12 あいつは強いよ。君が思っているより、ずっと。(猫崎桃)
「そのまじない絵師と人魚は、どうなったんですか」
青都さんは、少し言いにくそうにして、目を伏せる。
「しばらく行方不明のままだったんだけど、ある日、手紙が届いたそうだ。逃げたまじない絵師が使っていた絵式神が、届けさせたものらしい。故郷の海から離れて、衰弱していた人魚は、苦しみながら死んでしまったと、さらにまじない絵師も、これから自殺するつもりだと、手紙には記されていたそうだ」
連れ去られた人魚の気持ちを思うと、その悲しい結末に胸を締め付けられ、言葉を失った。
「娘を無理やり奪われ、衰弱死させられたことを知った人魚の長は、そのまじない絵師の一族に呪いをかけた。衰弱して死んでいった娘のように、苦しみながら死ぬようにと」
「呪いだなんて、そんなまさか、本当に?」
とても信じられないような話だと思ったけれど、もうすでに私は今日、いろんな不思議なことを目の当たりにしている。
まじない絵師も絵式神も、人魚だっているのなら、呪いだって本当にあっても不思議はないだろう。
「嘘みたいな話だけれど、実際にその効果はあったんだ。一族の若者が、奇妙な死に方をする事案が続いたらしい」
青都さんは別の古い和本を出して、パラパラとめくりながら、少し抑えた低い声で説明をする。昔の言葉で書かれた記述には、人の名前のような漢字と、年齢と思わしき漢数字が羅列されている。その数字のすべてが、同じ形で記されていた。
「突然、髪や目の色が変化した子供は、十六歳になる前に、呼吸ができなくなる発作に襲われて、やがて苦しみながら死んでしまう者が続出したんだ。十六歳というのは、人魚の娘が死んだとされる年と同じだった。だから、それが人魚の長が放った呪いだと判明したわけだ」
私は水槽の中の魚住くんを見た。それではまるで、ついさっき突然苦しみ出して倒れた魚住くんと、まったく同じではないか。嫌な予感が頭をよぎり、地面がゆらりと揺れているような錯覚に囚われた。
「まじない絵師たちは何年も、何十年もかけて、呪詛返しをして、なんとか阻止をしようとしたらしい。おかげで一族の全滅は防ぐことはできた」
なら魚住くんも、大丈夫なのだろうか。安心しようとした私の気持ちは、すぐに覆された。
「だが、その呪詛返しは完璧ではなかったそうだ。人魚の長を完全に追い詰める前に、逃げられたせいで、中途半端に終わったままらしい。だから、どうしても呪いを強く受けて生まれる子供が、稀に出てしまう。うちの茜音のようにね」
「そんな大昔の呪いが……今もまだ?」
嘘だ。そんなのは嘘だ。信じられない。
頭の中で呪いという言葉が暴れまわって、あちこちを壊そうとしている。
「呪いというものは厄介でね。相手の力が強ければ、そう簡単に消し去ることは難しい。ただでさえ力のあるモノが、娘の喪失という強い感情によって、さらにその呪いの効果は上乗せされてしまった。お手上げというやつだよ」
青都さんは水槽の中の魚住くんを、優しい眼差しで、じっと見つめている。
「茜音が生まれた時は、僕と同じように、普通の黒髪黒目だったんだよ。でも人魚の娘が連れ去られたのと同じ十五歳になると、呪われた子は金髪碧眼に変わってしまうんだ。それが印というやつだった」
それでお兄さんの青都さんとは違って、魚住くんだけが金髪碧眼だったのか。
信じたくはなかった。でも。
「じゃあ、魚住くんは……」
「今は、こうして対処療法で、呪いを和らげる術を含ませたこの水で、なんとかしのいではいるけれど。十六歳になる前に、完全に呪いを解くことができなければ、このままだと来月の誕生日には、茜音は死んでしまうだろうね」
十六歳になる頃に死んでしまう。あと一ヶ月もないなんて。
なんという恐ろしい言葉だろう。
私はついさっき、魚住くんと『また明日』という、未来の約束をしたばかりだというのに。私は何の考えもなく、当たり前の約束のつもりで言った言葉だった。
けれど、それが魚住くんにとって、どれだけ不確かで、重たい言葉だったのか、知りもしなかった。
私は鈍感という感情で、知らないうちに彼の心を、壊していたのではないのか。恐ろしくなった。これまでに私が発した言葉は、どれだけ魚住くんを、傷つけたのだろう。
「ごめんなさい。私、何も知らなくて。魚住くんを傷つけてしまったかもしれません」
「心配ないよ。茜音はずっと、無慈悲な未来と向き合ってきたんだ。少しぐらいの言葉じゃ揺らがないぐらいにね。当たり前の日常が、必ず明日もやってくることを祈りながら、ずっと毎日を過ごしてきてるんだ」
青都さんは水槽の中の魚住くんを、じっと見つめてから、私の方を見た。
「だから、あいつは強いよ。君が思っているより、ずっと」
魚住くんが優しいのは、もしかしたら、それだけ何度もこれまで毎日傷ついて、それを乗り越えてきたからなのだろうか。
「そう……かもしれませんね。でも、そんな痛みが育てた強さなんて……なんだかとても、悲しいです」
こんなに強くて優しい人が、十六歳になる前に、呪いで死んでしまうかもしれないなんて。そんなことが許されるわけがない。
霧の中の、見えない糸をつかむような気持ちで、私は問いかける。
「何か、その呪いを解く方法はないんですか」
青都さんは首を横に振った。
「茜音に印が現れて、呪われた子だとわかってから、父はずっと全国を探して回っていたんだ。アンティーク好きには、古い言い伝えなんかに詳しい人も多いから、このバスでショップをやりつつ、時には週刊誌の記者なんかもしながら、情報を仕入れていたらしい。けれど一ヶ月前に、『呪いが解けるかもしれない』と連絡をしてきた直後に、父は行方をくらましてしまった」
魚住くんが父親のことを「今はいない」と言っていたのは、てっきり事故か病気で亡くなったのだと思い込んでいた。実際には、行方不明でいなくなったという意味だったようだ。
「この街だったんだ。父のボンネットバスが見つかったのが」
「魚住くんのお父さんが、この街に……?」
「だから僕たちは、後を追うように、この街にやってきた」
青都さんは棚の引き出しから、写真を一枚取り出した。一ヶ月前の日付がプリントされている。
「撮影されたのは、父が最後に連絡してきた日と同じだった」
礼拝堂のようなところに、白いフード付きのマントのようなものを着ている人たちがたくさん写っていた。
部屋の一番奥には、ミイラのようなものが祀られている。ご神体か何かだろうか。
小型カメラを手にした男性が、手前に写っている。鏡に向かってカメラを使って、隠し撮りをした写真のようだ。画面に写っているその顔は、青都さんや魚住くんに少し似ていた。




