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5 庭園デート


「旦那様が、本日リアナ様とお会いになられるそうです」


ローレンス卿の専任執事、セバスチャンの言葉にドキッと心臓が一際大きく脈打った。

とうとう来た。オリビアがもう少しと言っていたけれど、流石にその言葉を聞いた翌日とは思わなかった。

だけどあと一日早ければ、私はローレンス卿に対して何の疑念も抱かずお会いできたのにと思うと、昨晩とった行動が悔やまれる。


「ティータイムの頃にお迎えに参りますので、それまでにご準備ください」

「……分かりました。よろしくお願いします」


声が震えそうになるのを抑えて短く返事をすると、セバスチャンはもう一度頭を下げて出て行った。

さっきから立ったり座ったりせわしないけれど、もう一度ソファに座り直すと背凭れに寄り掛かって天を仰いだ。まだ一日は始まったばかりだというのに、どっと疲れた。誰も来ないならベッドに体を横たえてしまいたい。

いくらなんでもタイミングが悪すぎる。もっと間を置いて、出来ればオリビアから少しでも話を聞き出してから挑みたかった。もうその時間もない。


「リアナ様、お待たせして申し訳ございません。床の掃除をさせていただきます」

「オリビア……」


オリビアが二人のメイドを連れて戻って来たので、私は藁にも縋る思いでオリビアに近付き服の裾を掴んだ。


「セバスチャンから聞きました。朝食を召し上がったら直ぐにお着替えを」

「食事が喉を通る気がしないわ……」

「ふふ、ご自分の旦那様に会うのに、緊張する必要なんてありませんよ」


そう笑顔で答えるオリビアに、もう動揺は残っていない。いつものしっかり者で優しいメイド長のオリビアの顔をしてる。

正論だけど、私の旦那様は夜な夜な月明りの下であの美しい顔を歪ませて、軽蔑のまなざしで、或いは愉悦の表情で誰かを拷問している可能性がある。そんな人とこれから対面するのに食欲が湧くわけがない。

それでも促されるままに水分を取って、無理矢理押し込むようにパンを口に入れて朝食を終えると、すぐに準備が始まった。

鏡に映る自分の顔は、これから夫に会う妻の顔とは到底思えない。死刑執行を言い渡された死刑囚の顔だ。

赤い目も暗く濁って益々魔物っぽい。自分の目ながらちょっと怖い。


「あーーーダメ、ダメダメ!」

「リ、リアナ様、どうされましたか」

「ドレスが気に入りませんか?」

「こちらの髪飾りに致しますか?」

「あ、ごめんなさい、違うのよ……」


自分に気合を入れようと声をあげたら、身支度を整えてくれていたメイドたちが一斉に慌て始めてしまった。

そりゃあ突然ダメダメ叫ばれたら驚くわ。そんなつもりは毛頭なかったの。ごめんなさいね。


「驚かせてごめんなさい、緊張しすぎてるものだから自分に喝を入れようと思って……こんな顔じゃ、ローレンス卿をがっかりさせてしまうでしょう?」


あ、ちょっと構ってちゃんみたいなことを言ってしまった。こんなことを言われたらメイドは褒めるしかない。

この城に来てからずっと一緒にいたオリビアはともかく、初対面のメイドには気を遣わせてしまうだけだ。最悪過ぎる。


「……そうですね……お顔は綺麗なのですが、表情がまるでこれから死地に向かう兵士みたいです」

「え?」

「旦那様、かっこよすぎて緊張しますよね。リアナ様が隣に立たれても負けないくらい美しくしますので大丈夫ですよ。目の色に合わせてもっと鮮やかな赤系のドレスに替えましょうか。顔色も誤魔化せますよ」

