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2 まるで彼は『人間に絶対に懐かない野良猫』みたいに、だんまりを決め込んでいた。(猫崎桃)

 窓からの光で金髪がキラキラと透けて、青い瞳は猫の目のように光って見えた。あまりに場違いで、そこだけ異世界みたいに、幻想的な雰囲気になっていた。


「嘘……みたい」


 うっかりカバンも落としてしまった。教科書や筆記用具が床にばら撒かれ、大きな音が響き渡る。しまったと思ったが遅かった。クラスのみんなが一斉に私を見る。あのイケメンまでこちらを見ている。なんだか恥ずかしすぎて死にそうだ。


 ちらりと黒板を見ると、『魚住茜音うおずみ あかね』と書かれている。どうやら転校生の彼は、予想に反して純和風な名前だったようだ。


 隣のイケメン転校生は、無言で教科書や筆記用具を拾うのを手伝ってくれた。小声でお礼を言う。


「……ありがとう」


 クラス委員をしている熊野エリカが、こちらを見て、嫌味ったらしく鼻で笑った。


「遅刻までしといて、どんだけ目立ちたいの」


 ほかのクラスの女子も、クスクスと笑っている。

 エリカがわざわざ聞こえよがしに、吐き捨てるように畳み掛ける。


「さっそく転校生にかまってちゃんとか、うざー」


 どうも私は、彼女が苦手だ。


 エリカは熊野先生の娘さんだった。エリカは名士の家系だ。地元でも有数の豪邸に住んでいて、クラスメイトのみんなを家族ぐるみで招待して、ホームパーティーをするなんてこともよくしていた。


 私も一度だけ、そのパーティに参加したことがある。誕生パーティだから盛大にやるということで、普段なら声もかけられない、私のようなクラスメイトの家族まで誘われたのだ。


 よりによって私の母が、エリカの両親の前で、「この前のテスト、うちの桃が一番だったんですよ」と自慢げに報告した。その頃を境に、彼女からの当たりが強くなり、何かにつけて目の敵にされている気がする。


 もちろん今日の私は遅刻をして、騒いでしまったのが悪いのだから、彼女に文句を言える立場ではない。だが彼女の私に対する嫌味は、度を越していた。


 毎日のように、ことあるごとに何かしらケチをつけられ、嫌味を言われていた。その頻度は普通という言葉で済ますには、無理があるほどに。


 相性が悪い相手というのは、どこにでもいるものだ。

 きっと彼女は、私が何をしても気に入らないのだと思う。だから今は黙ってやり過ごすしかないだろう。


 教科書と筆記用具を片付けると、席に座って、なんでもない振りをした。


 カースト上位の彼女に睨まれてからというもの、私は学校では空気扱いだ。きっと私を無視するように、彼女が裏で手を回しているのだろう。


 いまさらこのぐらいの嫌味なんて、たいしたことじゃない。高校を卒業するまでの辛抱だ。大学は違うところに行けば、きっとこの空気状態から逃げ出せるはず。


 そう思い込もうとするけれど、やっぱり心が重たかった。




 一時間目のチャイムが鳴ると同時に、古文の先生が入ってきた。


 定年を間近にした先生は、白髪混じりで老眼鏡の丸メガネをかけているが、まだ背筋はシャキッとしていて、老紳士の佇まいをしている。


 すっかり夏になり暑くなったというのに、未だに毛糸のベストを身につけていた。還暦祝いにもらったという赤いベストは、去年亡くなった奥さんの手編みだそうだ。最後に作ってくれたものだからと、ずっと着ているらしい。


「じゃあ、魚住くん、次のところ」


 授業中に当てられた魚住くんは、すらすらと古文の教科書を読み上げた。


「おや。なかなか良いですね」


 クラスの女子が色めき立って、逆に男子は嫉妬にメラメラと燃えるような空気が教室中に充満した。クラスに新しいスターがやってきた。誰もがそう思ったに違いない。私だってそう思っていた。


 次の授業は英語だった。


 担当の女性教諭は、バブル時代を引きずっているようなワンレン、太眉で、いつも原色のスーツを着ていた。化粧が濃くて、香水の匂いも強い。少し近づいてきただけでも、すぐにその存在がわかるぐらいだ。


「じゃあ、次のページは、魚住くんにお願いしようかな」


 先生がさっそく魚住くんを指名する。


 金髪碧眼である魚住くんの流暢な英語を、誰もが期待していた。なのに、魚住くんの英語の読み上げは、思いの外グダグダだった。笑ってしまうぐらいに、残念なカタカナ英語だったのだ。


 英語の先生は、少しほっとした表情をしていた。実は先生は、二十年以上も英語を教えているが、一度も留学も海外旅行もしたことがないという。飛行機が怖くて乗れないからだそうだ。だから本物のネイティブな生徒がいると、いろいろと気まずいのだろう。


