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南洋の決闘 〜日米海軍の一騎打ち〜  作者: 扶桑かつみ


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第一章「戦勝」 (三)

一九四三年九月二六日 サンクトペテルブルク



 ロバート・アンダーソン中佐が休息を終えて講和会議場に到着すると、かなりの活気があった。


 ソ連いやロシア敗退により街全体に沈滞した雰囲気が溢れている事を思えば、まるで帝政ロシアの栄光が戻ってきたかと思うほどの別世界だった。


 ただし、かつての宮殿、現在は美術館として使われている場所を闊歩するのは、威厳に満ちあふれたツァーリでも華やかな貴族でもなかった。

 もしかしたら新たな貴族なのかもしれないが、闊歩しているのは「赤色戦争」と呼ばれる争乱に首を突っ込んだ国の人々だった。


 アンダーソン中佐の祖国アメリカも、アクシスへの物資無償供与という形で勝利に貢献していた。

 おかげで前回のニュルンベルク会議と違って、オブザーバーではなく発言を許される勝者の側として会議に参加できた。


 もっとも、今回の敗者はすでに解体が決定されたソヴィエト連邦だけだったが。



 一九四二年四月一五日、ソ連書記長スターリンは、「バクラチオン作戦」発動を命令。

 ソ連赤軍は、ナチスドイツとファシズム打倒を旗印に全力を挙げて欧州侵攻を開始した。


 「赤色戦争」の始まりだった。


 なぜソ連が、ドイツに先制攻撃を行ったのか。

 説は様々だが、最大のものはニュルンベルク会議でソ連こそが次なる敵と確認されたのだとスターリンが「確信」したからだと言われている。


 

 ソ連赤軍の前進は、最初の一週間は快調だった。


 フィンランドとの冬戦争で危惧された将校の質の低さと全体の作戦能力の低さも、大きく改善されているものと判断された。


 戦車も新型のT三四は、生産が遅れながらも五〇〇〇両近くが前線に揃えられ、東欧に侵攻した四〇〇万人の軍団と組み合わせれば一ヶ月でベルリンを、三ヶ月でパリを陥落させてご覧に入れますと、無能故に忠誠心の厚い将軍達は断言したほどだ。


 だが、実態は大きく食い違っていた。


 スターリンが不倶戴天の敵としたヒトラーも、同時期にソ連との戦争を画策しており、スターリンの方が一ヶ月行動が早かったに過ぎなかったからだ。

 しかもドイツ軍の警戒態勢は常に高く、赤軍の航空奇襲すら失敗していた。

 加えて東欧諸国も「ソ連=ロシア=侵略者」という考えで骨の髄まで統一されており、赤軍は最初の数日が経過すると各所で大きな抵抗にぶつかっていたのだ。


 それでもソ連赤軍は、ドイツ正面では最初の一週間で一〇〇〜一五〇キロほど前進する。

 だが、硬直化した指揮系統、将校の質の低さは複雑な侵攻作戦で問題を続発させた。

 しかも、赤軍全体の練度の低さもあってドイツ軍精鋭部隊に押し止められてしまう。


 そして、赤軍が兵站物資と第二次突破戦力を消耗して後方の第三次突破部隊と交代しようとしたその時、ドイツ軍を中心にした総反攻が開始された。


 ドイツ軍は四月中には各所で大規模な運動戦による反撃と包囲行動を開始し、機甲部隊を中心にした快速軍団は、稚拙な行動しか取れないソ連赤軍を一気に包囲殲滅していった。

 しかも東欧各国に進撃していた南方部隊も、側面からのドイツ軍の攻撃で後方を完全に遮断されて半月で全面降伏に追いやられてしまう。


 損害と捕虜の数は、たった二ヶ月で侵攻した全軍の過半数に当たる三〇〇万人近くに達した。

 攻勢をかけていた側の損害とは、とうてい思えない数字だった。


 そして六月二二日、ドイツ軍を中心とした「反共十字軍」は一斉にソ連・ロシア国境を突破した。


 「反共十字軍」とは、ソ連赤軍の非道をドイツ宣伝省が伝える際に用いた言葉の一つだ。

 ソ連軍兵士が占領地各地で示した様々な蛮行が明らかになると、世界は反共産主義一色で染まり上がった。


 当然ながらイタリアを始めとするアクシス各国は、総力を挙げての派兵とソ連軍撃退に尽力した。

 新たにアクシスへ加わったフランスやベネルクス三国も戦争への全面協力を約束して、合計で二〇〇万の軍団を編成すると、ドイツ領内を通過してドイツ人と肩を並べた。

 ニュルンベルク会議後もアクシスとは一定の距離を空けているはずのイギリスも、ドイツの求める参戦に応じた。

 しかも、いち早く未だ欧州随一の海軍を用いてバルト海と地中海から海軍を送り込み、フィンランドやバルカン半島からドイツを叩くはずだった戦略爆撃機で赤軍の兵站をズタズタにした。


