64 国王の記憶⑦
私の性癖は齢三十にして完全に捻じ曲がった。
衝撃的で悲惨なリベル公爵の姿にヴェールを重ねる妄想が止まらず、次第に考えるだけでは飽き足らなくなった。
誰かが拷問を受けて悲鳴を上げる声が好きだ。泣き叫び命乞いをする、もしくは死を望む言葉にゾクゾクとした快感を覚える。
汚らしく地べたを這いずる愚者に心が躍る。頭から踏みつけてじたばたと暴れる様を見ると射精しそうになる。
女は駄目だ、キンキンした声が耳障りで苛つきが増す。なるべく綺麗な男がいい。
いくらリュミエールが平和な国とは言え、犯罪が全くないわけではない。罪人を王宮に集めさせ、罰する所を見るのが私の楽しみになった。
私自らが鞭をふるい背中を打ち付けるSMのようなこともした。ただただ楽しくてムカついて、更に力が入った。
ムカつく理由は分かっていた。どいつもこいつもヴェールではないからだ。ヴェールとは似ても似つかない不細工な汚らしい男ばかりだった。
早くヴェールが獣になる姿を見たい。この国の負の感情に塗れて泣き叫ぶ悲痛な声を聞きたい。あの顔の穴という穴から水が出て泣きじゃくる顔が見たい。
ヴェールヴェールヴェールヴェールヴェールヴェールヴェールお前はいつになったら光の盾を継承するのだ、いつになったら私だけの盾になる。私を守り私の為に汚れ私の為に命を縮めろ。私だけの為に生きるのだ……私の美しいヴェール。
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思っていたのと大分違う。何だか違う意味で国王のことが怖くなってきて背筋に悪寒が走る。隣にいるヴェール様が今どんな気持ちでいるのか、知るのが怖くて声が掛けられない。
私よりもヴェール様の方が目を閉じて耳を塞いでいるべきだった。いえ、そもそもこんな空間に連れて来るべきじゃなかったのだ。勝手に来てしまわれたのだけど。
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「だから、私はもっと罪の厳罰化を進めたいと思ってるんだ。刑を厳しくすれば犯罪を起こす人間も減るだろう。公開処刑や拷問を行うことで、犯罪への抑制と民衆への快楽を与えるんだ」
「それは本当にリュミエールに必要でしょうか……市民を怯えさせれば余計に負の感情が増えるのでは……」
「犯罪者が減ればこの国はもっと平和になるだろう。一体何を言っているのだヴェールは」
「……すみません」
「リベル公の具合はどうだ」
「よくはありません。でも稀にではありますが、正気に戻られた時には普通にお話しして下さいます。プラントル国王にも会いたがっていました」
「フッ、まだ生き恥を晒すつもりか、クク……あの狂った状態から正気に戻ったとして、恥ずかしくはないのだろうか」
「早くお前が光の盾を継承しないものかな」
「……そうですね」
「しかしお前は才能が無いそうだな、直ぐに結婚して子を為さねばならんぞ。フッ、だが気狂い公爵は嫁を探すのに苦労をしそうだな」
「……」
ヴェールへの想いは膨らむ一方なのに、相変わらず会える回数は年に数回。それも玉座についてからは二人でゆっくりと話す機会も減り、たまに時間を取って食事を共にしても何だか会話が噛み合わなくなった。
年齢差のせいだろうか。私が中年まっしぐらだがヴェールはまだまだ若い。国の見方も政治への考え方も全く違う。だが私はそのこと自体は悪いことだとは思っていない。互いにいい刺激になると信じているのだが、あまり議論は弾まなかった。
では立場の違いのせいだろうか。私は既に光の剣を継承した正真正銘の国王だが、ヴェールはまだ父親の代理であった。リベル公爵はとても城へ来られる状態ではないのは分かっていたので、私はヴェールを公爵として見ていたが、向こうには遠慮があったのかもしれない。
私は正しいことしか言っていないのに、時折ヴェールが悲し気な顔をするのが分からない。何か意見があるのならハッキリと言えばいいものを。顔の良さで誤魔化せるのは若いうちだけなのだぞ。
先は長くないと思っていたリベル公爵は、私が会いに行ったあの日からなんと二年以上も生きて光の盾を全うした。
もっと早く死ぬと思っていたので意外だったが、セバスチャンが言うには息子を……ヴェールを少しでも守りたい一心だったらしい。自らを犠牲にして廃人になってでも息子への継承を遅らせようとする親子愛、素晴らしいね。
そんなに辛くて継がせたくない盾なんて壊してしまえばいいのに。なーんてな。
ああそれにしてもやっと! やっと! ヴェールが私のものになった。どれだけ待ち侘びたことか!
