それは、突然の命令でした
神殿と呼ばれる、ここが私の世界。母が生きていた頃は会話もあったけど、今はそれもない。
食料や身の回りの物などは誰かが運んでくるけれど、その姿を見たことはない。
一人は慣れたけど、少し寂しくて温もりが恋しくなることも。
そんな時には思い出す。厳しくも優しかった母を。子どもの頃に助けた仔猫のことを――――――――
「セシリア! 毎朝、歌うしか能がない、おまえの使い道が決まったぞ!」
久しぶりに聞いた自分以外の声は大きな男のものだった。そこに響く甲高い声。
「相変わらずカビ臭い所ですのね。これでは、ネズミも裸足で逃げ出してしまいますわ」
「お父様。早くここを潰して城を増築いたしましょう。このままでは、せっかく湧き出ている泉も腐ってしまいますもの」
年頃の少女たちが男を挟んで歩いてくる。くすんだ茶髪に青い瞳をした小太りの中年男。必要以上に貴金属と宝石で自分を飾っている。
男は私の叔父で、この国の皇帝であるマクシム陛下。少女たちは陛下の娘であり、私の従姉妹だと母から教えてもらった。
明るい金髪に青い瞳で、顔立ちもよく似ている二人の少女。真っ赤なドレスを着ているのが姉のヴァレンティーヌ様。真っ青なドレスを着ているのが妹のジャクリーヌ様。
私は母から習ったとおり膝を折って三人を出迎えた。
「お久しぶりです、マクシム陛下。本日はご機嫌麗しく……」
「挨拶はいらん。それより、おまえは今から獣人の国に嫁ぐのだ」
予想外過ぎることに私は顔をあげて聞き返した。
「今から? 獣人の国へ、ですか?」
ヒュン、と鞭が空を切る音が私の耳をかすめる。マクシム陛下の手には馬用の鞭。
「誰が顔をあげて良いと言った!?」
「申し訳ございません!」
すぐに頭をさげた私を従姉妹たちが嘲笑う。
「お父様。頭が足りないセシリアでは、丁寧に説明してさしあげないと理解ができないようですわ」
「無知でお間抜けなセシリアですもの。それも致し方ありませんわ」
「「ねー」」
仲良く相槌をうつ従姉妹たち。
この神殿にある書物をどれだけ読んでも、世界には知らないことが多いらしく、私はいつも頭が悪い、世間知らずと笑われる。
従姉妹の言葉にマクシム陛下が頷きながら言った。
「そうだな。おまえでも分かるように説明してやる。この度、獣人の国と手を結ぶこととなった。だが、我が国と同盟国になれると図にのった奴らは、あろうことか皇族から嫁をよこせと言ったのだ。おまえの母は先代の皇帝の妻。お情けの寵愛だったが、皇族の血を引くことに変わりはない」
「……はい」
「そこで、皇族として獣人の国に嫁ぐことが決まった」
獣人の国。
ここにある書物には、獣人が集まり作った国と書いてあった。獣人は動物の姿にも、人に近い姿にもなれるという。どこまで人と似た姿になるかは、その個体が持つ魔力の量にも左右されるらしい。
「あの、お相手はどのような方でしょうか?」
「知らん! 獣人など所詮は二本脚で歩く獣だ。どれも大して変わらん」
キッパリ、スッパリと言い切られた私は、それ以上の追求を諦めた。
「かしこまりました」
「身一つで行ってこい。ここにある物は何一つ持っていくな」
「…………はい」
パーン、と高い音が響く。倒れかけた体と、鈍く痛む頬。
マクシム陛下が右手に持った鞭をポンポンと左手に遊ばせる。
「なんだ、その返事は? 不服なのか?」
「いいえ、滅相もありません」
姿勢を戻して再び頭をさげた私に鼻で笑う声がかかる。
「あいもかわらず陰湿な顔ですこと」
「とんだ無駄足でしたわね」
「だから来てもつまらんぞ、と言ったであろう」
笑い声とともに三人の足音が遠ざかっていく。
(ここにある書物が読めなくなるのは残念ですけど、仕方ありませんね……)
こうして、ジンジンと痛む頬とともに私の突然の引っ越しが決まった。
急いで自室に戻った私は母の形見であるブローチを胸に忍ばせた。何も持っていくな、と言われたけど、これだけは譲れない。
