23 再びのエドワーズ伯爵家
オリビアに肩を揺すられ声を掛けられて目を覚ますと、そこはもうエドワーズ伯爵家の敷地内だった。
もう少し早く起こしてくれたらよかったのに。と思ったけれど、初めての所じゃどこが到着地点かなんて分からないわよね。
「ふぁああ……良く寝たわ」
「ぐっすり眠られてましたよ。それこそ今日の夜寝付けなくなりそうなくらい」
クスリと笑われて、私は少し乱れた髪を手で撫でつけながら口を尖らせる。そう思うなら尚の事、起こしてくれたらよかったのに。
エドワーズ家から使用人が出てきて、私たちを出迎える体制を取っているので馬車を降りる準備をする。
オリビアに帽子を手渡されて目深に被る。ここでは誰とも目を合わせちゃダメ。下を見て、どうしても顔が見たいときも口元まで。そう心の中で何度も唱えて思い出す。
ローレンスでは当たり前にみんなと顔を合わせているから、忘れてしまわないように肝に銘じなければ。
「行きましょうか。オリビア」
「はい奥様」
オリビアも私の呼び方を対外的なものに変える。エドワーズ家はもう私の家でもなんでもなく、用があるから訪れるだけの場所で、ここに居る人たちはみんな他人なんだ。
「お帰りなさいませ、リアナ様」
「お父様の具合はどう?」
馬車の前で頭を下げていた使用人に挨拶もなしに聞くと、顔を上げて少し驚いた風な態度を見せるが直ぐに体を反転させて家の中に案内される。
たとえ他に言い様がなかったとしても、お帰りと言われたことが思った以上に不快で冷たい態度を取ってしまった。だけど別に後悔も反省もない。
「旦那様は今は眠っていらっしゃいます。お目覚めになりましたらお呼びいたしますので、それまで部屋でお待ちください」
「お姉さまからの手紙であまり良くないと聞いたけれど」
「……今はもう眠られている時間の方が長いくらいでして、家の中の雰囲気は暗いままです」
「そう」
なら、死なないうちに会いに来たのは正解だったかも。なんて薄情なことを思いながら、見慣れた廊下を歩いていくと連れて来られたのは私の部屋だった。
客室に通されるとは思っていなかったけど、過去私が閉じ込められていた部屋に案内されるとも思わなかった。扱いの酷さは変わらないわね。一応公爵夫人のはずなのだけど、ここでは変わらずエドワーズ家四女の呪われた令嬢リアナということね。
まあ長居しないからいいけれど。
「直ぐにお茶をお持ちします」
そう言うと、使用人はドアを閉めてそそくさと去って行った。ここの人たちはそういう態度だったわね。そう言えば。私と極力一緒に居たくない。話したくない。近付きたくない。思い出した思い出した。
「ここがリアナ様が長年過ごされたお部屋ですか」
「ええ、狭くて汚いでしょう。一応掃除はされてるみたいだけど……殆ど私が出て行った時のままだわ」
「確かに酷い環境ですが、ここでリアナ様がどれだけ一人で頑張られていたかは、随所に積み重ねられた本の量で分かります」
不覚にも、涙腺が緩んで泣きそうになった。そう、ここから出たくて、この世界の知識を身に付けるために頑張ったの。そのことにすぐに気付いて口にしてくれることが、こんなに嬉しいなんて。
見られた相手がオリビアでよかった。ううん、オリビア以外には見せられない。リアナの全てが詰まった部屋だもの。ヴェール様にだって見せられない。
「ありがとう、オリビア……私オリビアに出会えて本当によかった」
「何を仰っているんですか、リアナ様こそ、ヴェール様やローレンス家に仕える全ての者の光なんですよ」
私はそんな大それた存在じゃない。だけど、そう思ってくれることが嬉しくて涙が出た。
ただただ幽閉生活から脱出したかった一心での勉強だったけど、頑張って良かった。ローレンス家に嫁げてよかった。
「ま、まあ座って。お父様が起きるまではすることもないし、のんびりしてましょう」
「そうですね」
椅子が一脚しかないので、私はベッドに腰掛ける。ヴェール様の負の感情の回収の能力ががあっても、公爵夫人に対してこの態度と待遇なのだと思うと笑えてしまう。私が私だからいいけれど、本物のリアナだったら許せなかったかもしれない。
お茶は、きちんと熱いものが運ばれてきた。いつもの出涸らしでも冷め切ったものでもなく茶葉も割といいものだ。オリビアがいるからかしら。後々ヴェール様に報告されることが怖いのなら、もう少しいい部屋に通すことも出来るでしょうに。変な人たち。
「……暇ね」
お喋りは馬車の中でもしたし、自分の部屋にある本は読んだものしかない。ぼうっとするにも、ローレンス城の塔からの景色のようにいいものは見えないし、とにかくやることがない。
昼寝もたっぷりしてしまったので眠くないし、なによりこのじめっとした布団で眠る気にもならない。
「日帰りは無理そう」
「一晩こちらに泊めて頂くことになりそうです」
「嫌だなあ。一秒だって早く帰りたいのに」
そういうと、オリビアは曖昧に頷いた。そっか、オリビアは外に出られて嬉しいんだっけ。でも折角城の外に出られたのに全然自由がなくてごめんね。
「……帰る時に、ちょっと町並み散策してお店とか見てみましょうね」
「……いいんですか? あっ、すみません、お気を遣わせてしまって。リアナ様はすぐに帰りたいですよね。私も異論ありません」
「いいのいいの、私もね、ずっとこの部屋に入れられっぱなしだったから、生まれ育った町なのに全然歩いたことがないの。それにね、ヴェール様が守る平和なこの国を、自分の目で見てみたいから」
自分で言ってて気が付いたけど、私ってヴェール様が命を削って守り続けている平和なリュミエールの町を、一度も見たことが無いんだ。それってとんでもなく酷いことな気がする。
と言っても見られる機会はなかったし、この赤い目では町中を自由に闊歩することも出来ない。もしすれ違う人にこの目を見られたら、逃げられるか叫ばれるか、酷ければ吊るし上げられてしまう。
だけどちょっとくらい見てみたい。この世界の人たちがどんな生活を送っているのか、どんな顔をしているのかを知りたい。
もう私はエドワーズ家の人間じゃない。ヴェール様に信用されず塔に閉じ込められる花嫁でもない。私は私の意思で外に出ていいはず。
「ありがとう、ございます。リアナ様」
「ううん。でも本当に、今日中に用が済んで明日には帰りたいわよね」
こんな部屋に何泊もするなんて考えたくもなくて口に出していると、なんとかフラグという言葉が頭を過ってゾッと鳥肌が立った。なんだっけ、死亡フラグじゃなくて、ただのフラグだったかしら。
いやだいやだと首を振っていると、ドアがノックされて軽く開いた。
「リアナ様、旦那様がお目覚めになりました」
「……分かりました」
帽子をもう一度目深に被って、部屋を出た。
「オリビア、行ってくるわね」
「行ってらっしゃいませ、リアナ様」
軽く手を振って、私はお父様との対面に向けて気合を入れ直した。




