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49 湿った右手


なんだか手元が生暖かくてくすぐったくて、たまに熱い空気が触れて温かくてその直後に何だかひんやりして、まるで犬に舐められているような湿り気が……


「タロー!」


そうだ、飼ってた犬の名前はタローだ。どうしてそんな大切なことを思い出せなかったのだろう。沢山可愛がったのに、兄弟みたいに育ったのに。


「リアナ様、大丈夫ですか!」

「リアナ!」


呼ばれたその名前が自分のものだと気付くのに一瞬時間が掛かって、ハッとして起き上がった。そうだここはローレンス城で私はリアナ・ローレンス。

夢の中で犬に舐められでもしていたのか、前の世界の記憶が蘇って混乱した。もうあちらに私の命は無いし、タローも大分昔に看取ったのにどうして今更、と右手を見るとしっかりとぐっしょり濡れていた。


「ひぁっ!? なんで!?」


どうして濡れているのか分からず慌てて辺りを見回すと、ベッドのすぐ隣に獣姿のヴェール様がこちらを見上げて座っていた。しかも冷静になってみれば、ここはもう檻の中ではなくてヴェール様の寝室だ。

すぐにオリビアが背中を支えてくれて、ゆっくりとした動作でベッドから足を下ろす。きっと気を失った私を運ぶのに、南の塔は遠すぎるからここになったのね。

既に結婚していてよかった。婚約者とは言え未婚で殿方のベッドに上がるなんて真似出来ないものね。なんて全然考える必要のないことが頭に浮かぶ。


「リアナ、お願いだから心配させないでくれ」


ヴェール様の声で現実逃避から引き戻されて顔を向ける。当たり前のように檻の中から出ている光景に、思わず笑みがこぼれた。

反射的にその頭を撫でようとして、再び右手がべっちょりと濡れていることを思い出した。意識のない私の手をずっと舐めていて下さったのはヴェール様だったんだ。

その優しさと、やっぱりちょっと外見に行動が引きずられているのが面白くて、かわいい。


「すみません、慣れた筈だったのに意識を失うなんて……」


何でもない顔をしてヴェール様を安心させるつもりが失敗した。引き受けた感情と記憶が強烈過ぎて、負担が掛かり過ぎたんだわ。

練習台になって下さったお姉さまや、お父様、門番、セバスチャンとは全然違う恐ろしい記憶。


「……あれが、この国の王なんですね」


嘘八百の噂を流して自らの国民に不安を与えるような王になんて、何も期待していなかったし酷い人間なのだろうという想像もしていた。だけど。


「思っていた以上に酷い」

「……この国の光の剣である者の醜い姿も、それに逆らえない私も、見せたくなかった」

「ヴェール様が見られたくないと思われる気持ちは分かります。でも私は……あれ……?」

「え?」


私、前にもプラントル国王とヴェール様のやり取りを見てる?

あ、見た。あ、そう、そうだ、急に思い出して来た。ヴェール様が婚姻の報告をしているところを、見たことがある。


「ああっ! 思い出しました、以前……初めてこの目の力が働いた時に、ヴェール様の苦痛と共に記憶も見ていたんでした。ああ、どうして忘れてしまっていたの」


話の前後がぴったり繋がった。呪われた嫁を貰った話から、ヴェール様の美しい顔が苦痛に歪む姿を見たいと、浄化中の醜い獣の姿が見たいと牢に閉じ込めるまで。そしてさっき見た、牢屋での数日間と浄化が終わるまで。

ヴェール様が留守にしていらした三週間、あんな辛い目に遭われていたなんて今の今まで知らなかった。お仕事がお忙しいのだとばかり思っていたのに、何もさせてもらえずただ牢屋に閉じ込められていただなんて。

悔しくて悲しくて、泣きたくないのに涙があふれて零れ落ちていく。どうしてこんなに真面目で誠実で辛い仕事だって誇りを持ってこなしている方が、見た目のせいで国王にここまで嫌われなければならないの?