彼が生まれて十七年。生まれたての赤子に会った時から、私の心はヴェールに釘付けだった。
崩れることなく美しく育ったあの子がどんな声で喘ぐのか、叫ぶのか、咆哮を上げるのか。どんな顔をして、涙と鼻水を垂らして苦痛に耐えるのか。どのような醜い姿に変貌を遂げるのか。ああ、ああ……!
「早く見たい! 早く見たいぞ!」
可哀想な公爵。この平和ボケした国で一番の不幸な青年。私だけの……!
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ヴェール様が……命を削ってこの国の為に尽くしてきた浄化という行為を、これほど歪んだ目で見ていたなんて信じられない。
大切な人が目の前で苦しまれている姿を見たら、とてもそんな風には思えないはず。というか思える方が異常だわ。ヴェール様に対しても、光の盾に対しても失礼極まりない。
そんなに大切な人なら、唯一の光の盾だっていうのなら、どうしたら少しでも楽にしてあげられるかと考えるのが普通じゃないの?
「良い政治をして国民が少しでも負の感情を抱かないようにしていこうって、ヴェール様の負担を減らせるようにしようって、どうして思えないの?」
「リアナ……」
ヴェール様は顔面蒼白になっていて、私と繋いだ手は冷たいまま体温が戻らなかった。こんな時にどんな言葉を掛けたらいいのか分からない。抱きしめて、大丈夫だと言うことしか出来ない。
背中に腕を回して強く抱き寄せる。と言っても男性の体を抱き寄せるほどの力なんてないのだけれど、ヴェール様の自ら体を寄せて抱きしめられに来てくれた。
私の目の力なら、ヴェール様が抱かれている恐怖や嫌悪感を消してしまうことが出来る。多分そうした方がいい。記憶自体が消えてしまう訳ではないし、本来なら知り得ない他人の心の中の感情なんて知る由もないのに。
信頼していた仕事のパートナーに、生まれた時から性的な目で見られていたなんて。ヴェール様に責任は全くないのに、国王の心を歪めてしまった原因が間接的にではあっても自分にあったことなんて。
全て完全に国王が悪い。王という立場にありながら、愛と欲に負けて心を歪ませ自分の性癖のみにおいて国を変えようとしている、悪としか言いようがなくて、そこに同情の余地は一切ない。
ただ一方で人間の思考を矯正することは出来ないのだから、本当はどんな性癖を持っていたっていい。頭の中では何を考えていたっていい。だけどその妄想を仕事に持ち込んではいけない。国の未来を左右出来るほどの権限のある人間が、一人の人間に執着して国を乱していいわけがない。
「……リアナ……」
私の体を抱き返すヴェール様の腕は震えていて胸が痛くなる。少しでも気持ちを落ち着けて欲しくて、私はその頬に触れると背と首を伸ばして唇を重ねた。
私はヴェール様をそんな目で見たことはないし、これからもないから安心してほしい。怖がらないでほしい。
「どうしますか、ここまででも十分国王が今のようになってしまった理由と原因が分かりますが、最後まで見ますか?」
聞くと、ヴェール様は首を横に振った。
「……国王は、私が公爵の地位に着いた後暫く、理由をつけては度々城を訪ねて来ました。普通であれば私の方が出向くべきなのにと不思議でしたが……流石にもう分かりました」
私も頷いた。此処から先、国王がどのようにヴェール様への気持ちを拗らせていったかは大体の想像がつく。きっと最終的なトリガーは私との結婚だ。それで決定的に狂ってしまったのだと思う。
もう見なくていい。