「あ……」


なんか反応が思ったのと違う……気安くて助かるけど……。


「こら、メイにライラ、リアナ様が驚いて固まってるわよ」

「すみませんリアナ様。私たちつい調子に乗って」

「ううん、気にしないで。私もそれくらい気安い方が気楽でいいわ」


友達というには身分も立場も違うけれど、年の近い同性の子がこうして絡んでくれるのは、なんだかとても嬉しい。

エドワーズ家に話し相手はいなかったし、元の世界ではとうにいい大人だったから、誰かとじゃれ合うことなんて無くなっていた。

学生のようなノリに懐かしさを感じていたら、本当にドレスを変えるらしく脱がされ始め、着せ替え人形のようにあれこれ入れ替えられた。


「素敵ですよリアナ様」

「肌の白さがまたドレスと合っていて綺麗」


メイもライラもオリビアまでもが満足そうな顔で私を見るので、一応見られるようにはなったのだろう。

鏡を覗き込むと、先ほどよりも表情が解れていた。少なくとも死地へ向かう兵士から、合格発表を見に行く学生にはなれたと思う。

二人は私の緊張を解そうと、敢えて気安く接してくれたのかもしれない。さっきまでよりは気が楽になれた。


「リアナ様、旦那様のお部屋までご案内いたします」


支度が終わるのを見計らったかのように、セバスチャンが部屋を訪ねてきた。たった今、少し緊張が和らいだと思ったばかりだったのにまた鼓動が跳ね上がる。体に悪い。

竦みそうになる足を奮い立たせて、開け放たれたドアまで歩いていく。


「行ってらっしゃいませ、リアナ様」

「うん、行って来るね」


オリビアに見送られて、私はこの城に来て八日目にしてようやく自分の部屋から外に出ることが出来た。

執事とはいえ、初対面の男性と二人きりで歩くのは少し緊張する。何か話を振った方がいいのかしら。


「緊張していらっしゃいますか」

「はい。まだきちんとご挨拶も出来ていませんでしたから」


流石公爵専任の執事。声を掛けるべきかと思ったタイミングで話しかけて来るとは。察し能力が高過ぎて、何もかも見透かされそう。


「旦那様のことは色々と噂を耳にされているかもしれませんが、真偽はご自身の目でお確かめください」

「……お優しい方ですとか、素敵な人ですとか、言って下さらないんですか?」


お世辞にも褒められる方ではないということだろうかと、不安になって聞くとセバスチャンは少しだけ私を振り返ってにこりと笑った。


「それも、奥様自身で確かめられたらよろしいかと」


南の塔を下り、中央の広い玄関を通り抜けて(但し城の全体像を把握できていないので本当に中央かどうかは分からない)、廊下を歩いていくと一つのドアの前で立ち止まった。


「こちらで旦那様がお待ちです」


そうセバスチャンは説明すると、一歩二歩と扉から下がってしまう。自分で声を掛けろということらしい。面接か?