あまりにバカげた理由も、そのことに対する仕打ちも酷過ぎる。


「リアナ……あなたは優し過ぎる。そんなに私のことで心を痛めないで下さい」

「痛めます……ヴェール様は、私の愛するたった一人の旦那様なんですから……」


一度泣き始めたら止まらなくなって両手で拭っても足りずにいたら、ベッドの上に飛び乗ったヴェール様に頬を舐められた。心配するように、労わるように何度も舐められて思わずその体を抱き抱える。背中に腕を回そうとして、首輪と縄がついていることに気が付いた。

そうだった。ここはもう檻の中じゃないんだ。


「よかった、檻から出られたんですね」

「リアナに多くの負担を掛けてしまったことは後悔していますが……引き受けてもらっただけの効果はありました」


ヴェール様が顔を上げて首元を伸ばして革製の首輪を見せてくれる。そして首輪から伸びた縄が柱に括りつけられていた。

その光景に、先程まで見ていたヴェール様の記憶が蘇って心臓が手で鷲掴まれたみたいに痛くなる。あんな目に遭わされたら怖くなるに決まってる。息が出来なくなる程縄が食い込んで、体の自由がきかない状態で鞭で打たれて……。

思い出すだけで気分が悪くなる。自分で体験したことではないのに体が竦んでしまうのは、それだけ恐怖の度合いが大きかったのかもしれない。だけど、ヴェール様に心配を掛けないように何でもない顔をする。


「私の中の恐怖をリアナが引き受けてくれたお陰です。ありがとうございます。これならいつ私が自我を失っても、みんながこの縄の届かない範囲に逃げてくれたらいい」

「……本当に、もう怖くはないのですか?」

「完全にという訳ではありませんが、こうしていても普通でいられます。あの時と今とは違うとハッキリ認識出来るので大丈夫です」


ヴェール様の目が檻の中で見るより輝いて見えるのは、ただあの場より明るい場所に移動してきたからというだけではないと思いたい。

私は役に立てているのだと、自惚れてもいいのかな。ヴェール様の苦痛を和らげる手伝いが出来ているって、思ってもいいのかな。

あの人として終わっている国王をどうしたらいいのか、ヴェール様が元に戻るにはどうしたらいいのか、問題は山積みだけど、半歩くらいは前に進んだって思ってもいい?


「そうだヴェール様、折角檻の外に出られたので一つやりたいことがあるのですが」

「私がですか? 出来る事なら協力しますが何ですか?」

「……全身洗わせてください!」


これだけは絶対にやりたくて今すぐにでもと思いベッドから立ち上がって力強く言うと、ヴェール様は固まって、それから俯いて耳が垂れ下がってしまった。


「もしかして、臭いですか、私」


ドキッ、ばれ……まだ大丈夫、全然大丈夫。


「違いますよ。ヴェール様のこの毛並み、きっと洗ってブラッシングしたら、今よりずっとふわふわになって手触りがよくなると思うんです。金色の毛が更に美しくなる所を見たいなあってずっと思ってて」

「……リアナがそうしたいならどうぞ。リアナには助けてもらってばかりなので、こんなことでいいならいくらでも好きにしてください」


そう快諾してくれたものの、ヴェール様はまだ私に疑いの目を向けていて、こちらも苦笑いで返すしか出来なかった。

獣臭がするのはヴェール様のせいではないと思うけれど、だからといってやっぱり直接そうとは言えない。はは。でも絶対洗いたいのでこちらも意思は曲げなかった。

静かに気配を消して、私たちのやり取りを見守ってくれていたオリビアに視線を向ける。


「どうせなら外でがいいわ。庭にタライと温かいお湯を用意してもらえる?」

「畏まりました。準備が出来ましたらお呼びいたします」


オリビアが出ていくと私たちは二人きりになった。

再会してから二人きりになるのは初めてで、嬉しくて少し緊張して、少しの間沈黙した後お互い見つめ合って笑いあった。


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