☆21 茜音、よくやった。お前はもう自由だ。(魚住茜音)
深夜の施設には、人気がなかった。
あれだけ壁を破壊しても、誰もこないところを見ると、さすがに、こんな真夜中に、誰も利用している会員はいないということだろうか。その方が好都合だが。
そう思いながら、赤獅子を追いかけて、ご神体のある礼拝堂に入る。
内部は、ろうそくの炎だけで薄暗い。
そのせいで、かなり奥に入ってから、祭壇近くに、白い装束を着た人がいることに気がついた。隠れようにも、すでに遅かった。会員らしき人は、ご神体の前にひれ伏し、祈りをささげていたが、気配を感じてこちらを見た。
「魚住くんじゃないですか。どうしてこんなところに」
その声は、熊野先生だった。
「先生は神聖な祈りをしているところなんですよ。邪魔しないでもらえますか」
体から血の匂いがしている。どす黒い怨念のような邪気が、体にまとわりついていた。先生は赤獅子を見ても、何の反応も示さない。あれだけの人殺しをした直後で、正気ではないのかもしれない。明らかに普通の状態ではなかった。
「父さんを……どこにやった」
「父さん?」
「魚住紫道だ。この施設を嗅ぎ回っていた、週刊誌の記者のことだよ」
「あぁ……どうりで。君を見た時、どこかで見た顔だと思ったんですよね。あれ、君のお父さんだったのですね」
「どこにいるんだ。早く教えろ」
「君のお父さんは悪い人ですからね。このご神体を壊そうとしたんですから。それなりの報いは受けるべきだと思うのですが」
「報いって……何をした」
「どうして、ご神体を壊そうとしたのか、聞き出そうとしましたけど、いくら拷問しても、無駄でしたね」
拷問という言葉を聞いて、カッと心の中の炎が、再び燃え上がった。
「いくら拷問しても、あの人、わけのわからないことばっかり言ってましたよ。『ご神体を説得して、呪いを解いてもらおうとしたが、もう話が通じる状態ではなかった』だの。『だから壊すしかなかった』だの。大丈夫ですか。君のお父さん。よっぽど頭がイカれてらっしゃるのでは」
気がついたら、熊野先生の胸ぐらを掴んでいた。
「そういえば、昔、うちの一族を裏切ったのも、まじない絵師をしていた魚住家でしたかね。やけに絵がうまかったのも、血筋でしたか」
熊野先生は、汚いものでも見るような表情で、こちらを睨んだ。
「いつだって、邪魔ばかりする。大金を払って依頼したのに、人魚の捕獲に失敗して、あげくに逃亡した恥知らずな一族のくせに、やっと手に入れた人魚の長のミイラすら、今更になって壊そうとするなんて。我が一族の不老長寿への悲願を、またぶち壊そうとするとは、君のお父さんは、どれだけ外道なんですか。クソの極みですね」
「……父さんを、悪く言うなっ」
熊野先生が苦しみもがくほど、無意識のうちに、強く服を締め上げていた。
「クソをクソって言って、何が悪いんですか」
「なんだとっ」
だが、その時、ふいに体が痺れて、先生を掴んでいた手を離す。手がしびれて、すぐには動かない。
先生がニヤリと笑っている。
「君たちみたいな、まじない使いどもが大活躍していた大昔と違って、今はこういうものがあるって、知ってますか」
手には黒い装置が握られていた。ビリビリと電気が光っている。
スタンガンを隠し持っていたようだ。
「君のお父さんも、油断仕切ってましたね。先生のこと、見くびって、バカにするからいけないんですよ」
勝ち誇ったように、大声で笑っている。
「いくらまじないを使う能力があったところで、所詮は人間。手が使えなければ、君たちなんて……」
「手を使えなければ、足でも使えばいいんじゃないか」
そう言ったのは赤獅子だ。
「言われなくても、そうするよ」
俺は回し蹴りをして、先生の手からスタンガンを弾き飛ばした。
「で、俺たちが、何だって?」
俺が目配せをすると、慌ててスタンガンを拾いに行こうとする熊野先生を、赤獅子の大きな前足が押しつぶした。
「おい、茜音、そんな男にかまってないで、早くご神体を壊せ。時間がないと言っただろ」
