99:私と我の始まり
反発する光が捻れ渦巻く輝き。それが収まった後にあったのは闇であった。暗闇の中さらに何かしらを被せることで閉ざされた視界の中、私はせめて覆いを剥がそうと思う……が、思っただけで体は身じろぎひとつできない。決してきつく拘束されている風でもないというのに、なぜか。
そんな疑問と困惑を抱えていると、ガラガラと音を立てて落とし戸が持ち上げられる。
「ホントに貰ってくからな、今さらやっぱ無しはイヤだぜ爺ちゃん」
「言わん言わん。しかしお前も物好きだな、こんな古いのを、中古にしたって、もっと新しくて性能の良いのを買えばいいものを……」
ウキウキと弾んだ若い男の声と、呆れと感心とが半々になったような年配の声。どちらも私には聞き覚えのない、知らない人の者のはずだ。だがどうしてだろうか、不思議と安心感を、懐かしさを感じる声なのだ。
「そりゃ色々面倒はあるだろうけどさ、俺はコレが好きなんだよ……っと!」
そして勢いをつけた声と共に、私の車体を覆うものが剥がされて光が溢れる。
「コレコレ、リトラ! リトラクタブルヘッドライト! 車体に出し入れしちゃうこの手のヘッドライトのって、不便さが勝つからってもうどっこも作らないんだもんなぁ! 残されてる古いの探すしかないんだもんなぁ!」
一瞬の眩しさが収まったころには、青年がボンネットに飛び付いて車体にほおずりしている。その勢いには正直ちょっと引いた。引いたがしかし、嫌ではない。むしろ懐かしささえ感じて嬉しくすら思う。黒髪黒目のこの青年の顔も、彼の祖父だと言う白髪のご老人も、私は顔を知らないはずだというのに。
「いやでも爺ちゃんが残しといてくれてよかったぜ! そもそもが爺ちゃんの運転してたコイツが好きで、俺も欲しかったもんだからなあ。おかげで惚れ込んだコイツそのものがもらえたわけだから、どう転ぶか分かんねーよな」
私がそんな不思議な感覚を噛み締めている一方で、青年は私に匂いつけでもするかのような風にベタベタと。そんな孫を白髪のご老人は「物好きな奴め」と苦笑を浮かべ眺めている。
「一応手入れはしてきてはいるから、これでも多分大丈夫だとは思うが、それでも乗るなら整備点検は一通りやってからにしろよ。今回の分はこっちもいくらか出すが、それでも乗り続けるとなると高くつくぞ? 古いことには違いないからな」
「その辺は覚悟のうちさ。まあ手に負えるうちは何とかし続けるよ」
そんな孫の言葉にうなずいて、ご老人も目を細めて私の車体を撫でる。柔らかく私の車体に向いたその目は、しかしどこか私自身よりも深く遠いなにかを眺めているかのようだ。
「そうかい。こいつもこのまま埃を被って錆び付くよりかは、もう一走りくらい出来た方が幸せだわな。労りながら乗ってやってくれ」
「任せてくれよ! 俺のご老体への気づかいは爺ちゃんだって知ってるだろ?」
「ぬかしおる、ハハハッ!」
そうして青年が私を祖父から受け継いだ光景の次に出てきたのは、知人の自動車工に無理な注文を重ねて、私を隅々まで改修整備しているところであった。
だが改修の末に乗り回せるまでに持って行った後も、交換の必要なパーツが出てきたり、そのパーツの調達に時間と費用を持っていかれたり、走行中にライト回りで違法改造車呼ばわりされたりと、受け継いだ青年にかけた手間や面倒の数々を見せつけられた。
「しかし覚悟はしてたけど、次から次へホントに手間がかかるヤツだぜ、コイツはよ」
その度に彼の口からはこんな愚痴がこぼれるのだ。が、そうは言いながらも、彼の顔はいつも心底から苦み走ったものではなく、どこか楽しげに微笑んですらいた。
そんな青年の奮闘記も落ち着くと、彼を運転席に乗せて走っている様子が主となる。
