67 元通り。元通り?
翌朝には、国王から引き受けてしまった国を狂わせるほどの性癖は私の中からも消えていて、ヴェール様を見てもやましい感情は現れなかった。
そのことに心底ほっとしたけれど、ほんの少し、本当にほんの少しだけ、理解した心だけが残っているのはヴェール様には内緒だ。
「リュミエールを守りし光の盾よ、その身が壊れるまで国民の負を受け止め続けたその実直さは評価に値する。リュミエール第53代国王にして光の剣プラントルが礼を言おう。だが、お主の使命はまだ終わってはおらぬ。ヴェール・ローレンスはまだ生きているのだ。その身を修復し一刻も早く業務に復帰せよ」
王宮から少し離れた場所にある神殿にヴェール様の体を運びこんで、壇上の台座に寝かせる簡素ではあるけれど大仰な儀式が始まった。
ローレンス城からここまで来た人間と、国王の側近たちと、大勢がその国王の一挙手一投足を見守る。
プラントル国王がどこからともなく光の剣を取り出すと、ヴェール様の体に剣の切っ先を向ける。そのことにまさかと一瞬体が動いてしまうけれど、国王が命ずると言葉に応じるようにして。ヴェール様の体の中から光の盾が顕現した。
これまでに何度も不思議な現象は目にしてきた。お姉さまや庭師の魔法、人間から獣になるヴェール様、私自身だって普通の人にはない力がある。もう十分慣れていた筈だったのに、目の前の光景に素直に驚いて感嘆した。
何故か私は今まで、剣も盾も存在していても姿形はないものと思っていたみたいで、本当に体の中に剣と盾そのものが仕舞われていたなんて考えもしなくてびっくりしてしまったのだ。これってリュミエール国民的には常識なの?
ヴェール様の体の上に現れた光の盾は、やっぱり大きなひびが入っていて、これも比喩的な表現じゃなくて本当にそうなんだって思ってしまった。
国王の剣が白い光を放つのに呼応するように光の盾も光り輝いて、ひびが少しずつ薄くなり小さくなっていく。
ローレンス家総出で光の盾を直す方法を探した時にはどこにも解決方法なんて見つからなかったのに、国王が命じるだけでよかったなんて。いえ、国王が命じないと直らないし、きっとこのことは国王側にしか伝わっていないんだわ。
「ヴェール様、お体が……」
同じ壇上で、国王から少し離れたところにいた獣の方のヴェール様の体が淡く光りはじめて、姿が薄れだした。光の盾が完全に修復されるのと同時に、ヴェール様の魂とでも呼ぶべき存在もまた本体の中に戻るらしい。
浄化中の醜い獣とは違う、犬のような狼のような猪のような、それでいて熊のような少し変わった姿。もう二度と目にすることはないのだと思うと少し寂しいけれど、本当に良かった。
盾が元の通りヒビ一つない美しい姿に戻ると、一際大きく輝いてヴェール様の体の中に戻っていく。同時に獣のヴェール様が溶けて本体に引き寄せられ、同じように体の中に消えた。
神殿の壇上に上がることが出来るのは、神官又は国王のみ。私たちは今すぐにでも駆け寄りたい気持ちを抑えて、ヴェール様か国王様のどちらかが動くの固唾を飲んで見守った。
「……プラントル国王」
台座の上のヴェール様の首がかすかに動き、国王の名を呼ぶ声がして全員が歓声を上げて喜んだ。よかった、よかった! 無事に体に戻れた、盾も直って、元通りになったんだ。
上半身を起こす姿を見た途端、喜びと安堵で涙腺が崩壊して大泣きしながら名前を呼んだ。
「ヴェール様ぁ……!」
「リアナ……」
お姉さまとオリビアに左右から抱きしめられて、ハンカチを渡されて頭と背中を擦られる。でも泣いてるのは私だけじゃない。二人だって、セバスチャンだってここまで来てくれた使用人のみんなだって泣いている。泣いて喜んでるんだ。こんなに嬉しい事ってない。
ヴェール様は台座から足を下ろして壇上の地に降り立つと、そのまま国王の足元に跪いた。
「ありがとうございます。この命尽きるまでヴェール・ローレンス、リュミエールのために尽くしていく所存です」
「頼む」
国王の手から光の剣が消えて全ての儀式が終了すると、二人が揃って壇上を降りて来る。私はもう涙でぐしゃぐしゃで、それでもヴェール様がご自分の足で歩いている姿を見たくて涙を拭いながらずっと凝視し続けた。
