13 茜音を助けられるのは、もう僕たちしかいない。(猫崎桃)
写真の中の人々が着ている、白いマントの衣装には見覚えがあった。私の住んでいる竜宮町に拠点を構える、光水会という自己啓発セミナーの会員がよく着ているものだった。
「君のお母さんは、光水会の会員だそうだね」
「どうして……それを」
「残されていたリストに、猫崎という名前があった。そんなによくある名前ではないからね」
光水会というのは、若さを追い求めるために、ありとあらゆる民間療法を試している集団だという。マルチ商法まがいの商品を販売したり、怪しい儀式を夜な夜な行っているらしいと、つい最近ゴシップ誌に記事が載ったばかりだった。
「かなりお布施をしていて、位の高い会員だったみたいだね」
いくら父の会社の業績が悪いとはいっても、いつもお金がないというのはおかしいと思っていた。どうやら母は家のお金を、お布施として光水会につぎ込んでいたようだ。いつも母が夜に家を空けているのは、てっきり仕事が忙しいせいだとばかり思っていた。
だが、もしかしたら、変な商品を購入したり、怪しい儀式とやらをしているせいだったのだろうか。それどころか、もっと何か恐ろしいことを考えているのではと、疑心暗鬼になっていた。けれど、本当のことを知るのが恐ろしくて、結局私は、何も聞くことができなかった。
「心配しなくていい。この情報を知っているのは、僕だけだ」
無意識のうちに、水槽に浮かぶ魚住くんの方に目をやっていた。
私の心に浮かんだ不安を見抜いたかのように、青都さんは小さく微笑んだ。
「茜音は何も知らない。茜音が君のクラスに転校したのだって、ただの偶然だよ」
ただの偶然? 本当だろうか。
魚住くんは、下心があって、私を猫カフェ水族館に誘ったと言っていた。その下心というのが、私と仲良くなるためではなく、お父さんを探すために、光水会のことを知りたかったからだとしたら。
いやそんなことは。魚住くんの言葉を信じよう。
私に大事な言葉をくれた人を、疑いたくなんかない。
「茜音を助けられるのは、もう僕たちしかいない。鍵を握っているのは、父なんだ。茜音が十六歳になる前に、絶対に父を見つけ出さないとならない」
青都さんは週刊誌と名刺を机の上に出した。光水会の記事が載っている号と、魚住紫道と書かれた小さな名刺だった。
「きっと父は、記者の振りをして、光水会のことを調べていたんだと思う」
「記者の振り、ですか」
「あの施設は山奥に作られていて、会員か紹介された者じゃないと、中に潜入できないみたいなんだ」
ゴシップ記事にも同じようなことが書かれていた。記者も潜入しようとしたが、一度は失敗して、施設から逃げてきた人にインタビューをしてから、今度は潜伏に成功し、詳しい実態は次号でという内容になっていた。その記事を書いたのが、魚住くんのお父さんだったということだろうか。
青都さんは、じっと私の目を見つめてきた。
「だから、父を探すためには、僕が潜入して、光水会のことを調べる必要がある。でも僕にはツテがない。幸い、君のお母さんは、会員としてかなり中枢に近いようだ。だから、できれば君にも協力してもらいたいんだ」
母と光水会のことを、これ以上知るのはなんだか怖かった。だが、私にできることがあるのなら、何でもしてみるべきだろう。
魚住くんを助けるためだ。私は決意を固めた。
「私は……何をすればいいんですか」
「君のお母さんを、この店に連れてきてほしい。僕が光水会に興味があるから、入会したがっていると伝えてほしい。頼めるかい」
「……わかりました」
「すまない。本当は巻き込むつもりはなかったんだ」
青都さんは申しわけなさそうな表情を浮かべる。
「だが君は、まじない絵師や絵式神のことや、人魚の話を聞いてもなお、茜音のことを、本気で心配してくれていた。君なら信頼できると思った。だから頼む。茜音のために、協力してもらいたい」
「私にできることなら、なんでもします」
「ありがとう。恩にきるよ」
青都さんはふらりと倒れこむように、椅子に座り込んだ。
「大丈夫ですかっ」
