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☆17 俺には人殺しの素質がある。(魚住茜音)

 山道を駆け抜け、住宅街に入っても、俺は全速力で走り続けていた。


 息が苦しい。何度も足がもつれそうになる。

 それでも足を止めるわけにはいかない。早く、猫崎さんを助けないと。


 煙の中で見た映像で、血まみれの熊野先生に腕を掴まれて、猫崎さんは怯えていた。どうして熊野先生が、あんなことをしているのかはわからない。だがろくでもないことを、しようとしているのだけはわかる。


 熊野先生は美術の時間、俺の絵を見て、「とても良いお父さんからのギフトですね。大切になさい」と言った。俺は嬉しかったんだ。この呪われた血筋を褒められることなんてなかったから。なのに。


 どうして俺は、あんなやつの言葉に、心を動かされてしまったのか。


 いつだってそうだ。

 裏でろくでもないことをしているやつに限って、表で綺麗事を抜かす。悪事を隠すために。より甘い蜜にまみれた、人を酔わせる言葉を使って、人を惑わし、陥れていく。


 俺だってそうだ。

 猫崎さんに気に入ってもらいたくて、いくつもの綺麗な言葉を口にした。


 下心どころじゃない。うちの猫カフェ水族館に来てもらいたくて、もっと話がしたくて。ただその気持ちを満たすためだけに、普段なら絶対に言わないようなことまで、ペラペラと喋っていた。


 やっぱり俺は、無意識のうちに、猫崎さんを操ろうとしていたのかもしれない。


 猫崎さんを強引に連れ去ろうとしている熊野先生を、非難する権利が俺にはあるのだろうか。

 俺の体にだって、ろくでもない血が流れているのに。


 過去に人魚をたぶらかして連れ出して、最終的に死に至らしめたというまじない絵師は、陰陽寮に所属していた正式な官人ではなく、『ヤミ陰陽師』から派生した、『ヤミまじない絵師』というやつだったらしい。


 まじないという言葉を漢字で書けば、『呪い』だ。人を助けるために使われる時は『まじない』として、人を呪うために使う時は『のろい』として、その力を使ってきた一族だった。


 貴族に金で雇われ、方位占いなどの吉凶を恣意的に吹き込み、相手の行動を操るばかりではなく、敵対者の呪殺まで請け負うことすらあったと聞く。


 そんなやつらの血が俺には流れている。

 それを自覚したのは、呪いの印が出て、間もない頃のことだった。


 人魚の呪いに対抗するかのように、眠っていたまじない絵師としての能力が、急激に覚醒したのが、まずかったらしい。力の制御を知らないうちに、人を言葉で操る力を、無意識のまま使ってしまったのだ。


 ある日突然、金髪碧眼になった俺とすれ違いざまに、「きっしょ。化け物は学校に来んなよ。とっとと死ねばいいのに」と、わざと聞こえるように吐き捨てたクラスメイトがいた。


 俺だって、好きでこんな姿になったわけじゃない。本人にはどうしようもないことを、バカにするようなやつなんて、本当に最低だと思った。俺はそいつにムカついた。


 だからなんの考えもなく、「お前みたいなやつこそ、死ねばいい」と、罵倒してしまった。

 普段なら思っていても、心の中にしまっておくような汚い言葉だった。


 だが、つい魔が差したというやつだ。思ったことを、そのまま口にした。

 ただ、それだけだった。


 なのに、その直後、そいつは窓から飛び降りた。幸い下にあった樹木がクッションになり、命は取り留めたが、両足を折る大けがを負った。飛び降りた場所が悪ければ、そいつは死んでいたかもしれない。


 直接ではないが、俺は人を殺しかけたことがあるのだ。


 刃物を使ったわけではない。殴ったり蹴ったりしたわけでもない。ただ相手を憎む気持ちを口にしただけで、呪い殺そうとしたことになる。


 俺は怖くなった。俺には人殺しの素質がある。


 人魚の呪いだけじゃない。人を操り、殺してきた『ヤミまじない絵師』の一族の血を引いている。

 俺は汚れている。


 だから俺には、猫崎さんを助ける資格なんてないのかもしれない。けれど、猫崎さんが悲しむ顔を見たくない。彼女には笑っていてほしかった。大好きな猫に囲まれて、楽しそうに笑って、ずっとニコニコしていて欲しかった。


 俺が金髪碧眼になってから、呪いが発動する前みたいに、気兼ねなく、普通に話ができたのは、彼女が初めてだった。あの殺人未遂事件が発生して以来、俺に近づいて来るクラスメイトは、みんな俺の言葉に踊らされた。


 何も話せなくなって、殻に閉じこもっていた俺の心を、温かくしてくれたのは彼女だけだ。大事な友達を失いたくない。それは、自分のための傲慢な考えかもしれない。


 けれど、彼女を助けたい。

 そのことだけは真実だ。


 だから、例え俺にその資格がないとしても、俺は絶対に、猫崎さんを諦めない。


「茜音、近いぞっ」


 先行していた絵式神の銀羅と灰羅が、声を上げる。

 兄が名刺に込めた思念が、かすかにだが感じられる。ずっと同じところから発せられていて、名刺が動いている様子はない。


 絵式神の銀羅と灰羅が待っていた場所には、同じ形の建物がずらりと並んでいた。今時のマンションというより、高度成長期あたりに作られた団地みたいな古びた建物ばかりだった。反応の強いE棟と書かれた場所に入っていく。五階建てなのに、エレベーターすらないようだ。


 階段を上っていると、いくつかの血が点々と落ちているのが確認できた。

 間違いない。この場所だ。


 三階まで上がったところで、階段の踊り場に足が見えた。こんな場所で寝転がっている人なんて、普通はいない。周囲を警戒しながら、踊り場まで上る。そこに倒れていたのは、制服警官だった。


 見覚えがある。兄が連絡を取ると言っていた、竜宮町の派出所に勤めている警官だった。

 もしかしたら兄に頼まれて、様子を見にきていたのかもしれない。腹と胸から血を流していた。


「大丈夫ですかっ」


 呼びかけると、警官は虚ろな目で俺を見た。まだ息はあるようだ。だが、スマートフォンで通報しているうちに、意識を失ったのか、呼びかけても反応がなくなった。


 絵式神の銀羅と灰羅が首を横に振る。


「その人、もう死んでるよ」


 どうしてこんなことに。もうこれ以上、誰かが悲しむ姿なんて見たくないのに。

 階段を見上げると、小さな血の跡は、四階の部屋の前で途切れていた。


「……すみません。きっと誰かが後から来てくれると思います。それまで待っていてください」


 もうすでに聞いていないであろう警官に断ってから、四階まで上っていく。


 兄が渡した名刺の思念は、この部屋から届いている。

 玄関は鍵が開いたままだった。扉を開けると、血の匂いがした。




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