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6 猫じゅうたんをたっぷり堪能するまで、死ねないから。(猫崎桃)

 駅のホームで電車を待っている間も、魚住くんの隣に並んで座席に座っている時も、やけにフワフワしていた。もしかしたら、本当に少しだけ、体重が軽くなっていたのかもしれない。


 そのぐらい、自分でも何をしゃべっているのか、よくわからないぐらいに、浮ついていた。空回りしてるのがバレてないか、気が気ではなかった。


 影谷駅に到着して、電車を降りた頃には、変に意識しすぎたせいか、やけに歩き方がギクシャクしていた。あれ、私の歩き方って、こんなだっけ。よくわからなくなって、つまづいてこけそうになった。


「危ないよ」


 魚住くんに腕を掴まれた。なんとか膝小僧を擦りむかずにすんだようだ。


「……ありがとう」

「猫に会いたいから、気が急いているのはわかるけど……そんなに気もそぞろだと、うちの店にたどり着く前に、猫崎さん、倒れちゃいそうだな」

「だ、大丈夫。ちゃんと生きて、たどり着くから。『猫じゅうたん』をたっぷり堪能するまで、死ねないから」


 私はぎこちない笑顔を見せる。だが本心は、早くその腕を離してくださいという気持ちでいっぱいだった。心臓の鼓動が半端ない。ドキドキしている音を聞かれたくなかった。


「あ、あの、手。もう大丈夫だから」

「ごめん」


 ようやく手を離されて、再び二人で歩き出した。

 魚住くんが少し心配そうな顔をして、私の顔を覗き込んだ。


「駅から結構歩くけど、大丈夫?」

「大丈夫。いつも猫を探して、うろうろ遠くまで散歩するのに慣れてるから」


「そっか。本当に猫、好きなんだね」


 魚住くんは小さく笑った。




 住宅街を抜けて、脇道に入ると、少し上り坂になった。雑木林に足を踏み入れた途端、突然吹き荒れた強風に見舞われた。


 思わずスカートがめくれそうになって、慌てて押さえる。


「大丈夫?」

「うん、なんとか」


 見られてませんように。そう祈りながら歩き出すと、やけに体が重くなってきた。慣れないことをして疲れているのだろうか。駅から十五分だとは聞いていたが、いつまで経っても辿り着けないような気持ちになってくる。


 遠い。しんどい。どうしてこんなに息が切れるのだろう。


 いつもなら二駅、三駅ぐらいの距離なら、平気でうろうろしている私が、この程度でバテるはずなどないのに。もしかしてお弁当に変なものでも入っていたのだろうか。


「……やめろって」


 急に魚住くんに背中を叩かれた。


「え、なに?」

「いや、ちょっと虫が。急にごめん」

「そうなの。ありがとう」


 魚住くんは苦笑いをしているが、一瞬、何か険しい表情をしていた気がする。


 だが急に体が楽になった。さっきまで歩くのすら辛かったのが嘘のようだ。ダッシュしてしまいそうなぐらいに体が軽い。


「魚住くん、お店まで、あとどのぐらい」

「あと……五分ぐらいかな」

「なら、もうちょっとだね。よし、『猫じゅうたん』を堪能するぞー」


 少しスキップをするように、駆け出した途端に、急に何かに足を引っ掛けた感じになり、つまずきそうになった。


「だから、危ないって」


 またしても魚住くんに、腕を掴まれた。


「ごめんなさい」

「ガキじゃないんだから」


 魚住くんは、子供を叱る親みたいな目で見ている。

 恥ずかしい。まったくもって恥ずかしい。


「この先、もっと足場が悪い山道だし、ちょっと疲れてるみたいだから、おぶってあげようか」

「え?」

「嫌なら無理にとは言わないけど」


 魚住くんがじっと目を見てくる。まっすぐな目だ。私の心の中まで全部見通してきそうなほど、澄んだ空みたいな青い瞳をしていた。


「い、嫌じゃ……ないけど、だ、大丈夫だから。自分で歩けるよ」

「わかった。じゃあ、手だけでも繋ごうか」


 魚住くんが優しく微笑んでから、手を差し出してきた。


「じゃ、じゃあ失礼します」


 私はその手を取った。汗をかいてたらどうしよう。


「あとちょっとだから、頑張って」


 私の気持ちを知ってか知らずか、魚住くんは、私の手を引いて歩き出した。




 ようやく到着したのは、山の中腹に作られた展望台のような広場だった。


 柵の向こう側を見下ろせば、影谷駅や周辺の住宅地が広がっている。こんなに上まで来ていたとは。疲れるのも無理はないのかもしれない。


 山際に小さな山小屋のような施設があるほかは、駐車場スペースにレトロチックなボンネットバスが停まっているだけだ。


「お疲れ様でした」


 魚住くんが手を離した。ずっと繋がれていた魚住くんの手は、やけにひんやりとしていた。その感触がまだ残っている。私だけが、汗っかきで熱々な手のひらになってたんじゃないかと、ちょっとばかし恥ずかしかった。


