39 原因
「旦那様、奥様がお戻りになられましたよ。分かりますか?」
セバスチャンが獣に声を掛けると、耳がぴくりと動いて僅かながら反応を示した。でも何も言わないし態度も変わらない。
狼と熊が混じったような姿をしているのは以前と変わらないけれど、よくよく観察していると大きさが少し縮んでいる気がする。
以前は二本足で立ち上がれば人間の姿のヴェール様よりも大きくて、私なんて遥か頭上から見下ろされていたのに、今は大型犬くらいしかない。
サイズダウンして瘴気も纏わず人語も話さない、この獣は一体何なのだろう。
「……どこからお話いたしましょう。結論から申し上げますと、旦那様がこのような状態になられてしまった原因こそが、プラントル国王なのです」
「…………え? 国王様に何かあったということですか。ご病気ですか? まさか」
思わず最悪な事態を考えてしまう。
リュミエールの光の剣と盾は、いつでも揃っていなければならない。国王の剣で国内を照らし魔物を寄せ付けず、公爵の盾で国民の不安を取り除き平和を保つ。
もし国王が剣としての役目を果たせなくなってしまったら、その仕事を継ぐお世継ぎがいなければ、他国のように国内に魔物が湧き出てくるようになってしまう。
そうなれば今まで魔物など見たこともないリュミエールの国民は、きっと大きな恐怖と混乱いう名の負の感情を大量に排出することになる。それこそヴェール様一人では回収しきれないほどに。
でも魔物が出たとしたらお姉さまの耳には確実に入っている筈だし、そのことを私に黙っている意味なんてない。だからこの仮説はきっと違う。じゃあ何?
「我々が何と説明しても、歪んだ主観が入ってしまうと思われるので全ては信じて頂かなくて結構なのですが……現プラントル国王は、旦那様をお嫌いなのです」
「嫌いというか、旦那様の容姿に嫉妬しているのです。旦那様の美しさと比べられてしまうのは不幸なことだと思いますが、国王様は本当に並の容姿ですから」
ん?
「ちょっと待って、話が急に……」
ずっとシリアスだったのに急に頭が悪くない!?
国王がヴェール様を嫌いだから、こうなった? しかも公爵としての仕事ぶりがとか、光の盾としての才能の無さに呆れてとかではなく、容姿に嫉妬? どういうこと?
確かにヴェール様は美しい。眩しくて直視するのも戸惑ってしまうほどに。もし呪われた公爵なんて地位でなかったら、夫人になりたい令嬢はいくらでもいたに違いない。それこそ私になんて声が掛かる暇もないくらいに。
とそれはまあ置いといて、ヴェール様と比べてしまうと確かに国王は普通だ。肖像画でしか見たことはないけれど、普通に立派な地位と権力のある顔をしたおじさんだったと思う。しかも結婚の報告から帰って来たヴェール様が、立派な髭を蓄えていたと教えてくれた。
ではますます王としての威厳ある姿になっている筈。見目麗しいかどうかはさておき。というかそもそもヴェール様とは年齢が違う……けど同年代だったとしても差は歴然。
「逆に、ある……かも」
「国の頂点に立つプラントル王に肩を並べられるのは、共にリュミエールを建国したローレンス公爵のみ。その唯一の存在の容姿が自分と大きく異なっている。それも国王であるご自身の方が劣ってることが、ご不満だったようなのです」
勿論外見に優劣などつけられるものではありませんが。とセバスチャンは付け足したけれど、実に薄っぺらな建前だなと思う。
例えば何か大きな式典で、光の剣と盾の二人が並び立つことはあるだろう。けれど二人の姿を見た国民の熱い視線が王ではなく、隣の公爵にばかり注がれていたとしたら。貴婦人の黄色い悲鳴のその先にいるのが、王ではなく公爵だったとしたら。
もし容姿以外の部分で王が公爵に負けていたとしても、それは殆どの国民には伝わることはない。けれど外見だけは、変えることが出来ない上に一目で誰の目にも明らかになってしまう。
「……あれ……? 私、プラントル国王を見たことがある……?」
頭の中で国王の肖像画を思い浮かべながら、そこに立派と思われる髭をいくつか付け替えていたら何だか見たことのある顔になった。
「え? 肖像画じゃなくて?」
「……あ、ううん、何でもないです。なんとなく理解できたので話の続きを」
オリヴィエお姉さまに驚かれて、そんなわけないかと首を振った。結婚のご挨拶にすら伺わなかったくらいだし、この赤い目を国王様の前で晒すわけがない。
髭を生やした肖像画を見たことがあるか、ヴェール様と話した時に一度想像したのが頭に残っていたのかもしれない。
「国王は旦那様に負担を掛けたかったのだと思います。いえ、明確にそういう意図がありました。国民の負の感情を煽り光の盾としての仕事を絶え間なく続けさせて……とうとう、浄化も回収も間に合わない事態に追い込まれてしまったのです」
セバスチャンが口元を抑えて、目を閉じて眉を顰める。今にも嗚咽して泣き出してしまいそうなのをどうにか耐えているような表情だ。
今こうして回収が止まった状態でヴェール様が分裂してしまうに至るまでに、どれだけ酷いことがあったのだろう。
そうだ、結局名前を知ることもなかった小さな村の人間でさえ私のことを知っていた。あれはそういうことだったんだ。
「呪われた公爵に呪われた令嬢……お前らがこの国を終わらせる悪魔だな……」
「リアナ様、その言葉をどこで」
ハッと息を飲んでオリビアに問い掛けられて、ここへ来る途中で立ち寄った村で言われた言葉だと説明した。
「凶作が続くのは光の盾公爵が呪われているせいだ。今の公爵はまともに仕事をしていない上に、最近は呪われた令嬢を娶ってこの国を終わらせることを目論んでいるという噂だ。そう徴税人が村の人たちに教えたそうよ」
色んな点と点が結びついて来た。そう、そういうことなのね。
「うっ……酷い、旦那様はこの国をより良くするためにいつでもご尽力なさっているのに……まともに仕事をしていないのは国王の方なのに……」
「セバスチャン、一つお願いがあります」
「何でしょうか」
「あなたのその悲しみの感情と記憶、私に見せて下さい」




