親に捨てられたという仮死状態
*これは佐倉治加さま(サクラハルカさま)主催のご企画「クリスマスに死体ごっこ」参加作品です。
** 砂臥環さまよりFA頂きました。阪口信也15歳の図です。文中より4年後の姿となります。
by 砂臥環さま
息を切らせて神社に向けて走っていた。
「もう、いい加減にしなさいよ!」
クリスマスイブだというのに11歳になる息子が帰ってこない。
「折角ケーキ奮発したのに」
息子といっても自分が腹を痛めた子じゃない。先月養子縁組したばかりの、血筋でいけば異母弟。信也という。東京の父の元で会った時は明朗快活、元気な男の子の典型みたいだったくせに、京都に来てからの捻くれようにはついていけない。
「お父さんと一緒に暮らしたい」
あの子の心の中はこの一言で占められている。
父を知らずに育ち10歳で突如知らされたら、こうも執着してしまうものだろうか。
「あのね、私たちの父親って、あんたが思うほど立派じゃないわよ?」
何度言ってしまいそうになったか。
自分の幼い頃のアルバムを見せると、まだ若い父の写真を喰い入るように見つめて。私の日舞の発表会で、父が飛び入りで踊ったスナップを撫で、「アルバム借りてていい?」と上目遣いに訊いた。
それは今もあの子の部屋にある。
神主を勤める夫は「5時半定刻に普通に社に顔を出した」という。
毎日修業の名目で、二人で祝詞を唄い上げる時間を取っている。信也がうちに来たのは表向き、夫の跡継ぎとして神官になってもらうためだから。
親神官と弟子である夫と信也の間は、親子どころかまだまだぎこちない。
夫は滞りなく予定を消化した信也を送り出し、境内を見廻り社の戸締りをして帰ってきたのだった。
毎晩7時と決めている食事に、信也が現れない。自室にもいない。
ピアノが上手いから知り合いのピアノ教室で弾きまくって時を忘れたことは過去にあったが、「今日は来ていない」とのこと。
となると、あの子の隠れ家を見てくるしかない。神社の敷地外れにあるお茶室だ。
辺りはもう真っ暗闇だというのに。
自宅から5分も走ると神社の裏手、お茶室は生垣の中すぐそこ。見慣れているのに懐中電灯で照らすと影が妙な形を作る。
「信也、いるの? ローストチキンとケーキが待ってるのよ、イブなんだから」
勝手口から入り流し場の電気を点けた。
水屋のある結構広めの板の間と四畳半のお茶室。仕切りの襖を開けると、炉の周りに信也がバナナの皮のようにだらりと側臥していた。
10月末に11歳になったばかりとはいえ、信也は縦も横もしっかりある頑健な身体つきをしている。床に転がっている姿を見下ろすと、「思ったより長い」という奇妙な感慨が浮かんだ。
「信也、寝ちゃったの? 風邪ひくわよ」
膝をついて覗きこむ。
反応が無いので肩を揺すった。体温はあるから死んではいない。どんなに悩んでも自殺はしない。お父さんに会いたいのだろうから。
養子に来た途端は「あのひとに捨てられた」と泣いていたが、「大きくなったら絶対会いに行く。どうして追い出したか問い詰める」と心に決めているのが感じられる。
信也と自分はよく似ている。活動的で外交的、飽きっぽくていつも何かのめり込めるものを探している。この子の場合大抵音楽だ。
そのくせ心は傷つきやすくて、周囲の思惑を敏感に察知する。30歳になった自分は他人が作る軋轢をかわすなりいなすなり対処できるようになったが、この子はまだまだ悩んでいる。
つらいことがあると、電池の切れたロボットのように動けなくなる。
名ばかりの母親になった自分は、息子に触れていいものかどうかわからない。せめて姉弟として一緒に暮らした経験があればこれほど緊張せずにすんだのに。
信也は自分を「姉さん」と呼び、夫を「父さん」と呼ぶ。実父は「お父さん」だそうだ。
こんな危うい関係性の中、11歳の男の子の身体のどこは触ってよくてどこはいけないのか、悩む自分が情けない。
額に手を当て手首を掴み脈を診た。平常。板の間からのぼんやりとした灯りを受け、唇がほんの少し緩んだのを見た気がした。思いきって胸元をくすぐってみた。
「起きろ〜。ショートケーキが溶けて無くなるぅ〜」
この子の悲しみに同調しちゃいけない。実母にも実父にも捨てられたと思いたがるこの思春期突入男子を繋ぎとめるのは私。姉弟としてでも笑い合えるならそれでいい。
「ぶほっ。やめてやめて〜」
寝たふりからやっと信也は起き上がる。表面的でも笑顔なら安心だ。
