68 呪われた夫婦の誤解
最大の問題が解決した後も、私たちは暫くの間王宮に滞在することになった。
最優先で行わなければならないのは、一刻も早くこの国を元に戻すことだ。
国王が首都の大広場に大々的に民衆を集め、リュミエール国内に広がっている悪意ある噂は全て事実無根の嘘だと宣言した。
光の盾公爵は呪われてなどいないこと。その妻となった貴族令嬢も勿論そうであること。それらは国家転覆を目論む間諜が王宮内に潜り込み、根も葉もない噂を流したのだと説明した。
打ち合わせの段階では、国王は自らが主導して噂を流したと宣言することを提案していたけれど、ここで更に国民の不信感を煽るくらいならと架空の罪人を作り上げたのだ。
次に国王はヴェール様を呼んで隣に並び立たせて、軽く抱いて友情を示す。そこで民衆側から黄色い声が上がったのを私は聞き逃さなかった。
「代々光の盾公爵は呪われているという噂が絶えないことは知っている。だがここで呪いなどないと公式に否定しよう。我らがリュミエールの子らを魔の手から守るために、最前線で危険を顧みず盾として勤めているが故の代償なのだ。ローレンス公爵は自己犠牲を厭わず国民を光の盾で守り続けてくれている。そんな彼を侮辱することは、光の剣でもある私が許さない!」
今までとは真逆のことを堂々と口にしていて、聞いていて乾いた笑いが漏れてしまう。大人って、権力者って……。
でもこうして民衆の前で宣言してくれるのは嬉しいし有難い。信じてくれるかどうかは分からないけれど、何も言わないよりは全然いいに決まってる。だって本当にヴェール様は呪われてなんていないもの。
「リアナ」
「えっ!?」
突然ヴェール様が振り返ると、後方の人目につかない場所で控えていた私を手招きするので驚いて飛び上がった。何かあったのかとあちこち首を振って周囲の様子を確認する。
私はこの場で民衆の前に立つことにはなっていない。王妃ならともかく私はただの公爵夫人だし、呪われてないと言ってもらったばかりではあるけれど、両目は赤いしとても見せられるものじゃない。私はただ奥で控えているだけの人間なのに。
「リアナ、私の隣に立って」
私が動けないでいるとヴェール様が迎えに来て、手を引いて陽の当たる場所まで連れていかれる。いやだ、なんで? こわい、悲鳴を上げて逃げられる、最悪石を投げられる……!
この目のことを知らない誰にも見られたくなくて、目を瞑って、連れて行かれるがまま立たされるままに民衆の前に立った。何を言うつもりなの?
赤い目をしているけれど、呪われている訳じゃない、受け入れてくれっていう話をするの? そんなことしなくていい、私はローレンス城から出ることなんてないんだから……!
「目を開けて下さい、リアナ」
「い、嫌です……それだけは……許してください……」
「民衆からは目の色までは見えません、大丈夫です。信じて下さい」
たとえヴェール様の言う事だとしても俄かには信じられなくて、目を閉じたまま開けられない。
お姉さまと共にローレンス城へ向かった時に、村の門番の人から向けられた刃物と感情、世間一般から見た私たちは呪われた夫婦である事実、忘れたくても忘れられない。
今は光の盾で負の感情が抑えられているのだろうけれど、それでも嫌悪感を持たれていることには変わりない。彼らの気色が悪い、見たくもないは、死んでくれと同義だ。
ほんの少し、誰にも分からないくらいの薄目を開けてみるけれどそれでは私からも民衆を見ることが出来ない。やっぱり怖くて体を硬直させていると、ヴェール様は私の肩を支えるように持って、私にではなく民衆に向かって口を開いた。
「この人はリアナ・ローレンス、私の妻です。半年前に結婚しました」
そう言うと、少しどよめきが起こる。きっと呪われた令嬢の登場に驚いたのだと思う。
国王が公式に否定したとはいえ、信じられない人の方が大半だと思う。民衆もこれから何が起こるのかと緊張している空気が伝わってくる。私だってまさか前に立たされるなんて思ってなかったから、緊張して心臓がバクバクしてる。
二人がどうして私を前に立たせるのか分からない。私は人前なんかに出なくていい、ヴェール様と平和に暮らしていければそれでいいだけなのに。呪われてないって、信じてくれる人だけ信じてくれたらそれでいいのに。
「――リアナは、私の呪われた公爵、気狂い公爵という影の二つ名を一切気にせず、人間不信に陥っていた私の心を開いてくれました。光の盾は寿命が平均より短く、私はリアナと共に老いてはいけません。そのことを知っても、私の光の盾としての仕事を見ても、疲れ果てて動けない時も、常に寄り添い続けてくれる……とても強くて優しい女神のような女性です。彼女が呪われているだなんて悪口は到底許すことは出来ません」
……!?