覚悟を決めて、細く長い息を吐き出して、ドアを二回ノックした。


「失礼しますローレンス卿、リアナです」

「どうぞ」


中からの返事を聞いてから、セバスチャンがドアを開けてくれた。促されて中に入ると広くて綺麗な部屋……ではなく、広い部屋にみっしりと書物が詰め込まれた空間だった。

公爵の私室というよりは書庫みたい。このまま図書館でも本屋さんでも出来そうなくらい。

そんな光景の中、ソファに腰掛けて本に目を落とすローレンス卿の姿は絵画のように美しかった。思わず口を開いたまま見惚れてしまいそう。

なんて感想を抱いている場合ではない。私は赤いドレスの裾をつまみ、片足を半歩下げて頭を下げて挨拶をする。カーテシーというやつ。


「改めまして、エドワーズ伯爵家より参りました、リアナです。ローレンス卿にこのようなご縁を頂き光栄に思っています」

「長い間お待たせして申し訳ありません。ヴェール・ローレンスです。あなたのような素敵な女性に方に来ていただけて嬉しい限りです」


本を閉じて立ち上がり、そう言ってくれるローレンス卿の姿はまぶしいほどに美しい。

アイドルというよりはモデル、海外俳優のようだ。背は高く、黄色い目に合わせたかのような金色の長い髪が後ろで結ばれて、顔は非の打ち所がない整い方をしている。


「ローレンス卿……その……」

「卿はやめてください。私はあなたの夫となるのですから」


夫と言われてハッと息を呑む。握手をして隣で写真を撮るにはいくら払えばいいですかというレベルの男性が、私の夫になるらしい。

何だかこの部屋に来るまでに、様々な苦労や心配事や不安があった気がする。だけどそんなことどうでもいい。脳から色んな興奮剤が出て、いらない感情を排除してくれる。


「ヴェールと呼んでください」

「では……ヴェール様」

「リアナ」


うわーーーーー!

と叫ばなかった私を誰か褒めて。こんな美の暴力に笑顔で名前を呼ばれて、発狂せずにいる自分が偉すぎる。本当なら奇声をあげて廊下を走り回って、最終的に床でのたうちながらネットに嗚咽を書き込みたい。

無いものとして諦めていたし望んでもいなかったけれど、今初めて手元にSNSがないことが悔しい。ツーショを撮って、現世では死んじゃったけど本の中に転生してイケメン公爵様の妻になりました。って投稿したい。そして多くの人たちに嫉妬されたい。


「何日も狭い部屋に閉じ込めるような真似をしてすみません。不安にさせましたよね」

「いえ……何かご事情がおありなんですよね?」


申し訳なさそうに眉尻を下げて謝るものだから、問い詰めたい気持ちを抑えてやんわりと聞き返す。


「……ここでの暮らしはどうですか。何か不便なことはありませんか」


物凄い話の逸らし方をされた。事情かなにか分からないけれど、監禁していた理由を言うつもりはないということかしら。


「南の塔は日当たりも景色もいいですし、窓から見える庭園もとても素敵でずっと見ていても飽きません。オリビアも優しくて、とても過ごしやすくて感謝しています」

「庭園を気に入ってくれましたか。あそこはうちの庭師がしっかりと管理していて、一年中綺麗に保たれているんですよ」


素敵な言葉に聞こえるけど、まさかこれからもずっとあの部屋に閉じ込めておくよっていう宣言ではないよね?


「良ければ今から庭園に散歩に行きませんか?」

「いいんですか!?」


それはかなり嬉しい。こちらの世界に来てからというもの外の土を踏む機会は殆どなかったし、見目麗しき旦那様と綺麗な庭園を歩くというだけで胸が高鳴る。


「フフッ」

「な、なんですか?」

「いえ、急に素直になったなと思って……そちらの笑った顔の方が可愛いですよ」


は、恥ずかしい……。面と向かって可愛いと言われるのって、嬉しいけれど恥ずかしい……!

これはリアナだからじゃない。私自身、男性にそんなことを言われることに免疫がないせいだ。落ち着きかけた脳内麻薬が再びぶわっと出て何も考えられなくなりそう。


「どうしました? 顔が真っ赤ですよ」

「!」


ヴェール様の手が頬に触れて、叫びそうになるのを全身に力を入れて我慢する。今更ながらこの人と結婚するんだと思ったら、その事実だけで気絶しそう。


「熱ですか? 休んだ方がいいのでは」

「だ、大丈夫です……」

「しかし顔が赤いし熱を持っているようですが」

「……ヴェール様のような素敵な方に可愛いなんて言われたら、誰だってこうなります……」


消え入りそうな声で正直に白状すると、ヴェール様は一旦両目を見開いて驚いたような反応をみせてから、フフ、と笑った。


「では行きましょうか」

「はい」


手を差し出されたので、自分の手を乗せて頷いた。すごい、この動作一つだけでお姫様になったみたい。

手袋があってよかった。直に触れていたら正気を保てなかったかもしれない。

城の通路を歩いている間、ヴェール様は一言も喋らなかったので私も言葉を発しなかった。というより、私自身はその間にどうにか鼓動を落ち着けて、冷静さを取り戻すことに必死だった。


