転落の淵
「この子は20まで生きられない」
そう病院の先生から告げられた母はどん底に引き込まれるほどの絶望を味わったんだろう。
大人になった今でも、想像上で感じる。
「先天性筋ジストロフィー症デュジェンヌ型」
最初の医師の診断名が重くのしかかる。
筋ジストロフィーとは10万人に1人の難病で、筋肉の超回復が弱く治りきらなかった筋肉が筋になっていき筋力低下を起こしていく病気だ。
全ての筋肉が対象であり、車椅子から寝たきりになる。
この病気が原因で死ぬことはなく、風邪から肺炎になり合併症の末亡くなる。
ここで、私の人生は決まったも同然だった。
なるべく筋肉を使わないように、激しい運動を避けるように。
保育園の年中までは何事もなく生活してい
た。普通の子供のように走り回り、元気に外で遊ぶ子だった。
少し違うのは、何故か疲れやすく、歩かなくなることが他の子より多かったこと。
すぐ歩けなくなるのを、根性がないと怒られていたし、自分でも不思議で仕方なく思ってた。
それ以外は家庭環境に少し違和感があったものの、普通の男の子として毎日が過ぎ去っていく。
そんなある日はしかを発症し高熱が一向に下がらなかったため、急いで病院にいき、たまたまそこの主任の先生に受診した。血液検査をしたその先生は肝機能の異常な上昇からCKの値の上昇を見て、母に問うた。
「家族の中で車椅子や寝たきりの人はいませんか?」
突然の問に母は戸惑った。過去の記憶を必死に思い出し、確かな確証はないが、答えた。
「多分父親がそうです」
それを聞いた病院の先生は、
「事情は詮索しませんが、そのお父さんのことをしっかり確認してください。その確証がないと正確な事は言えません。」
と静かに話した。
その日は抗生物質を処方してもらい、家に帰宅することとなった。
母は自分の記憶を辿ったり、親戚や祖母に確認したりと色々な方法で祖父のことを調べたが、おそらく、車椅子だったであろうと言う曖昧な答えに行き着いたのだ。
母は実の父親との記憶がなかった。幼い頃に離婚し、実の母親の連れ子として義理の父親がいたためだった。
祖父のことを病院の先生に伝えた後
大きい病院に行くように、そういわれて連れられた車の中、遠くにお出かけをするということで頭がいっぱいだった。病院に行ったあとにたくさん楽しいことがあるはずなんだ。
幼い頭の中で楽観的に考えていた。
市内の大きな病院に行き、検査を受けた結果「先天性筋ジストロフィーデュジェンヌ型 」であると診断された。
私は漠然とした病名に妙に冷静だった。
「俺は病気なんだな。治らないのか。そうか。」と頭の中で考えながら、母を見た。
そこには泣き崩れる母の姿が。
同時に私の脳裏の中で「ごめんなさい。」という懺悔の気持ちがふつふつと沸き上がってきた。
診断を受けてからは、筋肉を壊すような激しい運動を避けつつ、筋肉が衰えないように筋肉を動かす微妙なラインをキープしながら生活をするようになった。
矛盾してるな。
それからしばらくして、次第に家庭の状況が悪化していく。
昔から素行の悪かった実の父親。
賭け事が好きで、酒とタバコ。家庭の中では自分が一番偉く、相手が実の子供であっても、自分のものを欲しがっただけで激怒し手を挙げてくるようなやつだった。
病気が発覚してから、極端に帰りが遅くなった。