 そしてアクシス第二の大国と目されるようになっていた日本帝国も、六月半ばには宣戦布告してソ連極東全域に進撃を開始した。


 しかもアメリカ国内でも、共産主義の脅威から世界を救うべきだとする声があがり、特需を見越した動きもあって参戦各国に物資支援すら行った。


 アクシスにとっては、ソ連が先に戦争を仕掛けてくれたからこその外交結果だった。



 戦闘は激しいものとなったが、アクシス諸国が英米からの好意、特に参戦に応じたイギリスへの配慮から現地住民の共産主義からの解放をプロパガンダとして実践したため、進撃と統治はスムーズに進んだ。


 ドイツ総統アドルフ・ヒトラーが、持論をすべて覆す発言を行ったからだ。

 彼は、ロシア人民を共産主義の悪夢から救う事こそ、ドイツ民族の東方進出の第一歩であると宣言したのだった。


 一般親衛隊には、占領地での共産主義者とユダヤ人に対する行動のみを許し、スラブ人には手厚い保護を与えて味方にするよう徹底された。

 スラブ軽視が一般化していたドイツ国民と国防軍にも、ドイツの敵は悪しきイデオロギーである共産主義と、これを作り上げたユダヤであると伝え、スラブを新たな友とするように指導した。

 そして宣伝省には、ドイツの正義と行いを世界中に広めるように命令を下した。


 この「プロパガンダ戦略」と呼ばれた効果は劇的だった。

 バルト三国は歓迎の花吹雪をうけながら瞬く間に解放され、ベラルーシ、ウクライナを中心にロシア各地でも熱烈な歓迎を受けることになる。

 スターリンが焦って先制攻撃し、ヒトラーがイギリスの参戦をさせようと宥和政策を打ち出したことが、一つ間違えば民族殲滅戦争になったであろう対ソ連戦争を激変させてしまったのだ。


 このためソ連の政治的崩壊も非常に早かった。

 赤軍部隊の中には、政治将校を自ら殺害して集団投降する例も後を絶たなかった。


 もちろん占領地行政は円滑に進み、ドイツ軍を中心とする反共十字軍は後方警備をほとんど気にすることなく、また兵站をロシア人に任せる事ですべての力を前線に投入することができた。

 現地住民を味方にできたのでゲリラやパルチザンもほとんど発生せず、広大な大地で戦うという以外のすべてが順調だった。


 それでも赤軍は、T34戦車約五〇〇〇両と赤軍八〇〇万人を押し立てて抗戦した。

 しかし赤軍の戦術は相変わらず稚拙の一言に尽きた。

 侵攻作戦時に、有能な将軍を死守命令で失ったのも大きかった。

 逆侵攻開始から二ヶ月で反共十字軍は六〇〇キロ前進し、さらに三〇〇万人の赤軍を包囲殲滅した。


 だがその後も戦闘は苛烈を極め、まだ五〇〇万人以上の兵士がモスクワ前面に立ちふさがっていた。


 しかし、極東の予備兵力を奪われた赤軍に対して、英国の支援で兵站維持と相手の兵站破壊を強めたドイツ軍を中心とする反共十字軍の進撃の熱意は高く、同年十一月ついにモスクワを包囲する。


 モスクワは一ヶ月近く籠城したがついに力つき、赤軍五〇万人と共に降伏した。

 戦争の帰趨が事実上決した瞬間だ。


 戦争は翌年も続いたが、政治の重心を失い兵器の補充も思うに任せないソ連の退勢は動かしがたく、一九四三年夏にスターリンが共産党と軍部により罷免され、側近の過半が粛正されたのが幕となった。



「かくて我らも、ピョートル大帝の作りし大地に立つ、というわけですか」

「まあ、おこぼれみたいなものでしょうけどね」


 アンダーソン中佐の言葉に、随員として同じアメリカから来ていた小太りの官僚が応じた。


  官僚はペンテルス・ピータースバーグと言い、何と国務省ではなく商務省から派遣されていた。

 商務省の言い分では、合衆国の援助は主に物資の面であり、商務省が持つ正確な情報はステイツの利益になる、というものだった。

 このため数人の商務省役人が講和会議に来ており、何かと軍人と対立しがちな国務省役人よりも商務省役人の方がアンダーソンら軍人と無駄話する機会が多かった。


 そしてピータースバーグが言った通り、サンクトペテルブルクでのアメリカは勝者の側とは言え余録のようなもので、会議はアクシスの勝利をさらに印象づけていた。


 見かける人々の中でもドイツ、イタリア、日本の軍人が幅を利かせており、次いでイギリス、フランスがさも当然とばかりに自らの席を確保していた。

 しかもほとんどすべての人が、先祖伝来の敵であるロシアと近年最大の脅威だった共産主義に勝利したというので、皆晴れ晴れとした顔をしていた。

 おかげでアンダーソンは、おしゃべりで冗談好きのドイツ人や日本人を多数目にするという貴重な体験をした。


(まあ、午前中に会ったジローは例外かな)


