37 経緯
セバスチャンの淹れてくれたお茶を飲むのは久しぶりで、本当は味わいながら一息つきたい所だったけれどそうもいかない。
ただ喉を潤し水分補給をするためだけに飲み込んで、私たち姉妹は二人と膝を突き合わせる距離で事の経緯を聞いた。
ここにいるのは執事長、メイド長、冒険者、そして今は元公爵夫人。なんとも奇妙な組み合わせだ。だけど誰もそんなことは気にしていない。
「逸る気持ちは理解できますが、混乱があるといけませんので順を追って説明させてください」
セバスチャンはそう言うと、時を遡りヴェール様が私を実家に帰すに至った経緯について話し始めた。内容は概ね想像通りだし、ヴェール様本人と直接話し合った事柄も含まれていた。
簡単にまとめると、私の赤目には対象から痛みを自身に移し替える能力があるのではないか。今はまだ無自覚だがいずれその能力を使いこなすようになれば、私の性格であればヴェール様の苦痛を取り除こうと自らを犠牲にしてしまうのではないかと、懸念した故の行動だったという。
「旦那様は奥様のことを、深く深く愛していらっしゃるのです。そして奥様が旦那様の為にご自分を犠牲になさる方であることも、理解されていました。それ故に旦那様は、貴方様と距離を置くことを決意なされたのです」
「……そうなのでしょうね。私はヴェール様が浄化の際に苦しんでおられれば、何度だってこの目の力を使ったと思います。でもそれがヴェール様を悲しませることになることまでは、あの頃は考えていませんでした」
だけど気付いたからこそ私はエドワーズ家から逃げ出さずに、ひたすらお姉さまと力を使いこなし強める訓練をしてきた。もう殆ど自在に力を使えるようになったけれど、それでもまだ魔物のように相手の抱く感情を消してしまえるところまでは辿り着けていない。
「奥様はやはりとても聡明でいらっしゃる。何も言わずとも、いずれ帰した理由を分かってくれると旦那様が仰っていました」
「いやいやいやいや……説明してほしかったですよ。正直どうして捨てられたのか分からなくて、推理はしてみても結局都合の良い妄想なのではと絶望していましたから」
ああ、思わず漏れ出た本音。まあいいや。ここにヴェール様はいらっしゃらないし。
何も知らされていなかったオリビアはともかく、全てを知って共に計画を立てたセバスチャンに対しては、結構怒ってるんだからね。これくらい言ったって許されるでしょう。
「申し訳ございません……」
私も年甲斐もなく口角を下げて、自分の何倍生きているか考えたくもない相手の頭頂部を見た。流石に薄くて頭皮が見える。
ああいけない。そんなどうでもいいことを考えている場合じゃないし、腹を立てている暇だってない。冷静にならなくちゃ。
「……それで、肝心のリアナをエドワーズの実家に帰した後の話が聞きたいのですが」
話を進めるために、苛々している私の代わりにお姉さまが先を促してくれた。ありがとうオリヴィエお姉さま。
「はい。問題はここからです……。旦那様にはどうしても跡継ぎが必要でした。奥様とは事実上離婚されたので、別の女性をということです。ああ、ですがご安心ください。旦那様はリアナ様以外の女性とは一度も夜を共にしておりません。
旦那様は、もうリアナ様以上の方が現れることはないと理解されていました。ですが、分かっていても納得できなかったのだと思います。どの女性も一目見るなり追い返してしまい、縁談は遅々として進みませんでした」
そこまで一気に話すと、セバスチャンはふぅと一息ついた。そして次を話し出そうとして口を開くものの、内容を選んでいるのか中々言葉が出てこない。
「続きは私が。旦那様はリアナ様を帰してしまったことを酷く後悔なさっていました。ですがやはり一緒になるわけにはいかないと、連れ戻すために動くことはしませんでした。
リアナ様がいらっしゃる前の日常に戻っただけだと旦那様は事あるごとに口にされていましたが、全く違います。旦那様は愛を知ってしまったことで、失ったものの大きさに耐えられなくなっていました。
旦那様はリュミエール国民の負の感情を回収されますが、光の剣と盾である王とご自身のものだけは回収できません。そのことがどれほど辛いのか、私とセバスチャンには想像する事しか出来ませんでした」
本当に喪失感や悲しみも負の感情に分類されるのかな。少し違うんじゃないかなと口を挟もうとしたけれど、今はそんなことを議論している場合じゃないので流すことにする。
先を促すように頷くと、オリビアは話を続けた。
「かつてないほどに、精神不安定だったのだと思います。そんな中でやってきた浄化作業に更に疲弊されたようで……」
「まさか……」
「いえ、いくら精神的に辛い状態にあったとしても、旦那様は光の盾公爵としての仕事を放棄されるような方ではありません。強い責任感で確実にこなしておりました。ですが……」
再びオリビアからバトンを継いで説明するセバスチャンが、また言葉を詰まらせる。早く教えてほしいのに、二人とも言葉に詰まって唇をを真一文字に引き結んでしまった。
「ですが、何……ヴェール様に何があったのですか。ヴェール様は今どこにいらっしゃるんですか。地下の檻の中ですか? 話してくれないのなら探しに行きますよ」
「待ってください、本当に、ごめんなさい……申し訳ございません……お話しするのが辛くて、言葉が……」
気持ちが急いて立ち上がる私の腕を掴んだオリビアは、涙腺が崩壊して涙を流していた。泣いてしまうようなことが起きているのなら、尚のこと早く教えてもらいたい。
私は一秒だって早くヴェール様に会いたいのに。どんなことになっていても生きてさえいるのなら。生きてさえいてくれたら。
「……この先のことは、我々もどのように説明したらいいのか分からないのです。そうですね、奥様は一刻も早く旦那様にお会いになりたいでしょうに、お引き留めして申し訳ございません」
涙の止まらないオリビアと同じように、目に涙をためて辛そうな顔をするセバスチャンはそれ以上話すのをやめて立ち上がった。
「行きましょうリアナ」
同じく立ち上がったお姉さまが、私の肩に触れる。ようやくヴェール様に会いに行ける。会えるのだ。そう思って足を一歩前に踏み出したところで、足の力が抜けて床に倒れ込んだ。
「リアナ、顔が真っ青よ。ゆっくり深呼吸をして、大丈夫だから」
早くヴェール様に会いたいと息巻いていたのに、いざ動こうと思った途端に体中が震えて足に力が入らない。心臓が物凄い速さで鼓動を打って目眩がする。嘘でしょう、私ってそんなに弱かった?
「ハァ……ハァ……、……大丈夫だと思っていたのに、本当にヴェール様にお会いすることを考えたら、怖くて」
生きてはいるはず。だけどそれ以上のことは分からない。オリビアやセバスチャンに聞くのも怖いし、二人も敢えて私たちに言わない。そのことが恐怖を助長する。
大丈夫、私にはお姉さまがいる。だから前に進もう。最後にもう一度大きく深呼吸をして、肺の中に空気を満たしてから立ち上がった。
「お待たせしました。行きましょう」
お姉さまに手を繋がれて、硬く握り合ったまま部屋を出た。