あとは読みかけの書物を棚に戻し、迎えを待つだけ。
すると、すぐにドアを叩く音がした。
「お迎えに参りました、ウカーブと申します」
「はい」
そういえば、母やマクシム陛下たち以外の人と会うのは初めてかも。
緊張しながらドアを開けると、そこには執事服を着た青年が立っていた。
年は少し上ぐらいだけど、その綺麗な立ち姿が目をひく。褐色肌に映える白髪と、鋭い黄色の瞳をした端正な顔立ち。だけど、無表情なせいか冷淡な印象が強い。
「あ、あの……獣人の方、でしょうか?」
初めて見る肌の色に驚きながら訊ねると、青年が右手を胸にあてて、ニコリと微笑んだ。
「そうです。セシリア様をお迎えにあがりました」
「あ、セシリアは私です」
「えっ……」
それまで余裕の笑みを浮かべていた青年の表情が崩れる。たしかに私が着ている服は色褪せ、何度も繕ったボロ布と言ってもいい代物。でも、これ以外の服はないから、どうしようもない。
自分の服を見ながら悩む私に青年が再び微笑む。
「申し訳ございません。見事な銀髪に見惚れてしまいました」
苦しい言い訳を平然と口にする青年。たしかに私は白銀の髪に紫の瞳という珍しい外見。ただ、それは色なしと呼ばれ、忌み嫌われる容姿であり、褒められることはない。
無言でいると、青年が困ったように眉尻をさげた。
「あの、馬車を待たせておりますので」
「失礼いたしました。すぐに行きます」
「荷物はどちらに? お持ちいたします」
「あの、荷物は……ありません。なにも持って行くなという命令でして。もしかして、嫁ぐのに必要なものがありますか?」
私は質問しながら胸に忍ばせたブローチが見つからないように祈った。もう一度、私の全身を見た青年が頭をさげる。
「いえ、セシリア様お一人で十分でございます。馬車へ、どうぞ」
青年に誘導された私は初めて神殿の外へ出た。窓から見えていた木々と庭を抜け、見張りがいる城の中へ。窓もなくジメッとした薄暗い廊下が続く。私は置いていかれまいと、必死に青年を追いかけた。
息が切れ始めた頃、大きな扉が開いた。青い空とともに爽やかな風が全身を駆け抜ける。
「ふわぁ……」
書物でしか見たことがない馬車があった。栗色の毛をした馬と屋根付きの白い荷台。いや、荷台というには豪華すぎて、どう表現していいのか分からない。まるで小さな城のような。
「どうぞ、セシリア様」
青年にエスコートされて馬車に乗り込む。向かい合って設置された二人掛けの座席がある広々とした車内。
「お掛けください。ドアを閉めますので」
「え? 一緒に乗らないのですか?」
「従者は同じ馬車に乗らないものでは?」
逆に問われて私は戸惑った。
「そうなのですか? 失礼いたしました。私はそういうことに疎くて」
「……お一人で乗るのが不安でしたら、ご一緒いたしますが」
「いえ、一人は慣れているので大丈夫です」
「では、なにかありましたら御者にお声をかけてください」
馬車の先頭に御者がいる。でも、そこは一人乗り。周囲に他の馬車や馬は見当たらない。
「あの、ウカーブさんは、ここでお別れでしょうか?」
「ウカーブ、とお呼びください。私も同行します。ただ、他の方法でついていきますので」
「そうですか」
私が知らないだけで、他の乗り物があるのかもしれない。
そう納得した私は座席に腰をおろした。ふんわりと沈む椅子は弾力があって気持ち良い。板に布を敷いただけの私のベットとは大違い。
静かにドアが閉まり、馬車が出発する。ガラガラと揺られるけど、ふかふかのクッションが衝撃を吸収して不快ではない。むしろ……
「ちょっとだけ」
私一人しか乗っていないため、こっそりと座席に体を倒した。なめらかな肌触りの座面が優しく私を包み込む。馬車の振動は、揺りかごのように眠気を誘う。
「気持ちいい」
私は獣人の国より先に夢の国へ旅立っていた。
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