 埒のない事を思いつつ、しばらくは喫煙室として使われている豪勢な部屋で商務省役人達と過ごした。

 何しろ会議はアクシスとその取り巻きの独壇場であり、所詮アメリカはヒーローではないのだ。


「ところでアンダーソンさん、この会議どういう結果になると思いますか?」

「また、ヒトラーがロシア全土を併合するかどうかの賭けですか? その賭けは成立しませんよ。ヨーロッパ・ロシア全てを併合する可能性が一番高いでしょうからね」

「まあ、そうなんですが。じゃあ、これはどうです。共産党が生き残るかどうか?」


 アンダーソンは首を横にだけ振った。

 しかしピータースバーグは諦めなかった。

 小太りで眼鏡をかけた運動不足丸出しの体型だが、その体内には何やらかなりのエネルギーが詰まっているらしい。


「それでは、日本を対象にしましょう」

「日本がシベリアを併合するかどうかなら、同じですよ。一般的に考えればある程度は併合するでしょう。日本軍も、数十万人の死傷者を出したと言いますからね。支那ですらなかなか戦争止められなかったのに、領土や賠償金を取らなくては日本の国民が認めないでしょう」

「確かにそうですが、対象は少し違います。日本全権代表の松岡洋右がどんな要求を出すか、です」


 アンダーソンは、ハァと小さく息を付くと、議論にだけ乗ることにした。

 彼にとっての賭け事は、仕事中真剣勝負においてだけで、趣味や娯楽としてするつもりはないものなのだ。


「いいですがミスタ・ピータースバーグ、何度も言うように私は賭け事はしません。ただし、今の事なら議論になら乗りますよ」


 最後に小さくウィンクした。

 相手が異性にもてそうにもない同性相手でも、アンダーソンは美形なだけによく似合っている。


 もっともピータースバーグは、人の良い笑みだけ浮かべると話しに乗ってきた。

 どうやら、単に暇つぶしがしたいだけらしい。

 何しろ彼は、禁煙家のくせに今日は喫煙室しか居場所がないのだ。


 そしてそれからしばらくは、かなり熱の入った議論になった。

 見かけの違いとは逆に、馬の合う間柄らしい。


 おかげで話しにはまり込んでいたアンダーソンは、

部屋と部屋の通過場所ともされていた喫煙室扉の中を通り過ぎた金城次郎中佐を見逃してしまい、金城の方も特に気付くことなく通り過ぎてしまった。



「いいですかロブ、近年日本の戦争理由は特に深く経済に関わっています。なぜなら、それまでの主な貿易相手がステイツとイギリスだったからです。それを自らの外交の失敗で無くしたからこそ、第二次世界大戦に足を踏み入れたと言ってもいいでしょう」


 アンダーソンも深く頷いた。


「確かに。しかし、日本軍部の動きはどう考えます。日本軍部と松岡全権は、近年の日本の行動とは切っても切れないでしょう」

「そうです。だからこそ、首相の近衛が代表ではなく松岡洋介が全権代表なのであり、私は松岡全権の言い出す強気の言葉が気にかかるのです」

「場合によっては、また諸外国を無視した権高な態度に出かねない、と」

「そう、国際連盟を脱退した時のようにね」


 そこで二人は、それぞれの仕草で一瞬沈思した。

 そしてアンダーソンが次は切り出した。


「松岡全権が強気に出る。これは間違いないでしょう。私は彼がシベリア全土の割譲を要求すると考えます。どうせ素案ですから、日本としてはそこから譲歩すればいい。何しろ日本は勝利者です」

「しかし、それほど強欲に出ては他の同盟国が黙っていないでしょう。日本とドイツがすべてのパイを食べてしまったら、せっかく参戦したイギリスやフランスはどうなります」

「そう、そこです。アクシスとしては、ヴィシー・フランスには普仏戦争後の領土を、イギリスには地中海と中東、アジアの権益をいくらか返還するとすれば、事足りるでしょう」

「そしてロシアは、国境を接するドイツと日本のものというわけですか。確かにそれなら、英仏も背に腹は代えられませんね。それに、貧弱なドイツや日本の経済力では、どうせロシアは抱えきれない。イギリスはその辺りまで読んでいるでしょう」