 魚住くんのカタカナ英語は、先生にとっては安心材料でしかなかったようだ。先生は勝ち誇ったように授業を進めている。


 その一方で、カタカナ英語を聞いたみんなの反応は様々だった。


 先生と同じように、ほっとして勝利を確信した男子たちもいれば、がっかりした風な、深いため息を漏らす女子もいた。


 クラス委員をしている熊野エリカは、勝ち誇ったような笑みを浮かべている。自分より勉強のできない男子なんて、見下して当然ということなのだろう。


 だが、カタカナ英語にがっかりしたのは、女子の一部にすぎなかった。ほとんどの女子にとっては、そのギャップが魅力に見えて、むしろ好感度は、うなぎのぼりだった。


 金髪碧眼のイケメンが、古文に詳しいくせに英語はへっぽこなんて、ギャップ選手権なら優勝候補だ。

 これが女子たちの心に火をつけたらしい。


 休み時間になるたびに、噂が噂を呼び、ポンコツなイケメン転校生を一目見ようと、女子があちこちのクラスから様子を見にきては、我先にとコンタクトと取ろうとしていた。


 おかげで隣の席は、ずっと満員御礼だ。


「ねぇ、前はどこに住んでたの?」

「彼女はいますか?」


「クラブはどこに入るの?」

「ご両親は外国人なの?」


「日本文化が好きなの?」

「英語はなんで苦手なの?」


 次から次へと、クエスチョンマークが投げつけられる。だが魚住くんは、ずっと窓の外を眺めたままで、とにかく無口だった。ありとあらゆる質問を、彼はずっと無視し続けていた。


 本当にびっくりするぐらい、一言も話さない。頷くか、首を横に振るかすらしなかった。


 まるで彼は『人間に絶対に懐かない野良猫』みたいに、だんまりを決め込んでいた。聞こえていないのかと思うぐらい、微動だにしなかった。


 だが授業でも受け答えをしていたし、私が朝、声をかけた時は反応があったのだから、ちゃんと聞こえてはいるはずだ。


 さっきも私がついうっかり、「べーっくしょい」と、おじさんみたいな変なくしゃみをしたら、こちらを睨んでいたので、少なくとも耳はちゃんと聞こえているらしい。


 教室の休み時間だけ、喋ってはならない呪いにでもかかっているのだろうか。まるで今の空気扱いの私みたいに。もしかしたら、転校前の学校で、トラウマになるようなイジメでもあったのかもしれない。


 だから転校してからも、なかなか学校にこなかったのだろうか。そんな風に勝手に妄想していると、少しだけ親近感が湧いた。


 三時限目の休み時間に、魚住くんがようやく口を開いた。


「……ほっといてください」


 それだけだった。いくらイケメンでも、あんまりではなかろうか。


 さすがに無視をされ続けた女子たちは、みんな心が折れたのか、潮が引いたように、もう誰も話しかけなくなっていた。どれだけイケメンでも、ギャップが可愛くても、意思疎通ができない相手ではどうしようもないということのようだ。


 私の隣の席は、やっと静かになった。




 昼休みになって、私がトイレから戻ってきたときには、すでに魚住くんの姿が消えていた。


 私はいつものように、自分で作った弁当を、一人で食べていた。昨日の晩ご飯の残り物を詰めただけで、いかにもな節約料理の茶色いおかずばっかりだ。


 煮物の汁が、隣のご飯のところまでしみ出している。味がしみて美味しいけれど、見た目はかなり残念な感じだった。ほかのクラスメイトの色とりどりなお弁当とは大違いだ。


 だがぼっち飯なら、別にあれこれ言われることもない。


 そもそもお弁当なんて、誰かに見せびらかすために作るものじゃない。食べることが目的なのだ。お腹が満たされて、なおかつ美味しければ、まったく問題ない。そういう意味では、ぼっち飯というのは、案外、気が楽かもしれない。悪いことばかりではない。


 お弁当を食べ終えて片付けていると、ふいに猫の鳴き声が聞こえた。窓の外を見ると、猫が何匹か校庭をうろうろと歩き回っていた。


 もしかして、魚住くんを探して、学校まで来たのだろうか。どれだけ猫を引き寄せるパワーがあるんだろう。羨ましすぎる。


 猫たちが急に走り出した。その先には魚住くんがいた。弁当を手に持ったまま、必死に猫から逃げるように走っている。あまりにも必死な形相が、申し訳ないけれど、かなり面白かった。


 だがあのままでは、また朝のように、猫まみれになりそうだ。私は慌ててカバンから例のチューブ状のアレを取り出すと、教室を出て走り出した。




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