34 転移魔法
使用人に連れられて部屋に戻ると、オリヴィエお姉さまは既にこちらに戻って来ていた。
「リアナ、お父様と会うってなんだったの。大丈夫だった?」
「オリヴィエお姉さま……」
大丈夫か大丈夫じゃないのか聞かれても、私自身分からない。ただ、お姉さまの顔を見たらホッとして涙が出て、つい抱き着いて肩に顔を埋めた。
「どうしようお姉さま、本当にヴェール様に何かあったかもしれない」
焦りに心配に悲しみ、それに加えてお父様から引き受けた怒りの感情で、頭も心もぐちゃぐちゃだった。
どうしたらいい。一刻も早くローレンス城に戻らなくちゃ。だけど、怖い。ヴェール様が光の盾としての仕事が出来ない状況って一体どうなっているの。
考えたくないのに、死んでしまっていたらどうしようという事が頭に浮かんでしまう。どうしよう。どうしよう!
「リアナ、ローレンス城へ行くわよ」
「……うっん!」
しゃっくりに邪魔されて変な返事になってしまったけれど、お姉さまは笑わずに私の背中を何度も擦って、軽く叩いてくれた。その優しさにまた涙が出てしまう。
「やっぱり町の様子が普段と全く違ったわ。あちこちで喧嘩に盗みに小競り合い。酷いもので、乞食が袋叩きに遭っているのも見たわ。みんな何かがおかしいことには気付いているのに、どうすることも出来ないみたいだった」
お姉さまは私の体を引き離すと、クローゼットからドレスを取り出して私に着替えるように言った。
ローレンス城から出た時に着ていた服だ。この家では私の唯一の一張羅。
「一度の転移魔法で移動できる距離は限られてるけど、集めておいた魔力回復薬があるからすぐに着けるわ。覚悟はいい?」
私は服に袖を通し、お姉さまに手伝って着替えさせてもらって髪をひとまとめにする。久しぶりの公爵夫人の姿だ。
「うん、すっごく素敵。リアナはお姫様みたいな姿が似合ってかわいいわ」
お姉さまだって着飾ったらとても華やかで美しいと言いたかったけれど、まだしゃくりがでて喉がつっかえて言葉が出てこなかった。
化粧も出来ないし、髪も綺麗ではない。だけどそんなことはどうでもいい。私は二度とこの部屋には戻らない覚悟で室内を見回して、帽子だけを手に取った。
「行くわよ。絶対に私から離れないで」
「お願いお姉さま」
オリヴィエお姉さまの体に抱き着くと、お姉さまの周囲が光に包まれていく。何か聞き取れない呪文を唱えると視界が眩しいくらいの白に染まり、次の瞬間には外にいた。
「うん、うん。問題なし。リアナは大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「この調子で行くわよ」
そう言って、もう一度転移が始まった。今いる場所がどこなのか、どれくらい移動できているのかを把握できているのはお姉さまだけだ。いちいち聞いている暇もない。
二度目の転移で現れたのは、どこかの町の外れみたいだった。怖いけど楽しい。楽しいけど怖くて心臓がドキドキして、お姉さまに抱き着く腕につい力が籠ってしまう。
「リアナ待って、回復薬を飲むから一旦離れて」
「あ、ごめんなさいお姉さま」
お姉さまは肩から下げたいかにも冒険者御用達のバッグから、液体の入った小瓶を取り出して口に入れた。転移魔法は魔力の消費が激しく、二回に一回は魔力回復薬が必要と説明してくれる。
「そう言えば、お姉さまはローレンス城に行かれたことがあるのですか? 確かこの魔法は一度訪れた場所にしか転移出来ないのですよね」
「ええ、あるわ」
即答されて、やっぱり貴族同士の付き合いがあったんだなあと納得して頷いた。
「ああー……不味い。ふぅ…………」
口元を抑え、目を閉じて眉を顰めるお姉さまの表情から、その味の酷さが伝わってくる。
「ではきっと、ヴェール様がお姉さまにお会いになられたら喜びますね。以前のことは分かりませんが、今はローレンス城には殆どお客様が来ませんから」
帰る前からお葬式みたいな顔なんてしていられない。私はヴェール様が無事であることを祈りながら、努めて明るく言う。
お姉さまは頷きながら服の袖で口を拭って、私に手を差し出す。もう移動可能という事らしい。私はその手を取って、お姉さまの体にぴったりと身を寄せた。
「さあ、どんどん行くわよ!」
――光の盾公爵の力は負の感情の回収だけど、全てを回収している訳じゃない。恐らく全体の4~5割程度の回収だと思っている。
例えが酷いけれど、目の前にいる人間に対して強い殺意を抱いた時、そのうちの半分程度の負の感情が消えてしまえば殺人は不可能となる。せいぜい殴るか、暴言程度で終わることになるはずだ。
もし目の前の人間を殴りたいと思った時に感情の半分が消えれば、喧嘩にすらならない。だから他国と比べて圧倒的に争いや諍いの件数が少なく済み、平和が保たれている。
だけどもしこの状態が当たり前の世界に生きていたのに、突然回収が止まったら。
生まれてこの方抱いたことのない強い負の感情に頭も心も支配されて、制御が効かなくなってしまうのではないか。――
真っ白な風景に少しずつ色がつき景色が見え始めて来ると、先程とは随分と見た目の違う小さな町……村の端に飛んだみたいだった。
ここは馬車で通った時に窓から見た覚えがある。着実にローレンス城に近付いていることを実感して高揚感が増してくる。
「ふぅ……」
「お姉さま、お疲れですか?」
「流石にちょっとね。一日の間にこんなに飛んだのは初めてだから。胃の辺りがムカついて来たわ」
さっき飲んだ回復薬のせいかしら、と苦笑いする顔を見て、かなり疲れて気分が悪いのではないかということに気が付いた。
お姉さまは私を連れて出る前に、外から私の部屋、そして外、私の部屋と三回飛んでいる。町の様子を探るためにもっと飛んでいるかもしれない。
「少し休憩しましょう。どこか休める場所……あの木陰にしましょう。私、ここの人たちにお水を貰ってきます!」
「私は大丈夫だから、そんなことしなくていいわ」
「……大丈夫ですお姉さま。リアナはこれでもそんなに馬鹿じゃありません」
村は柵で囲われて、出入り口には門番みたいな人が立っている。私たちが転移魔法で突然現れたことに警戒しているのか、こちらにチラチラと視線を寄越してはどう対応しようか迷っているみたい。
私はぐっと帽子を深くかぶって、出来るだけ怪しくないように片手を上げて挨拶するように近付いていった。




