22 馬車に揺られて
こうして馬車に揺られるのは何ヶ月ぶりかな。
エドワーズ家を出てローレンス卿の城まで向かう道のりは長く、孤独でつまらないものだった。緊張もしていたし怖くもあった。ローレンス卿が、ヴェール様がどのような方なのか少しも知らなかったし、呪われた公爵という話ばかりが耳についていた。
それでもあの実家で幽閉生活を送り続けるくらいならと、私はイチかバチかでヴェール様に嫁ぐ決意をしたのだ。今考えるとハチャメチャな決断だったけれど、それもこれも私が元々この世界の住人ではないから出来たことかもしれない。
大人気ファンタジー小説『オリヴィエと魔法の冒険譚』の中の登場人物の一人として転生してしまった私は、元々のリアナというキャラクターがとっていた行動とは全く違うことをしている。
私はこれをリアナスピンオフとして捉えているけれど、この転機に何が起こるのかは全く予期出来ない。殆ど縁を切ったと思っていた実家で待ち受けているものは一体何だろう。
~呪われた令嬢に転生してしまったので、イチかバチか呪われた公爵様に嫁ぎます! 第二部~
「オリビアまで付き合わせてしまって悪いわね」
実家への帰省は一人でいいと言ったのに、ヴェール様がどうしてもオリビアを同行するように言って引いてくれなかった。
私の家族への監視役かなと思ってこちらもあまり強く否定しなかったけれど、あの家に連れて行くのは正直オリビアに申し訳ない。
「いいえ。これも仕事ですし、リアナ様と遠出が出来るのは嬉しいです」
かれこれ数時間馬車に揺られ続けているけれど、オリビアは疲れた顔一つしない。私がオリビアくらいの年齢の頃はもう加齢を感じていたけどな。なんて、くだらないことを思ってしまう。今は私の方が十も年下なのに。
「オリビアは生まれた時からローレンス城に住んでいるのだっけ」
「はい。両親共に城で働く使用人でしたから。光の盾公爵の秘密のこともあり、殆ど城の外に出たことはありません」
そっか。と頷いた。じゃあきっと外に出られるのが嬉しくてたまらないだろうな。私だってこの世界を自由に見て回れると言われたら嬉しい。オリヴィエの立ち寄った町や、冒険した場所を観光してみたい。
だけど現実は実家に帰るだけなのだ。全然嬉しくない。寧ろ憂鬱で胃の辺りがキリキリしてくるくらい。
お父様の死が近いらしいけれど親子の情なんて無いし、まだ全部嘘じゃないかと疑ってる。私に金の無心をしてくるか、幸せを妬んで何かを仕掛けて来るんじゃないかと思っている。
だけどヴェール様に諭されて少しだけ考えを改めさせられた。
死を間近にした人間が、自らの行いを反省し悔いて許しを求める。そういうこともあるんじゃないかと。
そう言われてしまうと、可能性は無くはない。何しろここはファンタジー小説の中の世界だし、物語の転機に死期の迫った人間からの衝撃的な告白というものはつきものだ……と思わなくもない。
とにかく、何もないのに嫁に出た人間を呼び寄せるわけがない。何が起こるか分からないけれど、何かが待ち構えていることは確かなのだ。
「楽しそうな所悪いけど、エドワーズ家の面々の私への態度を見ても、気を悪くしないでね。怒らなくていいからね」
久しぶりに、つばの広い帽子を持参してきちんと座席の隣に置いている。ローレンス城に住む人たちと違って、エドワーズ家の人たちは絶対に私の目を見ないし、見せてはいけない。
でも得体の知れない力があるかもしれないと分かった今は、その方がいいのかもしれない。エドワーズ家の人間は、幼いリアナから何か感じ取っていた可能性もあるのかしら。
「リアナ様はご実家では常に帽子を被られて生活をされていたのですか?」
「ううん、私は自分の部屋から出ることを許されなかったの。ヴェール様の家に来たばかりの時のように。まあ、部屋はあれよりもっと小さいし狭いし暗いけど」
何でもないように答えると、オリビアは息を呑んで口元を押さえて言葉を失ってしまった。ああ、やっぱり普通はそういう反応になるわよね。
私自身が閉じ込められていた期間は半年程度だったけれど、本当は十数年間の幽閉生活だものね。今こうして外に出られて結婚できていることが不思議だわ。
「お、お辛いことをお聞きしてしまい申し訳ありません!」
「いいのよ。もうあの家と私は関係ないし、今はヴェール様と結婚出来て本当に幸せなの」