「大丈夫だ。茜音の治療のために、たっぷり力を使ったから、揺り戻しがきたようだ。少し休めば元に戻るよ」
青都さんは力なく笑った。
「これぐらいで弱ってしまうぐらいに、僕はまじない絵師としての素質はあまりないみたいでね。本当に情けない兄なんだ」
「そんなことないと思います。今だって、魚住くんを助けたのは、青都さんです。私だけではどうしようもなかった」
青都さんは首を横に振る。
「父がいなくなってからも、人魚にまつわる言い伝えがある場所を旅して回ったり、いろいろ知り合いのツテを頼んで調べてもらったりもしていたが、未だになにもできないまま時間だけが経ってしまってね。最近は特に痛感しているよ。無力というのは、こういうことを言うのだなと」
「無力だなんて、そんな」
青都さんは遠くを見つめるように、少し悲しそうな表情を見せた。
「これが最後のチャンスかもしれないんだ。なんとか茜音を助けたい。いや、僕には茜音を助ける義務があるんだ。きっとこんなことになったのは、全部僕のせいだからね」
「どういう……ことですか」
「もし僕にもっと、まじない絵師としての素質があったら。能力が足りなくても、本気で勉強すると覚悟して、きちんと父の後を継いで、まじない絵師の仕事をすると決断していたら。きっと期待はずれの僕の代わりに、父は弟を作ろうとしたりしなかったと思うんだ。弟を生んだ母は、出産直後に死んでしまった」
二人の歳が離れているのは、そのせいだったのだろうか。しかもお母さんまで亡くなっていたとは。
「全部僕に、まじない絵師の跡を継ぐ力も、決意もなかったせいだ。まじない絵師になんてなりたくなかったし、なれるわけがないと突っぱねた。ただ苦手なことから逃げていただけなんだよ。それでバンドマンなんかを、求められるがままにやったりもしていた。別になんでも良かった。まじない絵師でさえなければ。ふらふらとずっと逃げていた。すべては僕の子供じみた、わがままのせいなんだ」
青都さんは過去の自分に怒っているように、険しい表情を見せた。
「なにもかも、母が死んだのも、あいつがあんな呪いを受け継いで生まれる運命になってしまったのも、全部僕のせいなんだよ。だからきっと茜音は、僕のことを恨んでいると思う」
「それは……絶対違います」
青都さんは不思議そうに私を見た。
「どうして、そんなこと言い切れるの」
「だって、学校でお兄さんのこと話す魚住くんは、とっても楽しそうでした。頼りにしてると思います。お兄さんのこと大好きだと思います」
「……ありがとう。君は優しい子だね」
青都さんは微笑んだ。
「茜音の知り合いじゃなければ、今すぐ抱きしめてしまいたいぐらいだよ」
「そ、それは困ります」
私が首をブンブンと横に振ると、青都さんは苦笑いをする。
「残念。困られてしまった。心配しなくても大丈夫。女子高校生に手を出すほど、僕は非常識じゃないから」
青都さんは、おどけたように肩をすくめる。
「あ、でも弟に猫をけしかけて、困っているのを見て楽しむ程度には、非常識な男ですが。それでもよければ、今後ともよろしく」
青都さんはにっこりと笑う。いい人なんだか、悪い人なんだか。でもきっと家族思いのいい人だと思う。
青都さんは古い壁掛け時計を見た。
「ずいぶん長居をさせてしまったね。もう暗くなってしまった。駅まで送りますよ」
「いえ、一人で帰れます。青都さんは、魚住くんのそばに、ついていてあげてください」
「心配しなくても大丈夫だよ。一度落ち着けば、術が発動しているしばらくの間は、まず大丈夫だから。それに茜音のことは、銀羅と灰羅に監視させておくから、問題ないよ」
姿を消していた絵式神の銀羅と灰羅が、水槽の前に現れた。少し不機嫌そうに、私のほうを見ている。やっぱりまだ、私のことを魚住くんをたぶらかす、悪い女だと警戒しているのだろうか。
「こんなに遅くなったのに、君を一人で返したと茜音に知れたら、あとで怒られてしまうからね。僕のためを思って、見送りをさせてくださいな」
青都さんの有無を言わせぬ営業スマイルに負けて、私は駅まで二人で一緒に帰ることになった。