「っ、待ってください、先に私のことを受け入れて下さったのはヴェール様の方なんです! 呪われていると言われ家族にさえ疎まれていた私を受け入れて、目を見て綺麗だと言って下さいました。呪いなんて無いと否定して下さいました……そんな……誰よりも人の心の痛みを知っていて、優しくて、この国の為に命を削っていらっしゃるヴェール様を悪く言う事は、私が許しません」
い、っちゃった……。
思わず目も開けてしまったし、おしまいだ。眼下にいる民衆みんな黙っちゃったし。ヴェール様の言葉に感極まってつい返してしまったけれど、これ今ここで言わなきゃいけなかったことなの? 恥ずかしいし怖いし消えたい。
緊張しすぎて震える体は、ヴェール様が支えて下さっているお陰でなんとか立っていられてる。一人だったらもうとっくに足の力が抜けて座り込んでるところだわ。
脅しとも牽制とも取れる発言をしてしまったせいで、みんなが静まり返って困惑が広がる中で、声を張り上げてくれた人がいた。
「ご結婚おめでとうございます! ヴェール・ローレンス様、リアナ・ローレンス様!」
叫んでいたのは、オリヴィエお姉さまだった。サクラだ、と一瞬で理解したその声が広場中に響き渡ると、みんなつられるように祝いの声を上げて、その流れで歓声が上がって拍手が起こった。怖いけれど嬉しくて、でもやっぱりどこかに怖い気持ちがある。
民衆の顔は心から祝ってくれているというよりも、流れに身を任せてここは同意しておこうと拍手をしているように見える。私の目が怖いのかあらぬ方向を見ている人もいる。
表面的には受け入れてくれたとしても、やっぱり陰で言われることには変わらないんじゃないかと思う。夫婦がお互いを庇ったところで何の証明にもならないのだから。
「二人とも呪われていないという保障は国王である私がしよう。ただ、口で言うだけでは足りないと思うので、リュミエールの国宝であり神より賜りしこの光の剣で……証明することとしよう」
プラントル国王が軽く手を上げると、民衆は一気に声を上げるのをやめて、話し始める言葉の一言一句聞き逃さないように耳を傾けはじめた。そうして言葉の通り、一生に一度もお目にかかることもないはずの光の剣が国王の元に現れた瞬間、地が揺れる程の歓声が沸いた。
感嘆の声に悲鳴に嗚咽……泣き出したり拝んだりと、実際に神様を目の前にしたような反応をする人が多かった。民衆にとっては一生に一度拝む機会があるかどうかという貴重なもので、光の剣そのものへの感謝と畏敬があるのかなと勝手に思った。
というか、こんな展開私は聞いていない。打ち合わせは何度もしたのになんでこんなドッキリを仕掛けるの。
国王が剣を握っていない左手を上げると、民衆の声がまた静まって、すすり泣く声が各所から聞こえて来るだけになった。
「光の剣の力は知っての通りリュミエールを照らし魔を寄せ付けないことだ。そのお陰で建国以来、国内に魔物が出たことは一度もない」
全員が勿論知っていると頷いて返事をする。
「更にこの剣は魔物や呪いには有効だが、普通の人間対して効果を発揮することはない……今からこの二人を光の剣で照らし何事も起こらなければ、二人は呪われてなどいないただの人間だという証明になるのではないだろうか」