慌てて頭を下げて謝るオリビアの肩に手を置いて、大丈夫だと軽く擦る。全部心からの言葉で嘘も虚勢もない。何度も言う様だけど私自身は大した傷は負ってない。リアナの中身が別人であることを知らければ、信じられないことだと思うけど。
どうしたら少しでも伝わるかしらと考えていたら、オリビアが泣き出してしまった。きっと私の半生に思いを馳せて、それからローレンス家に来た後も幽閉されたこと、ヴェール様との過酷な運命なんかを考えて涙腺が崩壊しちゃったのね。分かるわ。
俯瞰的に見るとリアナの人生ってかなり辛いことが続いてるわよね。本人があまり自覚していないけれど。
「リアナ様は、私から見ればまだ全然お若いのにとても立派です。塔に閉じ込められた時も泣き叫びも暴れもせず、淡々と物事を受け入れられて……そういうご事情があったのですね……すみません、少しも気付けなくて」
「閉じ込められるのには慣れてる……って、だから暴れなかった訳じゃないわよ! あの時は私だってかなり動揺したんだから」
ぺしぺしと軽くオリビアの腿を叩く。私は立派なわけじゃない。ただ本当のリアナの倍くらい中身が年を取ってるだけ。聡明なわけでも聖母のようでもあるわけでもない。ただただ年齢の割に落ち着いているだけなのに。
だけどあまり掛け離れて見られて色々疑われるのも怖いので、急にちょっと若者らしい振る舞いをしてみたりする。なんかそんなアニメを見ていたことがあるなあ。今なら分かる、あの必死感。
でもオリビアは笑って、涙を拭いてそうですよねと頷いてくれた。
「では余計に、今回エドワーズ伯爵様がリアナ様をお呼びになられた理由が分かりませんね」
「そうなのよ。お金の無心をされることだけが心配だわ」
はぁ、と大袈裟に溜息を吐くと、オリビアは笑って否定した。
「それはないと思いますよ。エドワーズ伯爵家の事業が傾いているとか、お金の動きが怪しいといった情報はないと旦那様より伺ってます」
「ええっ、私聞いてないわよ、なんでオリビアだけ……」
「さあ……何ででしょう。何か理由があったのでしょうか」
「私に聞かれても……」
どうしてだろう。オリビアに話すくらいなら私に教えてくれたっていいのに。何かあるのかしら。私が知らない方が良いこと?
手紙の通り本当にお父様の先が短いなら、次の当主を決めることになるのかしら。うちは四姉妹だし結婚してるのは私だけ、しかも公爵家に嫁いでしまっているし跡継ぎ問題は関係ないはず。
……いえ、ジュリエットお姉さまもエリザお姉さまもとても当主にはなれないからと、ローレンス家に吸収……ない。ないない。それはない。
大体エドワーズ家がどんな仕事をしていたかすら知らないし、今更特に興味もないわ。あの家の人たちが私に何か期待するわけもないし、ヴェール様が先手を打って色々とうちのことを調べたってだけだわ。きっと。
ううん。やっぱり思い当たることがない。
ということは、私の出生についてとか、赤い目の理由とかを教えてくれることを期待してもいいのかしら。
浄化中のヴェール様の苦痛を引き受けて、血の涙を流したこの目。力の発動条件やコントロール方法を知りたい。お父様が何か知っているのなら、教えてもらえるのなら、会いに行く価値は十分にある。
前向きに考えよう。私はこの力を自分の意思で使えるようになってみせる。そして、ヴェール様の辛さを少しでも減らして差し上げたい。
「リアナ様、どうかされましたか?」
「あ、ううん。ちょっとぼーっとしちゃった。まだまだ掛かるし、お昼寝でもしようかしら」
「では膝掛けを」
「ありがとう」
オリビアも寝ていいのよ。と言いたいけれど、オリビアにとっては今は仕事中で、馬車に乗っているのが我々だけな今はどちらも眠るわけにはいかない。
どうして年下の私の方が偉いのだろうと、身分制度ではなく年功序列な世界に居たせいかいちいち申し訳なく思ってしまう。けれどあまり公爵夫人に相応しくない態度も取れないので、私はそそくさと目を閉じる。何だかんだこういう時が一番色んな申し訳なさを感じる気がする。
いつになったらこの世界に馴染めるのかな。
目の力を使えるようになったら。ヴェール様との子供を産んだら。それともずっと、私は前の世界の記憶を引き摺りながら生きるのかしら。薄れて消えていく気配もないしあると便利ではあるけれど、この世界が小説の中だという認識が消えない限り、ずっと一線を引いたままな気がする。
それがいいことか悪いことかは分からない。だけど、私はもうリアナ・ローレンスだから……
「おやすみなさい。リアナ様」




