62 国王の記憶⑤運命の日
父上が何を言っているのか分からなかった。
幼いころから聞かされてきた光の盾は、国民から王へ向けられる不満や殺意などの負の感情を弾き返す、正しく王を守る盾という存在だった。
どんなに良い政治をしても、国民の不満が全く消えるなんてことはない。一部から向けられる危険な思想から私を守るために、ヴェールは在るのだと聞かされていた。
あの麗しき美少年が私のことを身を挺して守る姿を想像して、どれほど悦に浸ったか分からない。
それなのに、もう随分昔の公爵が光の盾の使い方を全く違うものにしてしまったという。
負の感情を弾き返しては結局国民が傷付く上に、その気持ちは消えはしない。それならいっそ全てを受け止めて、そんな感情は消してしまうことにしたというのだ。
それ自体は悪い考えではないと思う。その発想に至った当時の公爵はとても国民思いの優しい人だったのだろう。
だが問題は受け止めた感情の消し方というやつだ。
「負の感情を受け止めるまでは問題ないのに、何故そのようなことになってしまうのです!」
「王子、落ち着いてください、陛下のお体に障ります」
部屋の外で待機していた父上の側近が、私の怒鳴り声と物音に慌てて駆け込んできた。鬱陶しい、お前もどうせ知っていたのだろう。知っていてどうして平気な顔が出来る。
「よい、クレアル……私にも覚えがある……お前は外に出ていなさい」
「……御意」
父上に追い出され、出ていく姿を見ながら私は倒した椅子を元に戻して座る。まだ理解が追いつかないが、父上への尊敬や情愛がこの瞬間にも見る間に冷めていくのが分かる。公爵一人にこの国の汚泥を押し付けながら、どうして国を治めているのは自分だと言う顔をして玉座にいられたんだ。どうして自分だけ寿命を全うしているんだ。
気持ちを落ち着かせようと何度も深呼吸を繰り返すことで、身をもって実感する。この部屋は臭い。死臭がする。死の近い人間特有の内臓の腐りかけた臭いだ。先程までは気にも留めなかったのに、一度目の前の老人に嫌悪感を抱いた途端臭いだした。人間の体は正直だ。
「……話の続きをしよう。浄化の際に獣に変じてしまうのは、国民の負の感情の具現化なのだそうだ。詳しい原理は誰にも分からぬ」
「そんな方法……やめさせたらいいではないですか。何故光の盾だけがそんな思いをしないといけないのです」
「お前も知っているだろう、我が国は周辺国とは比較にならない程……豊かで平和だ。それは、我々の光の剣だけでは成し得ない、光の盾のお陰なのだ」
……父上の、言っていることは分かるし理解も出来る。納得も出来てしまう。この時代のこの環境下においてならリュミエールほど良い国はない。
けれどどうしてもm私のヴェールが歴代の盾たちと同じ運命を辿るのかと思うと、このまま分かりましたとは言いたくない。
「父上は、その浄化作業というものを見たことがあるのですか」
「ああ、ある」
父上は私から目を逸らし、瞼を閉じて息を吐いた。溜息を吐きたいのはこっちだ。
「……お前はヴェールのことを特別気に入っているだろう。そのことが心配だ」
「どういう意味です」
「盾一人と国民全員を天秤にかけて、前者に傾かないように気をつけろ」
流石にそれはない、と笑いが漏れた。私がいくらヴェールを気に入っていてもそれは個人の感情でしかない。私は生まれる前から今世は国王になることが決まっていて、幼いころからリュミエールという国を治めるための帝王学を学んできた。
ヴェール一人の命と全国民の命では勿論後者の方が重い。一体何を言っているのだろうか。
「……! そういうことですか!」
父上は国の平和の為に光の盾を犠牲にしろと言っているのだ、そして私は当たり前だと答えてしまった。
「どこへ行く」
「ローレンス公爵家へ。私も浄化というものを見てきます」
勢いよく部屋のドアを開けると、クレアルが目の前に立ち塞がった。
「なりません王子。今城を離れることは許されませんよ」
「側近の分際で私に指図するな。私はこの目で確かめねばならん」
「今は駄目です」
ダメだという理由は分かってる。国王がいつ死ぬか分からないからだ。公爵家に行くとなると行き帰りだけで数日かかる。その間にもしものことがあればと心配しているのだ。
だが父上がいる手前、クレアルはハッキリと言うことが出来ない。
私もここで引くわけにはいかない。王位を継いだあとにすればいいということなのだろうが、父上が死んだあとでは遅いのだ。一度玉座についてしまえば外出は容易ではなくなる。王子が公爵家に向かうのと国王が向かうのとでは全く違う。
今のうちに、今だからこそ見に行かなければならない。まだヴェールになる前の、リベルの浄化でなければならない。
「父上、あと一週間は生きていてもらえますか」
「……行ってきなさい」
「ありがとうございます」
「駄目です、王子!」
国王の許しが出た後ではクレアルの制止には何の意味もありはしない。私はその体を腕で退けると大至急馬車を用意させ、急ぎ公爵家に向けて出発した。
――――――――
公爵家に着いた私を出迎えたのは、セバスチャンだった。早馬が駆けて私の馬車よりも先にローレンス家に着き、予め来訪を知らせていたのだ。
「ようこそおいで下さいました、王子。国王陛下のご容体は如何ですか」
「もう長くはない。私は玉座に就く前にどうしてもリベル公の浄化を見なければならないのだ。今すぐ会わせてくれ」
こちらも急いでいるので直ぐに用件を伝えると、セバスチャンの足が止まった。何だと思って振り返ると、首を横に振った。
「……何だ、セバスチャン」
「旦那様には会われない方が」
「何故だ」
問い掛けても、再び首を振る。こんなに歯切れと受け答えの悪いセバスチャンを見るのは初めてだった。
「セバスチャン、二度言わせるな。私は次期国王となる前に、光の盾の全てを知らねばならぬ。案内しろ」
「……畏まりました……旦那様は現在、浄化の間におります」
「浄化のタイミングだったのか、丁度良いではないか。茶はいい、このまま向かってくれ」
――――――――
「リアナ……この先私が良いというまで目を瞑っていてもらうことは出来ませんか」
神妙な面持ちでヴェール様が私に言ったけれど、分かりましたとは言えなかった。
「…………」
答えに迷う。見たいし見るべきだと思う。先代の光の盾公爵の浄化がどのようなものだったのか知りたい。ヴェール様と同じなのかどうか、瘴気の量や獣の姿など見比べたい。
だけどこうしてセバスチャンが止めるだけでなくヴェール様まで見ないでほしいと言うのには、余程の理由があるはず。きっと光の盾の末期の姿なんだ。何度も獣と化して辛い思いをして、自分が人なのか獣なのか判断がつかなくなっている……。
「この頃の父の姿はまだ目に焼き付いて離れません。リアナには、見て欲しくないんです」
「ヴェール様、私は大丈夫です……とは言い切れません。でも、私は……」
光の盾の運命から目を離したくない。そう言おうとしたけれど、喉の奥がつかえて出てこなかった。
私は本当に受け入れる覚悟があるのだろうか。既に国王の考えに同調して光の盾なんて無くしてしまえばと思い始めてしまっている。ヴェール様と長く時を過ごしたい余りに、国民を裏切りたくなってきてる。
こんな私がヴェール様のお父様の姿を見たら、もうダメかもしれない。光の盾の誇りとか国民の平和とか、そんなことどうでもよくなってしまう気がする。
一体どうしたらいいの?