父の声が聞こえてきた。
「……わかったよ」
動かないように、赤獅子に踏みつけられて、息苦しそうにしている熊野先生を一瞥してから、俺はご神体の前に向かった。手をさする。少し痺れているが、なんとか使えそうだ。
「おい、何を……する気だ」
「そこで黙って見てろ」
人魚の長だったというミイラは、どす黒い怨念めいた霧を体にまとっていた。
こんなミイラが、うちの一族を呪い続けた、人魚の成れの果てなのか。諸悪の根源を目の前にして、きっと憎しみしか浮かばないと思っていた。
だが実際にその姿を見ても、憐れみしか感じられない。死んでもなお、人を呪い続けて、やめるにやめられず、自分をも呪ってしまった、悲しきケモノにしか見えなかった。
「あんたも辛かったんだろ。でも、すまない。もう終わりにしなくちゃならないんだ」
俺の言葉を聞いて、黒い霧が小さく揺らいだ。もしかしたら、誰かにもう止めてもらいたがっていたのかもしれない。
父に習った教えを思い出しながら、燃えさかる炎をイメージする。
指先に宿った炎を使って、人魚のミイラの姿を、空間に写し取っていく。燃える炎が作り出した絵が完成すると、白紙の巻物に定着させる。
力を失ったミイラの精神は、巻物に閉じ込められても、あらがう力もないようだ。
魂を静める術を唱え、封印を施すと、巻物が光り、空間へと消えた。
「何をしている、やめろっ」
熊野先生の言葉を無視して、新たな炎を作り出す。
「やめて……やめてくれ、やめてください、お願いだ……頼む、いくらでも金は出す、だからお願いしますっ」
泣きわめく熊野先生を、赤獅子が強く踏みしめたのか、少し静かになった。
あとは本体を滅するのみ。
炎を大きく。強く。熱く。念を込めて、炎を操って、その力を集中させていく。
これ以上は無理だという瞬間まで、炎が肥大したのを感じ取る。
「いけるか、赤獅子」
「誰にものを言うておる」
俺の唱える術と指の動きに合わせて、赤獅子の口からも、大きな炎の玉が吐き出された。
すべてを焼き尽くせ。過去の呪いも過ちも、何もかも。
礼拝堂が大きな光に包まれた。
少し遅れて、爆発音とともに、振動が部屋を揺るがした。
爆風の中、人魚の長のミイラは、一瞬で燃え上がり、灰も残らずに消え去った。
「なんて……ことを。何を。なんということを。どうして。なんで。こんなことは。ありえない。あってはならないっ」
熊野先生が狂ったように叫んでから、苦しみながら倒れた。
父の声が聞こえてくる。
「ご神体を手に入れた熊野家の当主は、人魚の長の邪気に当てられて、ろくでもないことをしでかしていたようだ。だがこれでもう、全ては終わったはずだ」
熊野先生の周りに漂っていた、異様な邪気も消えていた。
それでもなお、猫崎さんの両親を殺した先生を、憎いという気持ちはくすぶっていた。
けれど、先生の罪を裁くのは、俺の仕事ではない。これまでに犯した罪を、いずれその命で償う日が訪れることだろう。
その時になって後悔しても遅い。自業自得というやつだ。俺が悲しんでやる必要は、どこにもない。もう二度と会うこともないだろう。
だが、人を殺しかけたことのある俺が、いずれ地獄に落ちることがあれば、その時にでも、あの世で、猫崎さんの代わりに、一発ぐらい先生を殴ってやってもいいかもしれない。
「茜音、よくやった。お前は自由だ。ほら、もうお前は元の姿に戻ってるだろう」
呪いが消えた証拠に、俺の髪がどんどんと黒く染まっていくのがわかった。きっと今頃、瞳も黒に戻っているはずだ。
「ちゃんと約束を果たしたよ。だから父さん、どこにいるか教えて」
「おう、そうだな……赤獅子、案内してやってくれ。なるべく早く頼む」
父の声が震えているような気がした。赤獅子がグルルと喉を鳴らしてから、走り出す。
熊野先生は、父を拷問したと言っていた。心の中に広がる不安を、必死に見ないようにして、俺も赤獅子に続いて、礼拝堂をあとにした。




