10 私は一体、何を見ているのか。(猫崎桃)
「なんで私のお財布事情をご存知なのでしょうか」
青都さんがニンマリと笑う。
「君、さっき山道で、突風に見舞われたり、すっ転びそうになったり、やたらと体が重くなったりしたでしょ」
「……はい。どうしてそれを」
「ごめんね。あれ、うちの絵式神のいたずらだから」
「絵式神の……いたずら?」
ちょっと何を言っているのかわからない。
「おい、やめろ。うちの兄ちゃんは嘘つきだから。猫崎さん、だまされたらダメだ」
魚住くんが慌てて近づいて、青都さんの口を塞ごうとするが、謎の力が働いているみたいに、魚住くんはお手上げ状態になって、動けなくなっている。
「ひ、卑怯だぞ」
「茜音、お兄ちゃんを嘘つき呼ばわりするのは、関心しませんね」
青都さんが指を掲げて、空中に不思議なマークを描く。なぞった指に合わせて、光る水でできたようなそのマークが、人形のように形を変えると、立体的に浮かび上がった。
ゆらりと動き出したかと思うと、魚住くんの体に群がる。青都さんが指を上げると、魚住くんがふわりと宙に浮いた。
何がどうなっているのか、さっぱりわからない。
「去年から引きこもって、コミュ症になってしまったこの茜音が、転校してからやっと登校できた日に、お友達と仲良くやれるか、もう僕は心配で心配で。つい絵式神を飛ばしてしまったのだけれど。まさかいきなり、こんなに可愛らしい女の子を連れてくるなんて、思いもしませんでしたよ」
空中に浮いている魚住くんは、必死に抵抗しようとするが、どんどん浮上していき、バスの天井にへばりつくように押し付けられていた。
「しかも、どうやら二人があまりに仲良しなもんだから、絵式神たちがムカついて、いたずらしちゃったみたいなんだよね」
青都さんがにんまりと笑って、指を下ろすと、魚住くんは床に叩きつけられそうになって、ギリギリで止まった。
「あぶねーだろ、何すんだよっ」
ようやく解放され、掴みかかろうとする魚住くんを止めるように、両脇に突然、白い着物姿をした小さな童が二人、姿を現した。
普通の子供ではない。
銀髪に、尖った獣の耳、さらに猫のような長いフサフサの尻尾が二本生えていた。髪型以外はそっくりな顔をした子供が二人、宙に浮いている。
わけがわからない。私は一体、何を見ているのか。
でも言わずにはいられなかった。
「……可愛い」
私の言葉を聞いて、青都さんがにっこりと微笑む。
「お褒めにあずかり光栄です。二人とも、僕が腕によりをかけて作った、うちの可愛い絵式神たちです。髪の長いほうが銀羅で、短いおかっぱのほうが灰羅。ほら、ご挨拶しなさい」
「嫌よ」
「嫌だ」
ムッとしたような表情の二人は、魚住くんの腕をがっつりと掴んだまま、私のほうを睨んでいる。
青都さんが、なだめるように二人に声をかける。
「そう言わずに。このお嬢さんは、茜音の大事なお客さんなんだから」
長い銀髪の、銀羅と紹介された子供が、私に向かってアカンベーをしてくる。
「ありえない。猫と遊びたいから、茜音と友達になろうとしてるなんて。そんな打算的な女なんて、アタシは絶対に認めないっ」
おかっぱの銀髪頭をしている、灰羅と呼ばれたほうの子供が私を指差した。
「絶対、茜音は騙されてるんだってば。こいつ、クラスの女子にも嫌われてたし、ろくな女じゃないよ。だからボクがこいつ、今すぐ始末してやろうか」
「お前ら、猫崎さんに謝れっ」
魚住くんは抵抗しているが、子供たちに体を押さえられ、口も塞がれ、身動きが取れずに唸っている。
「やめなさい。そろそろ満足したでしょ。いい加減にしないと、お仕置きしますよ」
青都さんが手をかざすと、銀羅と灰羅はおとなしくなった。解放された魚住くんは、苦しそうに咳き込んでいる。
二人が何者なのかはよくわからないけれど、言おうとしていることは理解出来る。
実際に、私は猫と仲良くなりたいという動機で、魚住くんに声をかけたのは事実だ。それが下心からくる打算だと言われてしまえば、否定のしようがない。
「ごめん……なさい」
せっかくとても素敵なお店で、もっともっと何度も遊びに来たい場所になりそうだったのに。きっと私がいくら欲しても、私の居場所なんか、このお店のどこにもないということなのだろう。
「二人を不愉快にさせたのなら、もう帰ります。お茶とデザート、ごちそうさまでした。それじゃあ、おじゃましました」
後ろ髪を引かれる思いで、猫オルゴールを手放すと、私はバスから退散することにした。
「待って、猫崎さんっ」
外に出て、広場を歩いていると、魚住くんが追いかけてきた。
「あの、これ」
魚住くんが差し出したのは、あの猫のオルゴールだった。
「え、でも、お金払ってないし」
私は首を横に振る。
「いいから、いいから。受け取って」
私がいくら断っても、魚住くんは引くつもりはないようだ。
「そんなわけには。ちょ、ちょっと待って」
私は慌てて財布を出した。てっきりワンコインぐらいは残っているつもりだった。だが、まさかの所持金は四百九十円だ。この後に及んで、十円だけ足りないなんて。そんなばかな。
「大丈夫。今回は俺が立て替えとくから。これは、猫崎さんが持ってて」