「で、あれがうちの猫カフェ水族館……風のアンティークショップ兼まじない絵師の店です」


 魚住くんが指差したバスの前に、『猫カフェ水族館』と書かれた立て看板が置かれていた。下のほうにかなり小さく『アンティークショップ』と、さらにもっと小さく『まじない絵師もやっています』と書かれている。


「この『まじない絵師』って、何なの?」

「えーっと、まぁ、その……人間関係の相談事とかを、絵で解決……みたいな?」


 よくわからないけれど、魚住くんが絵が上手だったように、お兄さんも手先が器用ということなのだろうか。


「この看板のほうが客が増えるはずって、つい最近変更したんだけどさ。なんか詐欺っぽいよな、これ」

「確かに、これなら騙されるね」


 私の言葉に、魚住くんが苦笑いをする。


「そのおかげか知らないけど、最近うちの店に来た若い女性客が、SNSに投稿したらしくて。ちらほらと、口コミでお客さんが来るようになったんだ」


 いわゆる『映える』というやつだろうか。レトロチックなバスは、さぞかし写真映えすることだろう。


 ノスタルジックなバスだけでも、つい写真に撮りたくなるようなフォルム、色合いをしているのに、そこに熱帯魚や猫カフェの猫、お茶、デザートなんて、『映える』要素が満載だ。


「実際に若い女性は、前よりは増えたかな。もしかしたら、それが兄ちゃんの一番の狙いかもなって思いたくなるけど」


 魚住くんは困ったような表情をした。お兄さんが女性には目がないと言っていたが、女性たらしのジゴロ的な、危ない男性のタイプだったりするのだろうか。元バンドマンなんて、まさにその類の素質が満載という印象だけれど。


「目利きの厳しいご老人より、若い女性のほうが商品も売りつけやすいし、隙あらば口説けるし、一石二鳥とか思ってそうというか」


 どうやらジゴロという方面だけではなく、守銭奴のほうも混じっているのかもしれない。


「まぁそんな感じで、うちの兄ちゃんには、絶対に騙されないよう、いろいろと注意するように」


 私は何と答えていいのか困って、曖昧に微笑んだ。


「何に注意しろって?」

「うわぁぁっ」


 魚住くんが大きな声をあげた。いつの間にか背後に立っていたのは、渋めの青い着物を身につけた、背の高い男性だった。


「また僕の悪口でも言っていたのかな」

「な、なんでもないよ」


 魚住くんの目は泳いでいる。


「お客様なら、こんなところで立ち話をしてないで、ちゃんとご案内しなさいよ」


 着物姿の男性は、手を差し出した。


「初めまして。茜音の兄の、魚住青都あおとです。こんな遠いところまで、ようこそ」


 青都と名乗った男性は、噂のお兄さんだったようだ。

 色白で端正な顔立ちは、確かに魚住くんに似ている。だが黒髪で黒い瞳をしていた。


 かなり似ているのに、色合いだけが違う感じが、ゲームの色違いキャラクターが並んでいるみたいで、なんだか不思議な感じだった。


 とても元々ビジュアル系のバンドマンをしていたとは思えないほど、和服が似合っている。歌舞伎の女形でもしてそうな、色っぽい感じのイケメンだった。


 恐るべき魚住家の美貌遺伝子。さぞかしご両親は美男美女なのだろう。この見た目なら、女性がホイホイ財布を緩めるのもわかる気がする。


 私が握手するのを躊躇していると、青都さんはにっこりと微笑んだ。


「大丈夫。握手したぐらいでは、お金を要求したりしないから」


 さっきの会話は、しっかり聞こえていたらしい。


「心を盗んじゃう可能性は否定しないけど」


 やっぱりちょっと変わった人のようだ。恐る恐る握手をした。魚住くんとは違って、青都さんの手は温かかった。体温は似ていないようだ。


「はい、一名様、ご案内。君のような可愛らしくて、純真無垢で初心者っぽいお客様は、大歓迎だよ。いろんな商品のおすすめ甲斐がありそうだから」


 にっこりと笑う青都さんの目が、一瞬だけ円マークに輝いたような気がした。だが、必死にお財布の中身を思い出して、気のせいだと思い込むことにした。


 たぶん大丈夫だ。魚住くんがそばにいてくれるなら、いくらなんでも強引に売りつけるなんてことはしないはず。……だといいけれど。




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