国王は民衆に問い掛けるように、けれどはっきりとそうであると宣言した。私とヴェール様はお互いに手を固く握り合う。ヴェール様は絶対に大丈夫。そもそも光の盾だし浄化のあの姿も別に呪いでああなっている訳じゃない。神殿で光の剣の力を与えられて元に戻った経緯だってあるし何も心配するところはない。
怖いのは私。私は結局のところどうして赤い目をしているのか、何故魔法使いでもないのに魔物と同じ力が使えるのか全く分かってない。光を浴びて何か起きたらどうしよう、目が潰れたら……そうじゃなくてもこの赤い目の力が消えたらどうしよう。
「怯えなくて大丈夫ですよ。神殿に入った時に共に光の剣の力を見ても何もなかったでしょう」
「あ……!」
ヴェール様の言葉を理解して声を上げると、国王は私を見て意地悪そうに口角を上げて笑い、光の剣を天高く掲げ太陽の光に照らした。
「リュミエールを守りし光の剣よ、第53代国王プラントルが命ずる。この場を清め呪われた存在を排除せよ!」
やっぱり怖い! 神殿で言ってた言葉と全然違うじゃない、本当に排除されたらどうするの! と思わずヴェール様にしがみつくと頭を撫でられた。
最初は怖くて目を閉じていたけれど、何事も起こらなさそうなので薄目を開けると剣の白い光が私たちのみならず、広場中を包み込むように広がっていた。
「ヴェール様、私の目、変わりないですか?」
「大丈夫、綺麗なルビー色のままですよ」
「本当に……?」
「本当です。リアナの目は呪われてもいませんし、魔物の目でもないんですよ」
そっとハンカチを目尻にあてられて、泣いていたことに気付いた。
怖かった、不安だった。多くの人たちに受け入れてもらえていても、心のどこかでやっぱりこの目は魔物の目なんじゃないかって思っていた。だけど本当に違うんだ……私の目は悪いものじゃないんだ。
「民衆が気にしています。私たちが無事であることを見せつけましょう」
頷いて、胸を張って立つとヴェール様と国王の間に入り、民衆の方を向いて手を振った。
一拍置いて、今度はお姉さまの扇動無しに歓声が響き渡った。
光の剣の輝きに包まれてもなんともないヴェール様と私を見て、それでもと否定できる人間はいない。認めないという事は、リュミエールという国の成り立ちも光の剣そのものをも否定することになってしまうからだ。
広場に集まった沢山の民衆が、何度も何度も私たちに向かっておめでとうと叫んでくれる。
「借りは返したぞ」
「……貸しだとは思っていませんでしたが、返すつもりならこの程度で済むとは思わないで下さいね」
私にしか聞こえないような小さな声で話し掛けて来た国王に、私も同じような声量で返す。
別に赤い目の誤解を解いてほしいなんて思っていなかった。今後もし、リュミエールの国民に普通に受け入れられる時が来たら、帽子を被らずに町を歩けるようになったら、感謝の気持ちが芽生えるかもしれないけれど。
それにこっちの貸しは、国王を正常に戻すだけでなく私が転生者だと言ったことまであるのだから、この程度で贖罪を終えたと思わないでほしい。
「同郷だと分かった途端手厳しいな」
「その話、ヴェール様にしたらタダじゃおきませんからね」
この大広場には貴族も平民もいる。この人たちが広げる”いい真実”が国中に、そして国外にまで広まってくることを願いながら、異例の国王による集会は幕を閉じた。