走るといってもその時間も目的地も様々。明るいうちにしっかりと予定を組み立てたドライブの時もあれば、真っ暗な中を衝動的に駆け回ることも。
そうやって私がタイヤで蹴るのはほとんどがアスファルトで舗装された路面だ。こんなに整えられた地面を私は鋼魔の占領域以外では見たことが無い。そして、その路面の脇に立つ人の住む家屋の作りに至っては見たことが無い。
一目に民家と分かる一戸建てというのはあるにはあるが、まるで城の一棟のように大きく整ったものが並んでいる景色を私は知らない。そんな人の暮らしているだろう建物が並んでいるということは、アスファルトの舗装路を当たり前に歩いているのは人なのだ。魔獣の襲撃を、ましてや鋼魔の攻撃も警戒することも無く、城壁などないのに、どこに居ても防壁に囲まれた内にいるかのように日々の生業に臨んでいる風で。
しかも私と同じようにアスファルトの舗装路を走るのは私と同じく車輪と鋼のボディを備え、人や荷を乗せた車両たちだ。唐突に変形して人々に襲い掛かることも無く、粛々と人々の足として働いている。
こんな景色は知らない。鋼魔の占領下にしか無いだろう道の敷かれた土地に無数の人々があたりまえのように暮らし、私と同じ車にありふれた景色など、私の生きる世界にはない。
なのに何故だろう、こんなにも懐かしいのは。こうして人々が、強大な脅威にさらされずに平穏に暮らしていることこそが本来だと、当たり前の形のはずだろうにと思えてしまうのは。
―なんなんだこれは……? ライブリンガーの記憶だとでも?―
―これが殿の失った? こんな平穏の中に殿は暮らしていたと?―
突然の聞き覚えのある声に驚いたが、グリフィーヌとはマキシマムウイングとなって一体に、ロルフカリバーとも直接接触からの深い同調を成している。巻き込まれて、私以上にこの景色に困惑していても、なるほどというところだ。
―そうなのかもしれないが、私自身も覚えがないことだからね……―
我が事ながら明言しきれないことに、もやもやしたものを感じながらも二人に応える。
自分のものだと言う確たる実感がないからだろうか、過去を覗かれている気恥ずかしさよりは、誰かのアルバムなりホームビデオの上映会に参加させられているような感覚、が近いだろうか。しかしスッと出た例えだがこれも私たちの生きる世界、ヤゴーナ大陸の世界には現存していないものであるし、実体験の無いものだ。そんなものを思い付く辺り、やはり今見せられているこの景色が、私が忘れてしまった故郷の景色である、ということなのだろう。
そんな思考を巡らせている間にも、私の車体は青年の運転によって様々な時と場所で走っている。しかし彩りのバラエティに富んでいるのは外側の明るさと場所ばかりではない。私の内側もまたその時々でまるで様子が違う。
流す音楽に合わせ、鼻歌交じりにハンドルに指を弾ませるような軽やかな時もあれば、急ぎ足に赤い色の待ったをかけられ、苛立ちのリズムを刻む時も。
ある時には酔ってふらついた知人を後ろに乗せ、その……盛大な粗相の後始末に、二度と乗せてやるものかと愚痴りながらも、結局はまた同じようにふらふらの知人たちの足役をやったり。時には隣に同じ年頃だろう女性を乗せて、ハンドルを握る手を強ばらせていたり。ある時には窓の外の景色に愕然として、その嘆きを叩きつけるようにアクセルを蹴飛ばしたり。またある時には私のかつての持ち主だった祖父を乗せてのんびりと流れる景色を楽しんだり。そんなハンドルを握る青年の心も、相乗りする人たちも様々だ。
―しかし、なんだな……ライブリンガーのハンドルを握るあの青年、どこかビブリオに似ているような……―
―そう、かな?―