「何だったのよ? お腹すいてないの?」
「すいてる。ローストチキン食べる」
走ってきた道をふたりでゆっくり歩いた。
「学校でね、死んだふりが流行ってんだ」
「死んだふり? 一人でやっても仕方ないでしょ」
「そうなの」
信也は二歩進んでから、
「だから学校ではしない」
とセンテンスを終えた。
先月転校してきて、京都弁にもクラスにも馴染めていない。中学から私立に行かせた方が本人も楽だろうと思う。
「かくれんぼと一緒なんだ。鬼が探してくれるから隠れていられる。ほっとかれたら出て来れない。死んだふりも同じ、起こしてくれる人が要る」
またこの子は何を感じて何を試したんだろう。
「やってみたかったの?」
「うん、まっね。やってみたらね、どこ触られるかちょっとドキドキした」
「バカ言わないの!」
私は真っ赤になったのが感じられて、暗闇でよかったと思ってしまう。
信也はしらっと話し続ける。
「去年のクリスマスイブはお母さんが迎えに来て千葉に行ったんだ。終業式だったから」
「そう、楽しかった?」
「うーん、びみょー。堀内さんと僕合わないし」
「あんたと合う人少ないんじゃない?」
「姉さんだって」
生意気な発言が可愛いのが信也だ。
実母の結婚相手、堀内さんを父さんとは呼べずに、今度は私の夫を父さんと呼ぶ努力をしている。不憫だが本人は何とか薄く笑顔を浮かべて話す。
「なんかいろいろあったなーって」
「そうね。激動の一年だったわね、あんたにとって」
「うん。堀内さんに腕時計もらってお母さんの第九コンサートに飛び入りした」
信也が直近のつらかったことはわざと避けて一年前の年末を語る。
「第九を弾いたの?」
「ううん、アンコールで皇帝とアニメの混ぜこぜ。子供がいっぱい来るからって前もってお母さんと打ち合わせして練習した」
皇帝はベートーベンのピアノコンチェルトだ。
ピアニストのお母さんと信也、二人の間は切っても切れない。一緒に暮らしていないだけで、週一の電話で判り合えてしまう。ピアノで話ができる。そこへ自分が割って入ろうとは思わない。
「姉さん」でいい。信也が楽な生き方を見つけて笑っていてくれるなら。
「去年のイブの夜はサンタさんに来てほしいと思った。お父さんがサンタさんのカッコして僕に会いに来てとお祈りした。誰だか知らなかったのに。今年は、お父さんが誰だかはわかるのに、来てもらえないって知ってる。どっちがいいかわからない。僕が死んだふりしてもお父さんは来てくれない」
「どうせ私じゃがっかりよね」
俯きながら家の前で語り終えた信也に私はふくれて見せた。
「でもね、あんたのお父さんは私のお父さんなのよ。あんたのやることなすこと言いつけちゃうんだからね」
信也はくいっと顔を上げて火傷を掴まれたような顔をした。
「だめ……だよ、あの、ひとは……、僕のこと……」
バカなことを言い出しそうで遮った。
「要らないとか捨てたとか言うんじゃないわよ? 何であんたが私と一緒にいると思ってるの?」
「わかんない。もう、何もわかんないんだよ。全部わかったと思ったのに、みんな壊れちゃったんだ」
「壊れてないわよ。あんたは苺のショートケーキが好き。お父さんも一緒。クリスマスイブに死んだふりするような人騒がせなとこもみんな一緒」
「お父さんも人騒がせ?」
「そうでしょ、人騒がせでなかったらあんた生まれてないでしょ? いい歳してあんたのお母さんに惚れちゃうなんて」
信也はやっと嬉しそうに笑った。
「人騒がせ繋がり?」
「そうよ、お父さんの人騒がせな部分がぎゅっと凝縮してあんたになったの」
「ぎょーしゅく?」
信也は知ってそうな単語を知らなかったりする。
「うん、凝り固まったの。牛乳が生クリームになったみたいに濃いの」
「僕のほうが濃い?」
「そりゃあもう。あんたは人騒がせな部分しかないじゃない」
玄関の引き戸を開けた。
「さ、早くご飯にしよう? ケーキが待ってる」
「神官さま……、父さんも……待ってる?」
「もちろん。早くしないと怒られちゃうわよ」
中に入ろうとした私の背中に声がぶつかる。
「だからねっ」
その語勢に振り向くと、信也の顔は切羽詰まってまるで怒っているかのように見えた。
「死んだふりは自信がないとできないの。ちゃんと来てくれるっていう自信がないと!」
これが今のこの子の精一杯なんだな、愛しいなと私はただ頷いた。
「うん、生き返らせに来てくれて、ありがと……」
うなだれた信也は私の横を抜け、顔も上げずにズックを脱いだ。