66 ハッピーエンドまであともう少し
目を覚ました国王は、狙い通りもうヴェール様を見ても何の感情も湧かなくなったようで、今までしてきたことを謝罪し光の盾を直すことを約束してくれた。
でも憑き物が落ちたと言っていいのか、精気が消えてしまっと言うべきなのかは今の段階では分からない。
「……確かにヴェールは魅力のある人間とは思うが、何故あそこまで執着して……しかも…………」
それ以上は言葉には出来ないようで、額を押さえ込む国王の気持ちが今の私には十分理解出来た。
きっと前の世界、前世の記憶がある人にとっては、この世界は暇すぎるのだ。幽閉か結婚かの二択を迫られたり、常に何かの問題に追われて息をつく間もない日々を送る私と違って、平和な国の王族は生活も地位も安定して何をするにも困ることはなくて、でも前の世界と比べてしまうと娯楽と呼べるものは殆どなくて。
テレビも漫画もインターネットも何も無い、小説だってエンターテイメント性に欠けるし、ご飯も美味しくはない。何の記憶もなくこの世界に生まれ落ちればそのことに対して不満を抱くことはないと思うけれど、仕事に追われる忙しい日々を送りつつも便利で何でもある世界のことを知ってしまっていると、どうしても物足りないと思ってしまう。何か一つのことにのめり込んでいないとやっていられない。
だからと言って、国王のしてきたことは到底許されることではないけれど。
「国王様は悪いものに憑かれていたんです。もうヴェール様を見て何とも思わないならこれからは二人でよき相方として、光の剣と盾としてリュミエールを守って下さい」
「……ああ、そうだな……そうする」
項垂れる国王からは威厳が消えて、ただの中年のおじさんになってしまった。怒られようと罰せられようと腐ってもこの国の光で国王陛下なのだから、そこまで萎まなくてもいいのに。
でも王宮内で縛られていた近衛兵や使用人諸々の拘束は解かれたものの、国王の命で私たちへの手出しは禁じられたので助かった。
私は先ほどみんなの前で無意識に見せてしまった失態を挽回するべく……というか恥ずかしすぎて、目の痛みも頭痛も忘れてとにかく動き回った。
赤目の力を使いすぎてお腹が空いてぼーっとして、つい噛みついてしまった……というあまりにも苦しすぎる言い訳をしたけれど、ヴェール様には私が国王の感情を消すのに失敗して、自分に移してしまった事が完全にバレている。
確かに愛を表現する言葉の中に、目に入れても痛くないとか、食べてしまいたいくらい可愛いとかいうのがあるけれど、だからって頭から丸かじりはない。幸い獣姿のヴェール様の毛が長かったことで、肉まで辿り着かずしゃぶっただけだったのが不幸中の幸いだけど。
「国王様には聞きたいことは沢山あるわ。私が主人公とかなんとか言っていたのも気になるし、リアナに言っていた言葉の意味も説明してもらいたいわ。でも今はそんな話より先に光の盾を直して」
「……その前に国内の騒乱を収めなければ、またすぐに壊れてしまうだろう。その問題をどうする」
オリヴィエお姉さまの言葉に反論する国王の言い分は至極真っ当で、みんながそうだったと唸り声を上げた。その国内の騒乱の原因を作ったのは国王なのだけど。
と今更改めて責めても仕方が無いし、私には既に策があった。
「構いません国王様、直ぐにでも直してください。ヴェール様の負担は私がその都度この目の力で打ち消します」
この赤い目が持つ力が記憶と感情を引き受けるだけのものではないと気付いてから、ずっと考えていた。これから先、ヴェール様が浄化が必要になる度にその苦痛を私が消したら、負担を減らせるんじゃないかって。
苦痛は消えても浄化の作業自体は無くならないと思うけど、以前痛みと苦しみを私が無意識に引き受けて肩代わりした時みたいに、ヴェール様を楽にして差し上げられたらと思っていた。
それでヴェール様の寿命が延びるかどうかは分からないし、まだ上手くいくかどうか分からない状態でみんなに言う訳にはいかないけれど。今回に限ったような形で言えばとりあえず納得はしてもらえるはず。
「素晴らしい名案です奥様。確かにそれなら、感情の回収を行い国民の気持ちを落ち着けつつ、旦那様の負担も減らせそうです」
「ですがリアナ……それは……」
ヴェール様が言いかけて飲み込んだ言葉が何なのかは、想像がつく。
一つは、私の目と体を心配して下さる気持ち。きっとヴェール様は嫌だと言いたい所を、国内の騒乱と私の負担を比べて国民を選んでくれた。それでいい。
でももう一つは、今の私がヴェール様の苦しむ姿を見たら、力を発動するどころではないかもしれないという不安の気持ちがあるのだと思う。
国王から引き受けたいかがわしい性癖が私の中から消えないうちに、ヴェール様の浄化が始まったらと思うと……正直何をしでかしてしまうか分からない。エクスタシーを感じてその時間を永遠に楽しんでしまう気がする。そうなってしまう自信があるのが怖い。
現に今も一ミリだって離れ難く、常に体の一部がヴェール様と触れ合っていないと我慢できない。椅子に座っている時は膝の上にヴェール様を抱きかかえて、抱き締めながらみんなのやり取りを聞いている。