 さすが小太りでも商務省出身だ。経済の事にまで話が及ぶとアンダーソンでは太刀打ちできない。


 ピータースバーグは続けた。


「しかも、ドイツと日本はロシアの資源が欲しい。欲しくてたまらない。今までの経緯から考えると、かなり無理押しした最終案を出してくる可能性が高いでしょうね」

「なるほど。では、独立問題や民族自決、人権問題は? ステイツやイギリスなどが、かなり強く主張していますが」

「専門外なので何とも言えませんが、バルト三国は独立復帰させるでしょう。衛星国だった国では共産党を徹底的解体する。まあ、それぐらいでは。独立にベラルーシも加えてもいいかも。けどウクライナは、ドイツが押さえるでしょうね。資源も穀物も豊富だし、ヒトラーの目的だったバクー油田にもつながっている」

「じゃあ、日本は?」

「やはり日本が気になりますか?」

「まあ、今や日本帝国海軍は、海軍の仮想的第一位ですからね」


 確かに切実にもなりますね。

 そう答えたピータースバーグは、国土の少ない日本は取れるだけ取ろうとするだろうと断じた。

 アンダーソンもほとんど同意見で、あとは交渉がどういう決着が迎えるかという事で雑談は終わりを告げた。


 ようやくアメリカの出番が回ってきたのだ。



 なお、サンクトペテルブルク講和会議、通称「反共十字軍・異端査問会」は、イギリスなど議会民主主義国が多数が参加していたため、会議の体裁こそ平和と融和路線が強調されていた。

 しかし実際は、ロシアを二度と足腰立てなくするのが目的の会議となった。

 その点イギリスも、本音として容赦なかった。


 まずソヴィエト連邦は解体され、ロシア共和国とされる事が全会一致で決定された。

 そして、今まで連邦を構成していた一五共和国の解体と分立、さらに近年近隣各国から割譲した地域の返還も合わせて決定された。

 自ら独裁者を排除した共産党は粛正や銃殺こそされなかったが、組織の全面解散と今後の共産党活動の停止を命じられた。

 銃殺されたのは、共産党の手により講和前に射殺されたスターリンとベリア、その取り巻きだけだった。


 そしてロシア仮政府が作られた時点で、賠償、領土割譲などが議論されていった。


 もっとも、欧州ロシア地域がイギリスなどへの手前形式上独立するため、ドイツが領土としてロシアから割譲したのは、ヴォルガ河以西からウクライナ、ベラルーシ国境のロシア領となった。

 しかもこれも国連からの委任統治という形式が取られた。

 ヒトラーとしても、極めて低コストで運営されつつあるロシアに、当面は宥和政策で臨む姿勢を示したのだ。


 だが、他の地域でもバクー油田を始め地下資源の多くの採掘権などはすべてドイツを中心に列強が牛耳り、徐々にスラブ系住民の反ドイツ感情を高めさせる事になる。


 いっぽう新たに独立国の立たなかったシベリアでは、モンゴルの共産主義政権が打倒され、東トルキスタンから共産主義者が追い出されたぐらいで、すべて日本の手に転がり落ちそうだった。


 事実日本全権の松岡洋右は、正当な賠償としてバイカル湖以東の広大な土地の割譲を要求した。

 しかし、さすがに法外な要求と諸外国からも受け取られ、北樺太の割譲・併合以外はバイカル湖以東は日本の委任統治領という形にされた。

 しかも日本はいずれロシア政府に返さねばならない場所と明記もされた。


 なおイギリスには、参戦の報償として先の講和会議で割譲した領土や利権の幾つかが返還され、アクシス各国に対する賠償金も帳消しとされたに止まっている。

 フランスも今までヴィシー・フランスだったものが、領土はアルザス・ロレーヌ以外の全土が回復され、首都も正式にパリに戻った。


 そしてそれで我慢しなければならなかった。


 もっとも戦争終盤で援助に応じたアメリカの扱いを思えば、まだマシな措置だった。


 「赤色戦争」において、アメリカは結局宣戦布告することなく過ごしたが、この点をアクシス各国が非難したのだ。

 イギリスやフランスも、アメリカをかばう素振りを見せなかった。

 英仏にとってのアメリカも、結局は第二次世界大戦での裏切り者に近かった。


 他人のために血を流さない者ほど信頼は置けないというのが、国境を越えた普遍のルールだからだ。


 その点、今回ソ連との戦いで多くの血を流した日本は、アメリカよりも取りあえず頼りになるのではと、英仏などからも見られていた。

 だからこそ、シベリアでの利権も容認されたのだ。


 そして、「ソ連解体祭り」から結局ほとんど実質的なものを得られなかったアメリカの疎外感は増し、無償協力に応じたルーズベルト大統領と民主党の支持率はさらに低下した。


 何もしないまますべての戦乱が終息したアメリカは、外交での孤立化と内政の不安定さを抱えた数年間を過ごすことになり、いずれ短絡的な激発へと繋がっていく事になる。

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