「……いいの」
「本当に欲しがってる人に、持っててもらったほうが骨董品も喜ぶからって、兄ちゃんが」
「そう……なの?」
私なんかにもらわれて、この猫オルゴールは本当に喜んでくれるのだろうか。骨董品を扱い慣れていそうな青都さんが、そう言うのなら、きっとそうなのだろう。
「それにたぶん、お守り代わりになる品だから」
「へぇ、お守りになるんだ」
私がオルゴールを受け取ると、魚住くんはホッとしたように、はにかんだ。
「しばらくお守りの効果が出るまで、肌身離さず、持ち歩いておけば、ご利益があるらしいよ」
「わかった。ありがとう。大切にするね。今度、ちゃんとお金も返すから。次のお小遣いをもらったらきっと」
「そんな慌てなくても。いつでもいいよ」
魚住くんは白い紙の箱を差し出した。
「あとこれも。気に入ってたみたいだから、ガトーショコラ。お土産に」
「あ、ありがとう。何から何まで。どうしようお返しできるものが、これぐらいしか」
カバンの中をゴソゴソと探して、チューブ状のアレを数本ほど、魚住くんに差し出した。ガトーショコラの箱と物々交換をするように、お互いに手渡した。
魚住くんが小さく笑う。
「じゃあこれは、うちの猫店員たちに、振舞っておきます」
魚住くんが頭をかきながら、少し目線を外してから、深々と頭を下げた。
「あと、さっきはその……うちのやつらが、いろいろとごめん」
「いや、そんな、謝らないでいいよ」
魚住くんが謝る必要なんてないのに。むしろ一番の被害者だったような気が。
「その、なんていうか。まぁ隠すのも無理な感じになっちゃったから、ぶっちゃけちゃうと、うちの家系は、ちょっと変わってて」
ちょっとどころのレベルではない気がするけれど、つっこんだら負けというやつだろうか。たぶんこの世には、自分が想像もつかないような、不思議な事実がこっそり隠れているのかもしれない。ただ私が知らなかっただけで。
「実は俺と兄ちゃんは、まじない絵師の血を引いているというか」
「ま、まじない絵師……? 人間関係の相談事を、絵で解決するってやつだっけ」
確か、看板にもそんなことが書いてあったような。
「まぁその、詳しく話すと長くなるからアレなんだけど、元々の流れは、陰陽師から派生してるやつで」
「陰陽師って、もしかして、あのスケートの人が踊ってたやつだよね?」
「……俺は踊らないです」
「あ、そうだよね。ごめん」
「たぶん猫崎さんの頭の中のイメージと、ちょっと違うとは思うけど、意味合いとしては、そういう類のやつです。だからあやかしを絵に封じ込めた、絵式神ってのが使えたりして……それであんなことになっちゃったというか」
あんまり詳しくはわからないけれど、絵式神と言ってたのは、それのことだったのか。てっきり魚住兄弟が揃いも揃って、中二病なのか、それともイリュージョニストか何かなのかと思ったが、そういうわけではなかったようだ。
「びっくりだよ。陰陽師みたいな能力を使える人が、今の時代にもいるんだね」
「いや、能力を持っている人は、まだいるにはいると思うけど、厳密には陰陽師系の子孫ってだけで、陰陽師という役職なわけじゃないし」
「役職?」
「昔は陰陽師って、国の陰陽寮っていう機関で勤めた役人たちのことなんだ。今で言う国家公務員みたいな感じというか」
「全然、知らなかった」
「明治二年まではあったらしいけど、今はもう陰陽寮がないから、元陰陽師系の子孫っていうのが正しいかな」
てっきり物語の中にしか存在しない、絵空事だと思っていたのに。
明治なんていう現代社会になるまで、お仕事として機能してたなんて驚きだ。本当に魚住くんには、驚かされてばっかりだ。
「それに、うちのご先祖様は、ちゃんとした役人ではなかったみたいだけどね。事情があって、本流を外れてからは、まじない絵師って仕事をするようになったらしいよ」
「そのまじない絵師……って、絵を描くのが仕事なの?」
「疫病に効く絵を描いたり、人に災いを為すあやかしを、絵に封じ込めて退治したり、捕らえた絵式神を管理をして使役したりが、主な仕事だね」
「へぇー」
本当は、よくわかっていなかったけれど、正直にそう言うのが恥ずかしかったので、わかったような顔をしておいた。
「でも、俺はまだ、兄ちゃんみたいに絵式神を使いこなせてないし、ただの見習いみたいなレベルなんだけど。だから、あいつらには遊ばれちゃうというか」
どうやら、あのよくわからないけど可愛すぎる子どもたちは、本当に存在する絵式神という代物らしい。私にだって見えていたのだ。信じるしかないだろう。
「急にまじない絵師だの、絵式神だのって、全部信じろって言っても、困るかもしれないけど」
ふいに学校の屋上での会話を思い出した。猫にやたらと好かれるのが、「避けようのない宿命」だみたいなのは、てっきり中二病なセリフだと思い込んでいたが。
「じゃあ、猫に好かれるのも、そのまじない絵師の血筋のせいなの?」
「それはまた、ちょっと……別の事情があるかもというか、俺も詳しくはよくわからないんだ。ごめん」
どうやら魚住くんには、まだまだ秘密がありそうだ。