―奥方もですか、拙者も同感です。こう顔の形がーというわけでないのですが……雰囲気といいますか、それがどことなく。殿に近しいから、でしょうか―
彼とビブリオに相通じるものを感じる。と言うなら分かる気がする。もし似たような年頃だったらしっかりと反りが合うか、逆に近すぎて反発する。そんな何となくなイメージが私の中にも出来上がる。
「じゃあ爺ちゃん、またコイツの具合見せに来るからさ。それまで達者でな」
「ああ。しかしお前も気を付けろよ。最近はホレ、たちの悪いのがニュースでもよくやってるだろう」
「あー……あおりの。ああいうのどこにいるか分かんないし、何で目をつけられるか分かったもんじゃないからね。まあ見るからにやばそうなのには近づかないようにしてるから」
青年は心配しないでよと笑って、祖父に別れを告げて私を発進させる。この姿に私ははっとなって待ったと声を上げる。だが再生される記憶の中の私はだんまりだ。ブレーキ操作も受け付けず、青年のハンドルとアクセルに粛々と従って高速道へ。
―ダメだ! その先はダメなんだ! 行ってはいけないッ!!―
―どうしたライブリンガー!? この先で何が、これから何が起こるというんだ!?―
―このまま彼を行かせてはいけない、いけないんだ! この道にはとんでもないヤツが……!―
そうだ、これまでにもネガティオンと繋がる前に見せられていたあの悲劇が、グシャグシャになって燃える私と、その中で失われた大切な命! ここからあれに繋がるんだ!?
それを分かってしまった私は、なんとか機体のコントロールを得ようとするも、なんの手応えもない。この歯がゆさと焦りの中で、悲劇を避けようとあがく私を嘲笑うかのように、後ろから一台の白い車が急激に追い上げてくる。
「なんだぁッ!?」
クラクションもけたたましく追突すれすれの勢いで背後に迫るモノに、青年は慌てて私を加速。衝突を避ける。しかし事故を避けたのも束の間、後ろから煽った白い車の運転手は、私のバックミラーにニタニタとした嫌らしい笑みを映してハンドルを切って横付けに。そして今度は横付けに速度を合わせた車体をジリジリと寄せてくる。
「なんてこった! 最悪じゃないかッ!?」
執拗なクラクションと共にガードフェンスとの間で挟もうと寄せて来る煽り車を横目に、青年は毒づきつつ私を加速させ、事故必死の配置から抜け出す。だがそうすれば待ってましたとばかりに白い煽り車は後ろから唸りを上げて追い上げてくる。
「ホラホラどうした、逃げてみろよ? 下手くそなクセしてレトロ趣味丸出しにカッコつけやがって、下手くそはそのブリキと一緒にメタルの屑になっちまえよ!?」
そして一番マシなのでこの程度な罵詈雑言をクラクションと共に怒涛の勢いで浴びせては、危険な追い上げや幅寄せを繰り返す。
度重なる事故すれすれの状況に、私の中の青年は恐怖し、憔悴した様子を見せる。だが煽り車の運転手はやつれた青年を見ても罪悪感を感じるどころか余計に嗜虐心を燃え上がらせ、指さして嘲笑う。
―なんと卑劣な! 許せんッ!!―
その有り様にグリフィーヌが義憤に駆られて手を下そうと息巻く。私としても正直ゴーサインを出してしまいたいところであるが、どうにもならない。
そして青年を乗せた私の車体は運命の時を。前方に回り込んだ煽り車をかわすのに誤り、ガードレールを破って槍のように木々の並んだところへまっ逆さまに落ちていく。
ガードを破った時で歪んだ上に、落下でなお深くひしゃげた私はそのまま炎上。燃え上がる私の中の青年は、墜落の歪みに急所を押し潰されたことで、すでにこと切れてしまっている。
―なんという……なんということを……ッ!!―
理不尽に奪われてしまった命に、グリフィーