53 赤い魔物の目
「……――ということらしく、私のこの赤い目は対峙した相手の感情と記憶を意識的に引き受けるだけではなく、蓄積したものを放出する力もあるそうなのです」
私たちは、お姉さまの使い鳥ミンチョウが持って来てくれた情報を共有するために、一度食堂に集まっていた。
お姉さまもヴェール様も、使用人たちには言わなくていいのではと言ってくれたけど、私は隠し事はしたくなかった。
もし長年引き受け続けた感情が、自分の意思ではなく突然限界を迎えて外に出ていくのだとしたら、私もいつかここの人たちを傷付けてしまう可能性だってある。
怖がられたって距離を置かれたっていい。知っていて事故に遭うのと知らずに遭うのでは全然違うから。
主要な使用人を集めて私とお姉さまの言葉で赤い目の持つ力について説明すると、流石に室内に動揺が走ったのが見て取れた。
それでもセバスチャンとオリビアだけは表情を変えず、一つ頷いただけなのは肝が据わりすぎていて逆に私が心配になる。
でもそもそもヴェール様に生涯仕えることを考えると、危険性は同じ……いや二倍だわ。
「前から思っていたのですが、リアナの目の力は光の盾の能力と少し似ていますね」
「え……」
「確かにそうね。全然気が付かなかったわ」
みんなが黙って次の言葉が見つからない中で、静寂を破って言ったヴェール様の言葉に驚いた。次いで頷くお姉さまと同じように、少し考えてみると確かに同じだった。
人から感情を吸い上げて自分の中に溜め込む。そして限界が来たら外に出さずにはいられない。
ただ私は個人からしか引き受けられないし、強いものなら負の感情に限らないし、一緒に記憶までついてくる。一方でヴェール様は引き受けている間は何も感じないという違いはあるけれど。
「ああ、それですか。何だか聞いている途中から強い既視感のようなものがあって何だろうと思っていました」
セバスチャンが言うと、オリビアがおずおずと挙手をして発言権を求める。
「私も聞いていて、旦那様のお力と似ていると思いました。ですが、理解できない点があります。リアナ様は感情と記憶を引き受けている間、あれほどお辛い思いをされているのに、消えずに蓄積され続けるというのは何だか妙な話だと思います。旦那様の浄化に苦痛が伴うのと同じように、リアナ様は三日も昏倒されていたではありませんか」
そうオリビアに言われて、今度は私たちが驚く番だった。あまりに的確な指摘に、ヴェール様とお姉さまと交互に目を合わせながら混乱した。
確かに引き受けた際の強い感情に引きずられる感覚と記憶を覗き見る行為が浄化でないのならば、一体何だというのだろう。
「……分からない。全然分からないわ! リアナ、あなたはどう思う? いえ感じるだけでもいいわ」
お姉さまに振られて、全員の目が私に向けられる。私の赤い目の話を聞いても尚、全員が私の顔を見ていることに素直に驚くし、有難いと思う。
この城で働く人たちの気持ちに答えたい。でも実際の所は何も分からない。
「私のこの目の力は、魔法とは別物らしいです。何度調べてみても私には魔力が無くて、不思議なことは何も出来ない筈なんです。でも、この目は魔物の目だからと、そう言い切ってしまえばこれ以上考える必要もなくなると思っています。魔物には人間の摂理や、考え、常識は当てはまりません……」
そうだ……そうだったんだ。
皆の前で言葉にしてみてやっとわかった。私は人間として、大人としての自分の常識でこの目の力を縛ってたんだ!
きっと外国にいた赤目の魔女も、そのことに気が付いたんだ。縛りから解放されたんだ。
「ヴェール様の苦しみを変わってあげたいと思ったから……それが自分の力だと思い込んだから…………?」
物凄い気付きを得た気がして、手が震えて動悸がする。でもまだ分からないことはある。落ち着いて整理して考えたい。
ああでも、一つ思いついたことはある。私自身を魔物そのものだと仮定して考えれば……
「リアナ……何か気付いたのですね?」
隣に座るヴェール様に、小さく頷き返して席を立った。
「この中に、私の目を怖いと、気味が悪いと思っている人はいませんか?」
聞きながら室内を見回すけれど、誰も手を上げる人はいない。
「ちょっとリアナ、そんなの答える人いるわけないでしょ」
「一度も怖いと思ったことが無い人は、殆どいないと思っています。私自身今でも鏡を見てこの血のような赤い色に驚くことがあります。別に怖がることは悪いことだとは思いません」
お姉さまが止めようとするのを更に制止して言葉を続けると、少し居心地が悪そうな人が出て来る。
「これはただの推測ですが…………いえ、今はまだ言うのはやめておきましょう。少し考えたいことが出来たので、中途半端ですみませんがこれで終わりにします。忙しいのに集まって下さってありがとうございました!」
会議を終えた司会進行みたいな気持ちで頭を下げそうになって、寸前で自分の立場を思い出してお辞儀をやめた。危ない危ない。一応この城ではヴェール様の次には偉いんだった。
偉いわよね?
とりあえずそれだけ言うと、私は一番に食堂から出て真っ直ぐ南の塔の自分の部屋へ走った。とにかく今は人のいない所でじっくり考えたい。
魔物がどうやって人の動きを止めるのか。そこに畏れや恐怖は本当に必要なのか。私にもそれが可能なのか、思考を整理したい。
「リアナ、私もついて行ってもいいですか? 居ては邪魔ですか?」
自分の首に着いた縄を解いてもらってから直ぐに追って来てくれたらしいヴェール様が、私の隣に併走して聞いてくれる。
自分で縄を咥えてこんなに慌てて着いて来てくれているのに、私に要か不要か聞いてくれるなんてどれだけ出来た人なのだろう。
一人で考えたい気持ちもあるけれど、誰かと意見交換をしながらならもっと早く思考が進む。それも相手がヴェール様なら尚更。
「お願いします。一緒に考えて下さい!」
もし、この目の力を思った通りに使えるようになったら。国王の心の中まで覗き見ることも、その地位から引き摺り下ろすことも何でも可能になる。
興奮と緊張で口元がにやけてくるのを服の袖で隠していると、一つあることが思い浮かんだ。
「ヴェール様、実験をしてみてもいいですか」
「……? どうぞ」
「これから私がヴェール様に一つ命令を口にしますが、その命令には従わないで下さい」
「分かりました」
一緒に長い通路を走りながら、腰のあたりまでの高さしかないヴェール様を見ると、顔を見上げて見返してくれる。そうして金色の目と視線が交わった瞬間を狙って言った。
「動くな」
魔物が人間を襲う時、相手を金縛り状態にするのは逃げなければという強い感情を奪っているからだと思われていた。だけど実際はそうじゃないんじゃないかということに気が付いた。
その目で睨まれて命令されて、体が動かなくなるんじゃないか。そう思ってヴェール様に向かって失礼ながらもそう口にした。
「……動いていていいんですよね?」
「はい……すみません……大変失礼なことを」
ヴェール様は何でもない顔をして、というより私のよく分からない命令を不思議に思いながら、そのまま並んで走り続けてを南の塔の部屋まで戻り着いた。
私はまだ人間の尺度で考えているのかもしれない。




