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11 茜音は呪われているんだよ。(猫崎桃)

 気になる。実に気になる。でも本人はあまり話したくなさそうだし、これ以上さらなる暴露をされても、私のメンタルが耐え切れるかわからない。


 今はこれ以上追求しないほうがよさそうだ。


「猫崎さん、さっき、いろいろと変なものを見て、もう俺やあいつらのこと嫌になっちゃったかもしれないけど……」


 私は必死に、ブンブンと首を横に振る。


「びっくりしたけど、嫌になったとかは全然ないよ。むしろあんなに可愛い子たちが見られて、目の保養になったよ」

「……ほんとに?」


「ほんとに」

「そっか。良かった」


 魚住くんが表情を緩めた。

 だが、私は銀羅と灰羅という二人の子供に言われたことを思い出して、目を伏せた。


「でも、私が猫と仲良くなりたくて、魚住くんに近づいたのは本当のことだし、クラスの女子に嫌われてるのも事実だし」


 自分で改めて、「嫌われている」なんて口にすると、なんだか情けなくなって、無意識のうちにポロリと涙が流れてきた。


 ようやく自覚した。私はずっと傷ついていたのだと。あれだけ大丈夫だと、自分に言い聞かせるようにして、なんでもないと思い込もうとしていたけれど。


 やっぱり私は辛かったのだ。


 心なんて、そんなに簡単に騙せるものじゃない。無理をすれば、それだけ別の歪みを生み出すだけだ。私はずっと自分に嘘をついてきた。知らず知らずのうちに、自分で自分を傷つけていたのかもしれない。


 ふいに魚住くんの指が伸びてきて、私の頬に流れ落ちた涙をぬぐった。


「たとえ誰かに中傷されたとしても、自分が間違ったことをしていないと思っているのなら、泣く必要なんてないよ」


 魚住くんが、じっと私の目を見ている。


「それに、誰だって、下心だらけだよ」

「え?」


「俺だって、思いっきり下心があって、猫崎さんをうちの店に誘ったんだ」

「そう……だったの?」


「猫崎さんが猫好きなのを利用して、もう少し仲良くなれたらいいなって思って、初めてクラスメイトを、うちの店に誘ったんだから。だから俺だって、むちゃくちゃ下心ありまくりだよ。自分で言うのは、かなりアレだけど」


 あまりにストレートな言葉に、頭がクラクラしてきた。


「赤ちゃんが泣きわめくのだって、ミルクが欲しいか、おしめを変えて欲しいか。下心ありきで、しっかり親を操ってるじゃないか。生まれた時から俺たちは、下心まみれなんだから。いまさらだよ」


「確かに……言われてみれば、そうだね」

「下心がないまま生きられるなんて、神様ぐらいだろ」


 私は苦笑いをする。


「さすがに神様の域には、行ける自信はないかな」

「だろ」


 魚住くんは優しく微笑んだ。


「やりたいことをやるために、なんだってするのが、人間なんだから。普通のことだよ。だから、銀羅と灰羅の言うことなんて、気にしなくていいから」


 魚住くんは、小さく息を吐いてから、大きな声で言い放った。


「ということで、これから俺はさらに、下心満載で、また猫崎さんを誘います」


 魚住くんの真剣な眼差しが、胸の奥まで刺さりそうで、キュッと苦しくなってくる。


「俺は猫崎さんと、もっといっぱい話をしたいし、仲良くなりたいです。俺の作ったデザートだって、もっと食べて欲しい。だから、またうちの猫カフェ水族館に、いつでも来てくださいっ」


 どうしてこの人は、こんなに私が欲しい言葉をくれるのだろう。こんなにドキドキしたことがないぐらいに、心臓がうるさかった。


「……わかった。また来るね」


 魚住くんがニカっと笑う。その笑顔を見るだけで、心の中がとても温かで、優しい気持ちになっていく。


「やっぱり魚住くんはすごいね」

「え?」


「私の心の中の辞書に、魚住くんの映像語録が、いっぱい増えそうだよ」


「なんだろう。変な項目じゃないことを祈るしかないけど」

「それは秘密」


 私だって、その箱に、なんてラベルをつけたらいいのか、まだわかっていないのだ。


 真っ白で大きな箱。最初に作った『尊敬』という箱とは、また違う。心が温かく、優しくなる言葉を入れる、まだ名前のない箱。きっといつか、魚住くんの映像で、溢れてしまうかもしれない。


