32 異変
特訓を開始してから一ヶ月と少しで、私はほぼ自在に自分の目の力を使いこなせるようになった。
力を使いたい対象(と言ってもオリヴィエお姉さましかいないけれど)と視線を合わせて意識を集中して、相手の抱いている強い思いをそっくり自分が引き受けようと考えると、フッと目から何か魔力のようなものが出て上手くいく。
これで私は、お姉さまの冒険の大体を記憶と感情を通して見ることが出来た。概ね楽しかったけれど、流石にドラゴンから逃げた時の感情を移された時は四百メートル走を全速力で走ったくらいに息が切れて心臓が破裂するかと思った。
強い感情であれば、移せるのは苦痛や恐怖だけではないことが分かったのは大収穫だと思う。
あとは、魔物と同じように移すのではなく、相手の感情を消し去ることが出来るようになれば、私は大手を振ってヴェール様の元へ帰ることが出来る。
自分自身に負担を掛けずにヴェール様の負担を減らせるのであれば、ヴェール様が私を遠ざける理由は無くなる。
あと少し頑張ろう。
そう思っていた矢先の出来事だった。
朝、いつものように転移魔法で私の部屋に現れたオリヴィエお姉さまは珍しく困惑の表情を浮かべていた。
「何だか街の様子がおかしいのよ。誰も彼も機嫌が悪いみたいで、突然治安が悪くなったというか……」
突然とんでもない法律が出来たか、それとも流行り病かしらと不安になるお姉さまに、もっと詳しく聞かせてほしいと話をせがむ。
「この国の人たちって基本的にみんな穏やかでしょう。なのに今朝は市場のあちこちで小競り合いや喧騒があってね。他国なら日常の光景なのだけど、リュミエールの国内ではそんな様子殆ど見たことなくて……待って、そもそも穏やかな理由って……」
「ヴェール様……光の盾公爵が、国中の負の感情を回収しているから……ですね」
まさかヴェール様の身に何かあった? 負の感情を回収できなくなってしまうようなことが?
慌てて立ち上がると、オリヴィエお姉さまに両肩を掴まれた。
「まだそうと決めつけるには早すぎるわ。もしかしたら市場で何か大きなトラブルがあっただけかもしれないし、本当に流行り病かもしれない。私もう少し外で様子を探ってくるわ」
「私も行きます!」
「駄目よ! あなたがこの部屋にいない事がもこの家の人間に知れたら大問題になるわ」
「でもお姉さま……!」
ヴェール様は、光の盾としての才があまりないとご自分で仰っていたことを思い出す。私があの城で暮らした短い間にも様々なことがあった。
だけど、そのことはオリヴィエお姉さまには話していない。そこまで話す必要は無いと思っていたから。
もし光の盾公爵としての仕事が行えないほどの状況にあるとしたら、時は一刻を争うはず。私が外に出て様子を窺ったところで何になるか分からないけれど、こんなところでじっとしてはいられない。
「リアナ、言う事を聞いて頂戴。ローレンス卿に何かあったのかもしれないけれど、本当に私の勘違いの可能性だってある。焦っちゃダメ。ここでお父様に私たちの密会がバレたらどうするの? ヴェール様を真の意味で助けたいなら、今はまだここで待っていて」
「だけど……!」
諦められなくて反論しようとしたけれど、お姉さまは一人で転移して部屋から消えてしまった。やってしまった。服の一部でも掴んでいればよかった。
ぼすん、と音を立てて勢いよくベッドに座る。確かに私は外に出たって無意味だ。
市場の様子が変と言われても、私はこの世界に来てから一度も市場になんて行かせてもらえたことはない。いつも通りかいつもと違うかなんて、見た所で絶対分からないわ。ああもう。
だけど家の外に出なくても、人々の様子がおかしいかどうかを確認する手段はある。
私はドアの前まで歩いていくと、呼び鈴を何度も鳴らす。食器の上げ下げや使用人を呼びたい時に鳴らすものだ。
早く来て欲しくて鳴らし続けていると、ふてぶてしい態度で使用人が現れた。
「何か御用ですかリアナ様」
「お父様に会いたい」
「今は公務中です」
「急ぎの用なの」
絶対に引くまいと強気の姿勢で言うと、使用人はドア越しでも聞こえるように大きく溜息を吐いてから、分かりましたと答えて去っていった。
うーん、これだけじゃ分からないわ。腐っても使用人と貴族の関係だものね。やっぱりお父様に直接会ってみるしかない。
私は長年幽閉されてはいても暴力を奮われた経験は一度もない。それは恐らく、というか殆ど決定的に光の盾公爵による負の感情の回収の力のお陰だということが分かっている。
もし今その力が弱まっているとしたら。
確認が出来るのなら、殴られたって蹴られたって構わない。