窓から毎日見下ろしていた庭園は、目の前にしてみると想像以上に広く大きく立派で、綺麗だった。様々な花が咲き誇って甘い香りが漂っている。

こんなに素敵な空間なら、ヴェール様が誰かに見せたくなる気持ちも十分に理解できる。楽しい。目に映るもの全てが新鮮で感動する。


「気に入ってくれましたか」

「はい、窓から見るのも素敵ですけど、こうして中を歩いて目の前に広がる光景を見ると感動します」


前の世界では、それほど草花に気を配って生きてはいなかった。代表的な花以外は殆ど名前も分からない。

けれど娯楽の少ないこの世界では、花を愛でることがどれだけ癒しになるか今なら理解できる。


「これほどの多様な植物を管理の行き届いた状態にしておくのは、相当の技術が必要なのではないでしょうか」


どの花を見ても今が見頃だと言わんばかりに咲き誇っているけれど、ここまで種類の違う花を同時に開花させるのは大変なんじゃないかしら。

どう育てて管理したらこんな風になるのだろうと純粋な疑問が湧いた。


「うちの庭師は魔法が使えるんですよ」

「魔法が使えるんですか?」


思いもよらない返答に、オウム返しで聞き返してしまった。


「魔法使いにも様々な特性があることはご存知ですか?」

「はい」


それは勿論、この世界の小説【オリヴィエと魔法の冒険譚】を読んでいたので知っている。

魔法が使えるのは世界人口のほんの数パーセント、魔力を持った人間に限られている。更に魔力量から魔力の質まで、一人一人違っていて一言に魔法使いと言っても扱える魔法がみんな違うのだ。

肉体を強化する魔法、天候を少しだけ操れる魔法、動物と話せる魔法、病気を治せる魔法……主人公オリヴィエは、冒険の最中に沢山の魔法使いと出会っていた。


「ここの庭師は、植物と心を通わせる魔法が使えるんです」

「植物と……それはとても便利そうですね」

「その通りです。庭園の管理以外にも、野菜や薬草も育てています」


なるほど、それはかなり有用な人材だわ。使用人に魔法使いを雇えるなんて流石公爵家。いえ、公爵家だからこそ、魔法使いを雇えるのかしら。


「リアナは観察眼が鋭いですね」

「え……そうですか?」

「今までこの庭園に来た外部の方で、花の咲き方に疑問を持った方は一人もいませんでしたから」


しまった。ただ綺麗な花を見て純粋に楽しめばよかったのに、つい職人側のことが気になってしまった。

前の世界でバリバリの労働者側だったからだ。今の私は未成年の貴族令嬢、そしてもうすぐ公爵夫人。水仕事だってしたことはないし箸より重いものは持たない。庭師の仕事に興味なんて持たなくていいのに。


「……余計なことを口にしてしまったようですみません」


でもそれってちょっとつまらない。


「とんでもない。私は褒めたつもりで言ったのですが、責めたように聞こえていたらすみません」

「ヴェール様はとてもお優しいんですね」


申し訳なさそうに言うと、ヴェール様は少し困ったように笑った。

庭園の中を一通り見て回ると、見覚えのある草花と全くないものの両方があることが分かった。

私の知識不足なのかこの世界にしかない花なのかを知りたくて、特に気になった赤い花の名前をヴェール様に尋ねたら「ケシです」と言われて思わず自分の頬を叩いてしまった。


庭園の中に置かれた椅子に座ると、セバスチャンがお茶を用意してくれて喉を潤す。緊張しっぱなしだったせいか、気付けば喉がカラカラに乾いていた。


「リアナ、一つ聞いてもいいですか」

「はい」


お茶の効果で少しばかりリラックスできたお陰で、何も身構えずに頷くと、ヴェール様の口から想像もしない言葉が飛び出した。


「私はジュリエット・エドワーズに縁談を持ちかけたのに、何故妹のあなたが来たのですか?」


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