9 だから、君は特別だ、ということだよ。(猫崎桃)
青都さんがキッチンに向かい、コーヒーを淹れながら、ポツリと言う。
「君が初めてだよ。茜音がクラスメイトを連れてきたのは」
「余計なことは言わなくていいからっ」
魚住くんはムッとした表情で、青都さんを睨みつけている。
「そう……なんですか」
初めてのクラスメイトと言われると、なんだか恥ずかしいが、とても嬉しかった。
「君は大丈夫そうだね」
「え?」
「珍しいね。そのぐらいの年頃で、茜音と話しても、問題なく普通にしていられる子は、滅多にいない」
「問題なく普通にってどういう」
「同じ年頃の子はみんな、三回まわってワンで脱落するからな」
「私も言われましたけど、何なんですか、それ」
青都さんが小さく笑う。
「相手が言うことを聞くかどうかの、リトマス試験紙みたいなものだよ。普通ならやらないことを相手にやらせてみる。それでチェックするんだ」
「チェックするって、何を」
「茜音は少し変わっていてね。相手によっては思うがままに、言葉で動かしてしまう力があるんだよ」
「はい?」
まさか魚住くんだけでなく、兄の青都さんまで、中二病的なことをこじらせているのだろうか。
「相手がまだ精神的に子供で、無防備であればあるほど、特に心が弱っている者や、茜音に好意や敵意を向けていそうな相手には、その効果は大きい」
「えーっと、何の話を……」
「だからうかつに茜音が話しかけると、相手を操ってしまう恐れがあるんだ」
青都さんは真面目な表情をしている。ふざけているわけではなさそうだ。
「だから、君は特別だ、ということだよ」
青都さんがにっこり笑う。
「特別……?」
その特別という言葉に、胸がキュッと痛くなる。隣に座っている魚住くんの方を、半信半疑で見てみると、魚住くんが嫌そうな顔をしている。
「そうやって、誰にでも特別とかって持ち上げて、骨董品を買わせるのが、兄ちゃんの手口だから、気をつけたほうがいいよ」
なんだ。やっぱり冗談だったようだ。どうやら私に骨董品を買わせるために、いろいろ話をでっち上げて、話術でお客を楽しませて、ガードを下げようとしているだけなのかもしれない。
なかなか手強そうだ。気をつけなければ。
青都さんはコーヒーとガトーショコラをテーブルに運んできてくれた。
「さぁ、召し上がれ」
タダより高いものはないと言う。これを食べてしまったら、私は大金を失う羽目になるのだろうか。
「心配しなくても、女子高生を騙して、お高い品を買わせたりしないよ」
青都さんの微笑みは、菩薩のように優しいが、それだけになんだか怖い。
だが、せっかく出していただいたものを無駄にするのも悪い。なんといっても、このガトーショコラは魚住くんが作った物なのだ。それを食べないなんて選択肢はありえない。
私はガトーショコラにフォークを刺して、一口だけ味わってみた。
「……美味しい」
口に入れた瞬間、少しビターなチョコレート生地が、舌の上でほろりと崩れる。甘すぎず、苦すぎず。絶妙なバランスの甘みだ。さらに一口。とろりと溶け出すチョコレート部分は濃厚で、より味わい深い。
これを魚住くんが作ったなんて、驚きだ。普通に有名洋菓子店で、買ってきたと言われても信じてしまいそうなぐらいに、完成度の高い味だった。
もっと、もっと。次々と口にしてしまう。あっという間に、食べきってしまった。うっかりコーヒーを飲むのを忘れてしまうぐらいに。
慌ててコーヒーを流し込むと、口の中にあふれていたチョコレートの甘味が、さっぱりとした苦味で中和される。口の中がすっきりすることで、さらにまたガトーショコラのお代わりが欲しくなってしまう。これは危険なエンドレスだ。
「お代わりしますか?」
全てお見通しと言わんばかりに、青都さんがニコニコとしている。夢中になって食べていた一部始終を観察されていたようだ。
「だ、大丈夫です。ごちそうさまです」
なんとか強い意志で断った。
これ以上タダでご馳走になりすぎたら、後が怖い。
「遠慮しなくてもいいのに」
青都さんにクスッと笑ってから、お皿とコーヒーカップを運んで行った。
「あとは俺が片付けるよ」
魚住くんがキッチンに向かうと、周りにたむろしていた猫たちが、ずらずらとそちらについていく。
また私の周りは、猫がすっからかんになった。恐るべし魚住くん。
青都さんが棚から、小さな箱を取り出した。
「では、一息ついたところで、僕のオススメの品を見てもらいたいんだけど」
皿を洗い終えた魚住くんが戻ってきて、青都さんを止めようとする。
「おい、やめろ。猫崎さんは、『猫じゅうたん』を堪能しにきただけだから」
「ねこじゅうたん?」
「あ、なんでもないです」
