35 呪われた夫婦
「……何者ですか」
一目で分かるほど高貴な貴族のドレスを着た、しかし従者も連れていない顔の見えない女に対してどう声を掛ければいいのか迷ったまま門番は私にそう話しかけた。
「私はリアナ・ローレンス。ローレンス公爵夫人です。あそこにいる魔法使いと共に転移で移動してきましたが、少し体調が優れないので申し訳ないのですがお水を一杯わけてはもらえませんか?」
「ロッ……! 勿論です。夫人、どうぞ村の中へ。魔法使いの方も一緒に」
恐らく全く想像していなかったのであろう名前に飛び上がるように驚いた門番は、背筋を正して村の入り口となる扉を開ける。有難い申し出だけど、ここで無駄に時間を使う暇はない。
「ありがとうございます。しかし急いでおりますので、こちらに持って来ては頂けませんか。お礼は後日必ず致しますわ」
ローレンス公爵の名を知らない国民はいない。だけど農民たちが呪われた公爵と呼ばれるあの人のことをどう思っているか、実際の所を私は知らない。
この名を出して歓迎されるとは正直な所あまり思っていないけれど、公爵の地位にある人間を表立って邪険に出来るはずもないことも分かってる。
それでも警戒するのは、負の感情の回収が止まっているから。もしこの赤い目を誰かに見られてしまえば、村人の私に悪意が向けば、どうなってしまうか分からない。関わる人間は最小、時間も最短で済ませるべき。
「分かりました。直ぐに持ってこさせます」
門番は自分だけが扉の中に入り、村人を呼び止めていた。呼び止める声までははっきり聞こえたけれど、村人との会話は声を顰めているのか聞き取れない。
別に悪口を言われたって構わないけれど、毒を入れる相談だけはやめてほしいなあ。
オリヴィエお姉さまは飲めない水を飲める水に変える魔法が使える。色んな魔法があるけれど、水を綺麗に出来るのはかなり便利で重要度が高いと思う。泥水や寄生虫がいそうな水でさえ飲用水に変えてしまえる魔法を作ったのは、きっと『オリヴィエと魔法の冒険譚』の作者が私と同国の出身だからだ。
「お待たせしました。あと、こんなものしかありませんが、よければ食べ物もお持ちください」
「ありがとう。後でお礼をしたいから、ここの村の名前を教えて下さる?」
皮袋に入れられた水とパンを二切れ受け取りながら聞くと、急にぼそぼそと喋るので思わず顔を近付けたら低い声で叫ばれた。
「呪われた公爵に呪われた令嬢……お前らがこの国を終わらせる悪魔だな!」
鋭い痛みが手のひらに走った時にはもう遅かった。門番がパンの下に隠していたナイフで私の手を切りつけたのだ。不覚、注意していたのに最後の最後で気を抜いてしまった。
尚もナイフをこちらに向ける男に対して、私は急いで帽子を上げて目を合わせ殺意をこちらに移す。
「……!!」
「……まだ何かご用件がありますか?」
「い、いえ、もう大丈夫。ありがとう……」
上手くいった。もう、結構かなり自在にこの目の力が使える。だけど次から次へと血の溢れて来る手の痛みと、頭の中に雪崩れ込んでくる殺意が痛い。膝をついて座り込んでしまいそうになるところを、どうにか両足に力を入れて踏ん張って、ぼうっと見送る門番に背を向けてる。
お姉さまも私が切られたことに気付いてこちらに走って来ていてすぐに抱き留めてくれたけれど、今は引き受けた殺意のせいか人の温もり自体が耐えがたく鬱陶しかった。
「触らないで……! ……これ、水、一応飲めるか調べてから飲んで……ください」
お姉さまの体を引き剥がして、水を渡しすと私はフラフラと入れ替わるように木陰に向かって歩く。
頭痛がするだけでなく、同時に門番が私にナイフを向けるに至った記憶が頭の中で再生されていった。
村の農作物の不作が続き、飢えが増していくのに税は一向に軽くならない。馬を手放し質素な生活を余儀なくされて、子供たちはいつも腹を空かせている。病気をしても治す手段もなければ、栄養のあるものを食べさせることも出来ず弱いものから死んでいく。
徴税人に泣きついて、これ以上何も取っていくなと、自分たちは悪くない、悪いのは国の政治だと訴えたところ、その人物はハッキリとこう言った。
「凶作が続くのは光の盾公爵が呪われているせいだ」
「何代も前からずっとあそこの公爵は呪われてるっちゅー話だが、今までこんなことになったことはない!」
「今の公爵はまともに仕事をしていない上に、最近は呪われた令嬢を娶ってこの国を終わらせることを目論んでいるという噂だ」
「何だって……!?」
気分が悪くて目眩がする。しゃがんで目を閉じていても楽にならなくて、地面に寝転んだ。頭を支えているのが辛くて、腕で枕を作る。
動けない。誰がこんな嘘でたらめを吹き込んでいるの。この国で何が起こっているの。ああ、何も考えたくない。
「う……ん」
「気が付いた? リアナ」
……目を開けると、お姉さまが私の顔を覗き込んでいて目が合った。いつの間にか意識を失って、お姉さまの膝を枕にして眠っていたらしい。やばい、どれだけ寝てた!? 早くヴェール様の元に行かないといけないのに!
「お姉さまごめんなさい、私……忠告を聞かずに」
「リアナ、門番に向けられた殺意を自分に移したのね」
頷くしかない。酷い目に遭ったし、酷い内容だった。だけど情報収集にもなったから後悔はない。
「お姉さま、誰かがヴェール様を陥れようとしてる」
起き上がる際に地面に手を付いて、ズキンと手に痛みが走った。そう言えば手を切られたんだった。いたたた、思い出すと急に痛みが戻って来る。
布が巻かれていてそこにも血が滲んでいるけれど、出血自体は止まっているみたい。
「ごめんなさい、痛いわよね。治癒魔法で治してあげたいのだけど、無事にお城に着くまでは極力移動以外での魔力の消費を抑えたいの」
「ううん、こんなの私が悪いんだから治してもらう必要ないわ。お姉さまには助けてもらってばかりだもの」
それにしても痛い。脈に合わせてズキンズキンと痛みが走る。刃物で切られたんだから痛いに決まってる。だけど今は我慢しよう。お姉さまの魔力は転移に使ってもらわなくちゃ。
「あっ! お姉さま、ご気分は大丈夫ですか!? ああ、本当に私は役立たずでごめんなさい。お姉さまに休んでもらおうと思っていたのに私が休んでどうするの! バカバカ! リアナのバカ!」
「大丈夫よ、あなたを待っている間休んでいられたし、ちゃんとお水も頂いたわ。ありがとう……」
お姉さまに、怪我をしていない方の手を取られて立ち上がる。お姉さまも私も大丈夫。こんなことでへばっていられない。と思ったけど、向き合ったお姉さまが暗い顔をして口を開いた。
「リアナ……これは私があなたの姉だから言うけれど、今回のことは決して褒められたことではないわ。あなたは……自分が何者かを自覚した方が良い。それは、外の人間から見た自分のことよ。あなたが力強く気高くて優しい子なのは分かってる。ローレンス卿が立派な方なのも理解しているつもり。だけどね……」
あなたたちは、多くの国民から見たら呪われた夫婦なの。と、消え入るような声で、絞り出すようにオリヴィエお姉さまが言った。そして、一筋の涙が頬を伝った。