余程国王の抱える執着は強かったらしくて、まともでありたいと思っているのに頭も体も全然いう事を聞いてくれない。ヴェール様の獣臭なんて永遠に嗅いでいたいし、欲だけで言えば人の姿になんて戻らないでほしい。
悲鳴を聞きたい、涙を見たい、大事にしたいのに壊してしまいたい。今なら国王の嗜好が全部分かる。
まだヴェール様にしかバレてないと思う。みんなは私が国王の執着を消したと思っていて、失敗して引き受けてしまったことには気付かれてはいない。ほんの少しの間、私が耐えればいいだけの話よ。
「あのっ、リアナ様は今日だけで二度もお力を使用されたので、大変疲れていらっしゃると思います。リアナ様と旦那様の為にも、盾の修復は明日にというのは如何でしょうか」
オリビアがおずおずと言った形で提案すると、国王は別に構わないと仰って下さり、異論を唱える人もいなかった。多分私の顔色が余程酷いんだと思うと恥ずかしいし居たたまれないのだけれど、オリビアの提案は物凄く助かるし自分からは言い出しにくかったので本当にありがたい。
リュミエールの国民には辛い思いを長引かせてしまって申し訳ないけれど、私もその案に頷かせてもらった。ありがとうオリビア、帰ったらお礼するからね。
馬車に積み込んでいたヴェール様の本体を王宮内に運んで、綺麗なベッドに寝かせてもらう。もう長い間使われていないことに不安を覚えるけれど、痩せも衰えもせず、ただ眠っているだけに見えるから不思議。肩を叩いて声を掛ければ今にも目を覚ましそう。
ただ、その姿を見ていると、悪戯をしたいという欲求が抑えきれなくなりそうで無理矢理顔を逸らす。反応が無いと分かり切っているからこそ、あちらこちらに手を伸ばしたい。獣の姿のヴェール様の前で人間のヴェール様に口付ければ、一体どんな反応を得られるのかと考えてしまう。
こんなことローレンス家に居た時には微塵も思わなかったのに。困ったものだわ。とにかくこのことが誰にもバレないように、今日はもうヴェール様に近付かないようにしよう。
「すみません、目の疲労が取れないので先に休ませて頂きます」
「その方がいいわ。ごめんなさい気が利かなくて。オリビア、リアナを頼めるかしら」
「はいオリヴィエ様」
オリビアが来てくれたので椅子から立ち上がると、途端に視界が暗くなってよろめいてしまう。倒れそうになった所をオリビアが支えてくれた。
「大丈夫ですかリアナ様……!」
「んん……ごめんねありがとう……」
「大丈夫ではなさそうね、私とオリビアでリアナのこと寝かせてきます」
「歩けそうですか?」
「頭がぐるぐるするぅ……」
色んなことがひと段落して気が抜けてしまったのかもしれない。立てなくなるほど疲れていたなんて少しも気が付かなかった。
笑ってしまうほど全然足に力が入らなくて、結局お姉さまが魔法でちょっとだけ体を浮かせて、王宮側が用意した客室に運んで寝かせてくれた。魔法って便利ありがたーい。
国王の記憶は思っていた以上に重かったらしい。確かにまさかこの世界に生まれてくる前から見ることになるとは思わなかったものね。あーあ、ヴェール様にもお姉さまにも、色々聞かれてしまうのかな。どう言い訳したらいいのかな。
「あとは私がリアナについています。今日はもうみんな休むよう、伝えておいてもらえますか」
耳に入るヴェール様の声にびくりと体が反応する。ヴェール様が着いてきていらっしゃることに、全然気が付かなかった。いやそれより、私についているべきは普通は専属メイドのオリビアであって、ヴェール様はみんなの元に戻って色々ご指示とかすることがあるのでは……!?
などと言えるわけもなく、お姉さまとオリビアは部屋を出て行ってドアが閉まる音がして、部屋の中が無音になった。
「……リアナ、具合の悪い所を申し訳ありませんが、少しだけ話をしても?」
うわあああん一体何を言われるんだろう。性癖のこと? 転生者のこと? もう少しじっくり言い訳を考える時間が欲しかった。どうしよう、性癖はともかくとして転生者の方はなんて答えたらいいの?
前の世界で事故に遭って気がついたら本の中の世界に……だけは絶対に言えない!
「はい、もちろんです」
ベッドに横たわったままにこやかに答えてから、頭が痛いので寝ますと言ってしまえばよかったと思った。ただの問題先延ばしだけど。
「本当に、ありがとうございました」
「え……」
ヴェール様の声が間近でして、耳に熱い息が掛かった。
「愛しています、リアナ」
たったそれだけの短い言葉なのに、胸が温かくなって目に涙が滲む。この人は、私に聞きたいことや話したいことが沢山ある筈なのに、一番にお礼と愛を伝えてくれるんだ。
自分にとっての特別な誰かを愛し愛されるって、こんな気持ちなんだ。この人に出会えてよかった。この世界に来られてよかった。
「私のこの目は、ヴェール様と出会い生きていくために赤かったんですね」
寝返りを打って、重い瞼を開ける。驚いた顔をしているヴェール様の顔に手を伸ばして、ふさふさとした毛皮を撫でる。
泣かせたいとか可哀想な目に遭わせたいとか、そんなの愛じゃない。ただただ守りたいという気持ちしかない。ヴェール様の命を、誇りを、平和を。それこそ愛だって、私は思う。
「リアナ……私の元へ来てくれてありがとう。私の全てを受け入れてくれてありがとう」
「それは私のセリフですわ、ヴェール様」