私は横槍を入れる。また一から説明すると、なんか恥ずかしいことになりそうだったから、その話題を回避しようと、全力で首を横に振る。
「絨毯がどうかしたんですか」
青都さんがやけに食いついてきた。話の流れ上、こうなったらもう、別の話題にするしかない。
「あの、オススメの品ってなんですか」
つい骨董品の話に、自ら誘導してしまった。だがそれが、逆にまずかったのかもしれない。私の言葉を聞いて、青都さんの目がキラーンと輝いた気がした。餌に食いつくカモをターゲットというサインだったのかもしれない。
「猫が大好きな君には、これなんかがオススメかな」
青都さんが小さな箱を開けて、銀色の猫がオブジェとしてついている、金属の箱を取り出した。
「尻尾を回すと、ほら」
遠い昔にどこかで聞いたことがあるような、ノスタルジックなオルゴール曲が流れてきた。銀猫の尻尾部分が、ねじまきの代わりになっているようだ。
「可愛いっ」
箱の上にくっついている銀猫は、ただの飾りではないようだ。流れる曲に合いの手を入れるみたいに、前足をあげながら、口の部分がニャーと鳴いているように動く。それはもう、死ぬほどキュートな動きだった。
「おいくらですかっ」
思わず口をついていた。魚住くんが、あいたたという表情で、私を見ている。言いたいことはよくわかる。私だって自分にびっくりだ。こんなにあっさりと、陥落するなんて思いもしなかった。
だが、しょうがないじゃないか。猫との出会いは一期一会だ。それと同じように、このオルゴールとは、出会ってしまったのだから、不可抗力というやつだ。
こんなに素敵な商品が、目の前に現れたら、買わない選択肢なんてあるわけがない。私には選択肢がなさすぎる。絶対になんかこれ、誘導されているような気がしてならない。
青都さんが虫眼鏡のようなもので、オルゴールを確認しながら言う。
「小さいけれど、いくつか台座に宝石が使われてるからね。この瞳のところとか」
猫の両目には、青い宝石が埋め込まれている。まさかサファイアだったりするのだろうか。ゴクリと唾を飲み込む。
「普通のお店だと、十万ぐらいの値がつくだろうね」
「じゅ、十万っ?!」
いくらなんでも、さすがに手が出ない。お小遣いの前借りをしても、払い終えるのにいつまでかかるかわからない。頭の中で必死に計算してみるが、どう考えても無理ゲーというやつだった。
魚住くんが心配そうに、私の顔を覗き込む。
「猫崎さん、今ちょっと『借金しようかな』とか考えてたでしょ。ダメだよ。しっかりして」
「あの……ローンを組むとしたら、どのぐらいの猶予がありますか」
「やめときなよっ。もう、だから言ったのに」
魚住くんが大きなため息をついた。
青都さんが私たちを見比べて、ニヤニヤと笑っている。絶対にこの人、客のピンチを楽しんでるんじゃないか。もしかして、ものすごい性格が悪いのでは。
「このお客さんは、茜音が連れてきたんだから、お前が払うという手もあるな」
魚住くんがテーブルを強く叩く。
「なんでだよっ。俺だって十万なんて出せるわけねーだろ」
「少女を沼にはめた責任は、お前が取るべきではないのかね」
「いやいやいや、沼にはめたのは、兄ちゃんのほうだろ。こんなピンポイントに、猫崎さんを魅了するような品を出しやがって」
「お客様が欲しがるものを選ぶのが、僕の腕の見せ所だからね。お褒めに預かり光栄です」
青都さんはカーテンコールをする舞台役者みたいに、仰々しくお辞儀をして見せた。
「褒めてねーよ。ディスってんだよっ」
私のせいで、魚住兄弟の喧嘩が勃発している。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。けれどもう私の心は、すでに猫オルゴールに魅了されまくっている。
この品が手に入らないなんて、我慢できるか自信がない。もし買わずに家に帰ったら、夜な夜な夢にまで見そうだ。そのぐらい欲しくてたまらない。
魚住くんには猫関係以外は、財布の紐は硬いとは言ったものの、逆に言えば、猫関係の物に関しては、私の財布はゆるゆるなのである。ただ残念ながら、その財布にはお金が入ってない。いったいどうしたら。
涙目になりながら、猫オルゴールを見つめていた私を見かねたのか、青都さんが助け舟を出した。
「茜音のお友達ということで、今回は初回特典ということもあるし、少しお安くしておくよ」
なんて良い人なんだ。ものすごい性格が悪いかもなんて思ってごめんなさい。私は華麗に心の中で、手のひらクルーを披露していた。
「お安くって、ど、どのぐらいですか」
「五百円」
「はい?」
「ワンコインぐらいなら、お札が入ってないお財布でも、出せるでしょ?」
財布にお札が入ってないという話は、魚住くんにはしたが、青都さんには伝えてないはず。
なのにどうして。