本当によかった。国王の乱心を止めることが出来て、ヴェール様は無事で、全部が上手くいった。こんなに事が上手く運ぶなんて正直思っていなかったけれど、拍子抜けするほど簡単な道でもなかった。だからもそろそろ、ハッピーエンドを迎えてもいいよね。
「リアナ」
誰の元よりも先に真っ直ぐに私の所へ来てくれたヴェール様は、名前を呼んで真正面から抱きしめてくれた。もうしゃがんだりしなくていい、私よりもずっと背の高いヴェール様だ。
嬉しい。もうずっとこうしてもらいたかった。私からじゃなくて、ヴェール様の腕が背中に回されて痛いくらい強く抱き締められる。
「全てリアナのお陰です。ありがとうございました」
「……いえ、みんなのお陰ですわ、ヴェール様」
私もヴェール様の体に手を回そうとしたけれど、腕ごと抱きしめられて動かすことが出来なかった。代わりに肘をちょっと曲げてヴェール様の服の裾を掴む。
「お体の具合は大丈夫ですか? 違和感を感じるところはありませんか?」
「大丈夫です。ただ……」
「え、どうされましたか」
「長くリアナのことを下から見上げる生活をしていたので、こうして上から抱きしめられるのはいいなと」
何か不具合を感じるのかと思って少しドキリとしたのに、そう耳元で囁かれて違う意味で心臓がドキドキした。
「お帰りなさい。ずっと会いたかった」
「私もです。毎日ずっと一緒にいた筈なのに、もう何年も会えていなかったみたいな気分です」
流石にそれは言い過ぎだと思って、少し笑ってしまう。それでもヴェール様にお礼を言われて幸せ過ぎて、更に涙が溢れて止まろうとしない。だけど別に恥ずかしいという気持ちはなかった。これは嬉し涙だから。
それから私たちは、国王をはじめとしたみんなが見ている前でキスをして、やっと少しだけ気持ちが落ち着いた。
「改めて、ローレンスに仕えてくれているみんな、それに冒険者オリヴィエ、我が妻リアナ、ありがとう。私のことを見放さず、こうして支え力になってくれてありがとう。お陰で私はまだ光の盾として頑張れる」
ヴェール様はそう言ってこの場にいる全員と握手と軽いハグを交わしてゆき、最後に再び国王の前に立った。
「プラントル国王……私は、玉座に着いて少しずつ言動がおかしくなっていくあなたと会うのが苦手でした。正直今もまだ少し怖い。国王のしたことは決して許されるものではありませんが……光の盾という立場でありながら、何も言えなかった私にも責任はあると思っています。これから、この国を元の平和なリュミエールに戻すために、そして更に良い国へしていくためにしっかりと手を組んで行きましょう」
「……私がお前にしたことは、許せとも水に流せとも言わん。私のことが嫌いならそのままでもいい。だが剣と盾が切ることの出来ない関係にあるのも事実……仕事だけの関わりで構わない。これからもよろしく頼む」
そう言うと二人は強く握手をして、やっぱり最後にはハグをした。
ヴェール様と同様私もまだ国王のことを信じ切れていないし、性癖を消したと言っても一生そのままかどうかは分からない。だけど私がいる。みんながいる。また道を踏み外そうとしたら、必ずまたどんな感情だろうと私が消し去ってみせる。
「……リアナ夫人も、すまなかった」
そんな謝罪されたって、国王が口にした言葉はもう元に戻らないし私は許さないから。私はあなたの歪んだ性癖もヴェール様にどんな感情を抱いていたかも忘れないし、いつだってあなたに躊躇なくこの目の力を使えること、覚えておきなさいよ。
「いいえ、私こそ、人のプライバシーを覗き見るなんてはしたない行為をして申し訳ありませんでした。光の盾を直して頂きありがとうございます」
握手はしたけどハグはしなかったしさせなかった。少し怖がられているくらいの方がいい。
「フッ……プライバシーね。懐かしい言葉だ……いつか二人で話してみたいものだが……旦那様に睨まれるのでよしておこう」
あ、しまった。つい気が緩んで変な単語を口にしてしまった。はいはい、この世界にプライバシーなんて言葉も概念もありませんよーだ。




