4 私はずっと、猫たちに恋い焦がれていたのかもしれない。(猫崎桃)
教室とはうって変わって、魚住くんの口はよく動いた。お兄さんについての話が止まらない。それはもう楽しそうに。まるで好きなアニメやゲームの話をする、小さな子供みたいだった。
「でさ、うちの兄ちゃんが大学を卒業して、しばらく売れないビジュアルバンドとかやってたんだけど」
「売れないとか言っちゃって大丈夫なの」
「だって、全然売れてなかったし。顔がボーカルっぽいからってだけで、無理やり街でスカウトされて、バンドに入れられたらしくて」
そんな理由でバンドをするなんて、お兄さんはかなりのお人好しなのだろうか。
「でも微妙に音痴だったから、そりゃ売れないよねっていう」
「それは……残念な感じだね」
「インディーズのCDは全然売れないのに、なぜかライブの度に、お手製のパンフレットとか写真集だけが売れてたらしい」
私は思わず吹き出した。
「それはもうバンドマンというより、モデルさんなのでは?」
「かもしれない。モデル事務所からのスカウトとかも、いっぱいあったみたいだし」
魚住くんのお兄さんなら、さぞかしイケメンなのだろう。さもありなんという感じだ。
「で、先月になって急にバンドを辞めて、父の跡を継ぐことになって、突然、『僕は魚に目覚めた。だから水族館を併設する』って、店代わりのボンネットバスを改装して、でっかい水槽を壁にくっつけちゃったんだ」
「すごい行動力だね、お兄さん」
「言い出したら聞かないんだよ」
魚住くんは、困っているような口ぶりなのに、やけに嬉しそうな顔をして、話を続ける。
「んで、さらに今度は『僕は猫に目覚めた。だから猫カフェにすることした』って、ある日突然、内装がカフェにされてて」
「水族館に猫カフェって……ぜんぜん違うものすぎるよね、それ」
あまりに相容れない要素を、合体させるセンスがすごいかもしれない。
「俺に引き寄せられてきた野良猫を餌付けしまくって、現在進行形でどんどん増えてる状態です」
「何それ、適当すぎない?」
私はまた吹き出してしまった。デタラメな感じが面白すぎる。どんなお兄さんなんだろう。会ってみたい気がする。
「文句は兄ちゃんに言ってくれよ。俺だって被害者なんだから」
「お父さんは反対しなかったの?」
「大丈夫。……今はいないから」
「そう……なんだ、ごめん」
「あ、気を使わなくていいから。昔からよく旅に出かけて、ほとんど家にいなかったタイプだし。うちはずっと兄ちゃんと二人で楽しくやってるから」
魚住くんは、ニカっと笑った。逆に私の方が、また気を使わせてしまったようだ。
「年の離れた兄ちゃんに、育ててもらったみたいなもんでさ、全然頭が上がんないんだけど」
「お兄さん、いくつなの?」
「先月二十八になったかな」
「そんなに離れてるなら、兄弟喧嘩とかもしなさそうだね」
「さすがにもう取っ組み合いの喧嘩はしないけど、普通の喧嘩はするよ。もちろん仲は悪くないし。でも今回は、兄ちゃんの気まぐれのせいで、店は猫まみれになって、すげー困ってるけど」
「確かにお家まで猫まみれで、あんな感じじゃ、毎日大変だね」
「そうなんだよ。でも兄ちゃんは、俺が迷惑してるのを見るのが好きなのか、すんげーわざと猫をけしかけてくんだよな。『これはお前のために必要なんだ』とか、わけのわかんないこと言ってるし。昔っからそうなんだよ」
腕組みした魚住くんは、ぷんすかという感じの表情を見せた。少しだけ子供っぽく見える。表情がころころ変わって、見ていて飽きない。
教室でずっと無言状態だった、あの『人間に絶対に懐かない野良猫』みたいな姿が、嘘のようだ。
お兄さんに文句を言いながらも、その言葉は柔らかい。兄弟仲も良さそうで微笑ましい。
これまでもきっと、二人で助け合って生きて来たのだろう。私は一人っ子だから、ちょっとだけ、そういう仲の良い兄弟というのは、羨ましくもある。
「今の時点で、熱帯魚の世話だけでも大変なのに、さらに猫もって、餌代だけでも赤字なんじゃないのってなってさ。貯金も減り続けてるし、もうすぐうち、つぶれちゃわないか、すげー心配」
「それは心配だね。そのお店、どこにあるの」
「影谷駅から徒歩……十五分ぐらいかな」
私の家がある竜宮町の隣にある駅だ。
山際にある影谷駅は、通過をしたことはあっても、降りたことがない駅だった。大きな商店街などはなかった気がする。少し寂れた住宅街という印象しかない。
「立地条件は厳しそうだね」
「だよなー」
「でもあの辺あんまり、猫カフェや水族館とか、アンティークショップもない気がするから、うまいこと隙間産業的な感じになれば、意外に繁盛しちゃうかもだよ」
「そうなの? 案外、兄ちゃん、適当そうで、実はちゃんと考えてんのかな。そんなに儲かってそうには見えないけど」
魚住くんにとって、あまりお兄さんの商才的な評価は高くないのだろうか。売れないバンドマン時代のことも加味されていそうだが、身内ゆえにバイアスがかかっているのかもしれない。
