヴィオラである。腹にいろいろと抱えた人間は、老若男女を問わずバイオレットの前から排除された。それにもかかわらず、彼女は王太子モラドに会うなり、一発で服従の意を示したのだ。


(そもそもヴィオラはわたくしの護衛ですのに。一体どういうつもりなんですの! まったく前世といい、今世といい、忌々しい男ですわ!)


 最後には勝手な嫉妬まで混じらせつつ、前世持ちであるバイオレットはその薔薇色の頬をぷっくりと膨らませた。



 ***



 前世の世界でもバイオレットは王女であり、モラドは彼女の護衛だった。愛を育んでいたふたりだったが、身分の差というものはいかんともしがたい。いつまで経っても、ふたりの関係は秘められたまま。そんなバイオレットに悲劇が訪れる。とある大国の王が、バイオレットに目をつけたのだ。既に何人もの側室を持つ年上の男に、さらわれるようにしてバイオレットは嫁いでいった。国力の差に物を言わせての無理矢理な結婚だった。


 出国前、モラドはバイオレットに指切りをしてくれた。必ず助けに参りますと。それが難しいことは彼女にだってよくわかっていた。優しい嘘でも構わない。モラドが自分のことを忘れないでいてくれるならと。


 けれど、彼は来なかった。手紙一枚バイオレットにくれることもなく、それどころか彼はバイオレットが嫁いでからすぐに彼女とは異なる艶やかな美女とあっさり結婚してしまったらしい。


 夫となった男性からその話を聞いた時には、取り乱しかけたほどだ。夫はバイオレットを無理矢理連れてきたはずなのにすっかり興味をなくしてしまったのか、寵愛するどころか冷遇した。そしてバイオレットは、遠い異国の地で失意のうちにひとり寂しく病死したのである。


『姫さま、待って。ダメだって、勝手に出ていっちゃ。今日は、王太子さまとお茶をする日なんでしょ?』

「ヴィオラ、止めないで。わたくし、絶対に嫌なの。政略結婚をするのは、王家に生まれたものとして避けられないことは理解しているわ。でも、王太子さまだけは絶対に嫌」


 親友に飛びつかれた王女バイオレットは、秘密の花園でお行儀悪くごろごろと転がりながら絶叫していた。ここは王宮の庭園の中では珍しく、素朴な庭だ。バイオレットやヴィオラが苦手な植物も生えていない。寝転がるには最適な場所なのである。


『ねえ、バイオレット。モラドのことを信じてみようよ』

「ヴィオラにひとを見る目があるのはよくわかってる。あなたは、悪いひとを見抜く力がちゃんとあるものね。でもね、ダメなの。また裏切られたら今度こそ耐えられない」


 バイオレットは、とうとうしくしくと泣き出しながらヴィオラを抱きしめた。ヴィオラはお日さまみたいな優しい匂いがする。彼女の柔らかな身体に抱き着いていると、痛みも悲しみも和らぐような気がするのだ。ヴィオラもバイオレットの気持ちはわかるのだろう、おとなしくされるがままになっている。だがそんな癒しの時間もすぐに壊されてしまった。


「ああ、姫。どうぞ泣かないでください。あなたに涙を流させる不遜な輩は、すべて斬り捨てて差し上げましょう」

「殿下、一体どこから」

「姫の可愛らしいお声は、どこにいても聞こえてしまいますからね。大丈夫です。人払いをしておりますから、侍女たちに泣き顔を見られてしまう心配はありませんよ」


 なぜか今日の王太子は、非常にしつこい。月に一度の定例のお茶会では、バイオレットが逃げ出した時点で毎回終了となっていたはずなのに。


(何よ、何でもわかっていますみたいな澄ました顔をしちゃって。あなたは、わたくしの気持ちなんてこれっぽっちも理解などしていないくせに)


 怒鳴り散らしたくなったが、バイオレットはあくまでじっとこらえた。癇癪を起こせば伝わる話も伝わらなくなる。それは今世で一番最初に学んだこと。だからヴィオラは、できるかぎり優雅な淑女に見えるように、堂々と胸を張った。歪みかけた口元は、淑女の嗜みである扇で綺麗に覆い隠してしまう。


「バイオレット姫、どうぞこれをお受け取りください。あなたの誕生日を祝う権利を、どうかいただけないでしょうか」


 ひざまずいた王太子が、バイオレットの左手の薬指に指輪をはめた。大粒の紫水晶が、太陽の光を反射して、花のように鮮やかに光り輝く。女性なら誰でも感嘆のため息をつきそうなところで、バイオレットは顔を強張らせるばかりだ。


『姫さま、殿下のことを信じてあげて』

「それで、このようなものをいただいたところでどうしろと?」


 小さなバイオレットの手に馴染まない、豪華な指輪。どんなに素晴らしい指輪でも、指に合わない指輪はなんとも不格好だ。むしろ指輪が豪奢な造りであるぶん、自分の指に合わないことがみじめに思えて仕方がない。


「すみません、やはりまだ大きかったですね」

「『やはりまだ大きかった』ですって。わかっていてなお、この指輪を用意されたのかしら。まったくいい加減にしてくださらないかしら。これ以上の無礼、もはや我慢なりませんわ」


 何よりバイオレットは紫水晶が一番嫌いだ。前世の恋人が愛を誓ってくれたものと同じ石を贈ってくるだなんて、相手に記憶がないとはいえ、嫌がらせにもほどがある。前世のモラドと今世のモラド、どちらも綺麗な紫の瞳をしている。そんな彼の瞳の色を封じ込めたような紫水晶の指輪を身に着けるなんて、まっぴらごめんだ。


「それでも、これはあなたのものですから」

「さわらないでと言っているでしょう!」


 叫んで手を振り払った拍子に、ぶかぶかだった指輪がすっぽ抜けて宙に舞う。そしてそれはそのまま綺麗な放物線を描きながら秘密の花園の片隅にひっそりと残されていた池に吸い込まれていった。それは瞬きするわずかな間に起きた出来事。


「だめ!」


 どうしてそんな馬鹿なことをしたのかなんてわからない。ただ、なぜか自然とその指輪を追いかけて手を伸ばしてしまっていた。そして同じようにとっさに駆け出していたらしいヴィオラとともに、池の中に真っ逆さまに転落してしまったのである。

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