 ふいに遠くから、子供たちに帰宅を促すような、夕焼け小焼けの曲が聞こえてきた。防災訓練のために、時々流されているやつだろうか。


「遅くなっちゃったな。駅まで送ろうか?」

「ううん。大丈夫。さすがに三十分を往復させるのは悪いし」


 魚住くんは苦笑する。三十分を十五分と嘘をついたことを、少し思い出していたのかもしれない。


「そっか。じゃあ、猫崎さん、気をつけて帰ってね。たぶん帰りは、あいつらが邪魔しないから、山道も一人で大丈夫だと思うけど」


「うん。わかった。……あっ」

「なに?」


 熊野先生に反省文を提出するのを、うっかり忘れていたことを思い出した。別に明日でも問題ないだろう。きっと先生なら許してくれるはずだ。


「なんでもない。じゃあ、また明日ね」

「……また明日」


 私はごく当たり前のように、未来の約束をしてから、猫カフェ水族館風アンティークショップ兼まじない絵師の店を後にしようとした。


 だが魚住くんが突然苦しそうにして、その場に倒れこんだ。


「魚住くんっ!」




 私がどうしていいのかわからず、右往左往しているうちに、ボンネットバスのほうから、青都さんが駆け寄ってくる。


「あの、魚住くんが急に倒れて」


 青都さんは眼球や脈、呼吸を確認すると、倒れている魚住くんを抱き上げた。魚住くんは息苦しそうに、胸を押さえている。


「大丈夫。あとは僕がなんとかするから」

「でも」


「いつものことだから。君は心配しなくていい。君はあまり遅くなったらいけないから、暗くなる前に、もう帰りなさい」

「いえ、帰りません」


「知らぬが仏という言葉もある。後悔しても知らないよ」

「……こんなに苦しそうにしてる魚住くんを置いて、自分だけ帰るなんてできません」


 青都さんはやれやれと言った顔をしたが、私があとをついていくことを止めはしなかった。魚住くんを担いだまま、青都さんはボンネットバスに戻っていく。私もあとに続いた。




 バスの中に入ると、後部座席を改造した大きな水槽の前に立ち止まる。青都さんは魚住くんを、突然水の中に投げ入れた。


「え、ちょ、ちょっと何をして」


 熱帯魚の泳ぐ水槽の中で、魚住くんは苦しそうにしていたが、しばらくすると呼吸が落ち着いてきたのか、穏やかな表情になった。


 水槽の中で、魚住くんはゆらりと浮いたまま、まるで魚になったみたいに、ずっと水の中で息を続けている。


 前に魚住くんが、「たまに水槽にぶっこまれる」と話していたのは、このことだったのだろうか。いくら豪快でも、ほどがあるのでは。


「あの、こんなことして、魚住くん、大丈夫なんですか」

「ごめん。しばらく集中しなくちゃいけないから、静かにしていてくれるかな」


 青都さんが棚から古文書のような、赤茶けた和本を出してきた。丸メガネをかけて、本を見ながら、何か呪文のようなものを唱え始めた。


 指で空間をなぞりながら、不思議な絵のようなマークを書いていく。


 すると熱帯魚が光って、魚住くんの周りに群がっていく。まるで魚住くんを治療しているみたいだった。どうやら普通の熱帯魚ではなかったのかもしれない。


 青都さんが水槽は魚住くんのためと言っていたのは、このためだったようだ。


「これでもう大丈夫。しばらく休んでいれば、また肺呼吸ができるまで回復するはずだ」


 青都さんはホッとしたように水槽を眺めている。私も安心したせいか、力が抜けて床にしゃがみこみそうになったが、青都さんに腕を掴まれた。


「少し君には刺激が強すぎたかな」


 青都さんに抱きかかえられるようにして、水槽のそばの椅子に座らされた。


「すみません……ありがとうございます」


 私を助けるときに、床に落としてしまった和本を、青都さんが拾い上げる。私の目線をちらりと見た青都さんは、古文書のような和本と、丸メガネを私に手渡してきた。


「そんなに興味があるなら、見てみたらいいよ」


 恐る恐る丸メガネを受け取り、かけてみた。メガネをかける前は、古文書に書かれた文字が、何がなにやらさっぱりわからなかった。だが、メガネを通して見ると、日本語の読み方がぼわーっと光って表示されて、なんとか読めるようになっていた。


「面白いだろ。その本は、妖が書いたと言われている特別な書物でね。君がつけてるメガネは、妖力の弱い人間でも、妖の言葉がわかるように、専用の術をかけたものなんだ」


 ページをめくったら、突然、本に書かれた文字が浮き上がり、こちらに向かって飛んできた。思わず悲鳴をあげて、本を投げ出してしまった。


「大丈夫かい」

「ちょ、ちょっとびっくりしただけです。ごめんなさい。乱暴に扱って」


「時々悪さをするんだこの本は。特に可愛い女の子には目がなくて、僕と同じ悪い癖があるんだ」


 さらっと可愛いとか言うのは卑怯だ。きっと今までにも、いろんな女性にそう言って、骨董品を買わせてきたのかもしれない。


 私はおそるおそる、メガネと古文書を青都さんに返却した。

 青都さんはクスッと笑う。


「大丈夫だよ。そんなに警戒しなくても。いきなり人を食ったりはしないから」


 私は苦笑いを返す。

 そっち方面の心配ではないのだけど。主に物を壊して、弁償する羽目になったらどうしようという、お財布の心配をしただけだ。


「いろいろと驚かせてしまったね」

「いえ、そんなの、私が勝手についてきただけですから」


 青都さんは水槽の魚住くんを見つめて、優しく微笑んだ。


「この通り、こうして呼吸ができなくなる時が、発作的にやってくる。茜音は呪われているんだよ」

「呪われてるって、どういうことですか」


「我が一族がかつて、まじない絵師として仕事をしていたという話は、茜音から聞いたかい?」

「はい、さっき少しだけ」


「実は一族の祖先が、大昔に依頼を受けて、不老不死の秘密を手に入れようと、人魚を調べていたらしいんだ」

「人魚を?」


 もうこれ以上何を言われても、驚かないつもりだったが、想像上の生物まで出されると、さすがに頭が痺れてきた。


「人魚を殺して、肉を手に入れろと指示されていたのに、ご先祖様の一人が、抜け駆けをして、金髪碧眼の美しい人魚を、連れ去ってしまったらしい」


 水槽に漂っている魚住くんを見た。水に揺れる金髪と、光っている熱帯魚に照らされる青白い肌は、まるで人魚姫みたいに見えた。




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