「でも、自分の家が猫カフェなのか。いいなぁ。絶対いいよー」
もし私の家が猫カフェになったら、毎日そこで寝泊まりしちゃいそうだ。
魚住くんが、私の持っていたチューブ状のアレをちらっと見た。
「それ、いつも持ち歩いてるみたいだけど、もしかして猫崎さん、猫飼ってるの?」
「ううん。親がアレルギーだから飼ってないよ」
「アレルギーか。それはしょうがないね」
「昔から猫は好きだったけど、前に公園で泣いてたら、野良猫が近づいてきて、慰めてくれるみたいに舐めてくれて。それからもっと大好きになってね。ずっとずっと、すっごい好きなんだけど、飼えないんだよね」
初めて熊野エリカと仲違いをして、急に学校で無視されるようになった一番辛い時期に、あの野良猫は、私の心を救ってくれたのだ。
「ならずっと、片思いなんだな」
片思いという言葉に、ドキッとする。
そうか私はずっと、猫たちに恋い焦がれていたのかもしれない。
「そうだね。結構、年季の入ってる片思いかも」
「好きでそばにいたいのに一緒にいられないって……結構辛いよな」
魚住くんは少し遠くを見つめて、寂しそうな目をしていた。
魚住くんにも、好きなのにそばにいられない人がいるのだろうか。
もしかしたら、今はいないという父親のことを、思い浮かべているのかもしれない。
「一緒には住めないけど、今は、いろんな地域猫と遊ばせてもらって、お礼におやつあげたりしてるんだ。保護猫活動をしてる獣医さんのお手伝いで、弱ってる子や、去勢手術が終わってない子を、病院に連れて行ったりもしてるし」
「へぇ、そんなことまでしてるんだ」
「うん。それだけでも結構、『猫メーター』はたまってるほうだけど、無性に『猫じゅうたん』に埋もれたいって、欲求にかられることはあるかな」
私には夢があった。
お世話になってる獣医さんみたいに、いずれ私も立派な獣医なりたいというのも、その大事な夢の一つ。あともう一つは。
「だから大学に進学して、実家を出たら、ペットが飼える部屋に住みたいなって思ってて。就職したらガンガン稼いで、いつかきっと自宅に『猫じゅうたん』を、常備するつもりなんだ」
ふーんという顔をして、聞いていた魚住くんが、少し身を乗り出した。
「じゃあ、その夢が叶うまでは、うちの猫カフェに来たらいいよ。いっぱい猫いるし」
「ほんと? でも私、そんなにお小遣いないから……」
「お金の心配ならしなくていいよ。うちは元々アンティークショップがメインだし。あくまで商品を買ってもらうための客寄せのつもりで、猫カフェ水族館をやってるみたいなものだから」
魚住くんはニカっと笑う。
「店に入るだけなら、お金いらないと思うし。それに、うちの兄ちゃんは女の人にはめっぽう弱いから、お茶とデザートぐらいなら、タダで出してくれるかも」
「それはなんと素敵な」
お金がいらない猫カフェとか。最高すぎるのではなかろうか。しかも水槽まで併設されていて、お茶やデザートまでもらえるかもなんて。
お財布にも『猫メーター』にも、とんでもなく優しい。まごう事なき奇跡だ。これは一石二鳥どころの騒ぎではない。
「そのかわり兄ちゃんに、何か変なものを売りつけられないように、注意したほうがいいかもだけど」
「それに関しては、きっと大丈夫だよ。私、けちんぼなお母さんに鍛えられてるから」
「けちんぼ……なんだ」
「うん。ものすごく。それに私、猫に関すること以外は、基本的にお財布のひもは固い主義だから」
「そういう人ほど、兄ちゃんの口車に乗せられて、うっかり高い骨董品を買わされて、店を出たあとに後悔してるのを、何度も見てるからなぁ」
魚住くんが少し遠い目をした。よっぽどお兄さんは口が上手いのだろうか。気をつけなければ。だが、いくら口車に乗せられたところで、ない袖は振れない。私のすっからかんの財布なら、きっと問題ないだろう。
「大丈夫だってば。私、こう見えて貧困系女子高生だから。どうせ財布には、お札すら入ってないし」
「それはそれで、なんか心配だな。借金までしちゃいそうで……うちの品物って、結構な値段するし」
魚住くんはまるで可哀想な人を見る目で、じっと見ている。余計な事を言うんじゃなかった。
「いやいやいや、お金借してくれとか言わないしっ。ビンボーでも清く正しく生きてるから。だから、そんな目で見ないでっ」
「う……うん。わかった」
魚住くんはたじろいでいる。
だが私はこんなことではくじけない。せっかく奇跡の『猫じゅうたん』スポットに行けるチャンスを、逃すわけにはいかないのだ。
「よし、じゃあさっそく、今日の放課後、ちょっと行ってみようかな」
私の頭の中では、もうすでにもふもふの猫たちに囲まれながら、お茶をしている自分を想像してニヤニヤとして、心が浮き立っていた。
だがその妄想を切り裂くように、低い声が背後から聞こえて、ビクッとする。
「放課後、どこに行くんですか?」




