41 セバスチャンの感情と記憶②
「先程はすみませんでした。旦那様の前で弱い姿を見せてはいけないときつく言われていたのに。申し訳ございません」
あの後旦那様が目を覚まされることはなく、かといって獣の性が目覚め暴れるわけでもなく、ただ気を失い眠り続けていた。
旦那様の体力はもう限界だということだ。旦那様の中に眠る獣さえも連日の浄化に疲れ果てている。これが更に続けばどうなる?
負の感情の集約を止める手段はない。そして限界量を越えれば勝手に浄化が始まる。生きているだけで心臓が動き呼吸をするのと同じだ。どうすることも出来ない。
だからといって、このまま何もしないわけにはいられない。
旦那様の監視をオリビアと数名の使用人に任せて、私はカイルから話を聞くために私室に戻り向かい合って座った。
「過ぎたことはもう結構です。それより報告を聞かせてください」
カイルだけを責めることは出来ない。私も追い詰められていたし、城の使用人全員が疲弊している。体力面も精神面もだ。
けれど一番お辛い思いをされているのは間違いなく旦那様なのだから、我々が先に潰れてしまう訳にはいかない。
「僕が向かったのは、リュミエールの中心都市イストワールでした。そこで旅人を装い様々な人に話を聞いたのですが、酷いものでした」
「一体どう酷いのですか」
聞き返すと、カイルは口に出すのも憚られるのですが、と前置きをしてから話し出した。
「……今国民の間では、呪われた公爵が呪われた赤目の令嬢と結婚して、二人で国家転覆を企んでいる。という類の噂で持ちきりのようです」
「何?」
「勿論旦那様と奥……リアナ様のことですよね。二人がこの国を呪っているとか、赤目の女は人と魔物の間に生まれた魔女だとか、その魔女が公爵を操っているとか……他にも凶作が続いていることや、洪水、病気などこの国で起こる悪いことは全て呪われた公爵のせいだという話です」
十代半ばからローレンス家にお仕えして、何十年経っただろう。先代の大旦那様が光の盾としてこの国の平和を守るために命を削り、負の感情を一身に背負っているところからずっと見てきた。
お子様がお産まれになってからは、教育係兼専任の執事としてヴェール様にお仕えするようになった。そのことは大変名誉で嬉しい出世ではあったものの、ヴェール様の成長を見守る過程で、この子がいずれ光の盾を継ぎ、獣となり負の感情にまみれることになってしまうのだと考えて、何度一人で泣いたか分からない。
ローレンス公爵の最期は必ずと言っていいほど、獣の性に負け気を狂わせて終わる。この美しく優しい子もやはり最後は孤独になってしまうのかと、気に病んだ時期は長かった。
それでも仕え続けられたのは、ローレンスの方々が自らの仕事を誇りに持ち、この国を支え栄えさせているのだという自信に満ちていたからだった。
「誰がそんな……バカげた話を……!」
一気に頭に血が上る。胸が苦しくて、年甲斐もなく涙が零れてしまった。泣く行為自体何年ぶりかもわからない。それほど悔しくて悲しくて、同時に怒りが沸き上がって来る。
「酷いですよね。僕も向こうで初めて話を聞いた時、思わず違うって叫んじゃいました」
カイルにハンカチを差し出されたので、受け取って目元を拭いた。勿論それくらい持ち合わせているが、将来の執事候補を育てる身としては素直に受け取りこの動作を覚えさせるべきだと判断した。
「イストワールは王宮も近く貴族や富裕層が多いため、噂を知っていてもそれほど不安に駆られているわけではありませんでした。ですが帰り道に寄った農村地帯なんかは、近年の不作を目の当たりにしているせいか真に受けている人が多かったですね」
「……旦那様は、根も葉もない噂によって国民が旦那様に向ける不安や憤りなどの負の感情を回収し続けて、苦しまれているというのですね」
「僕の調べた限りでは、そうです」
話を聞き終わる頃には涙は止まっていたけれど、代わりにはらわたが煮えくり返りそうだった。
恐らく既に国内中にこの噂は広がっている。そうでなければ旦那様があれほど頻繁に浄化しなければ追いつかない程に国民の不安は増えないだろう。
あくまで噂程度で留まり暴動に発展していないのは、それこそ負の感情の回収がされているためだ。回収が続く限りは誰も彼も不安に思う以上のことにはならない。
「光の盾がこの国でどのような役割を果たしているのかを、明確に知っている者の犯行ですね」
旦那様に負担を掛け続けることが目的か。それこそ光の盾ローレンス公爵家の血脈を途絶えさせ国家転覆を狙っている者の仕業だろうか。
「噂の出所も突き止めて来ました。ですが……僕はこのことを旦那様の耳に入れるのが恐ろしくて、報告出来そうにありません」
「どういうことです」
「……噂を流しているのは、王宮です」
「馬鹿な!」




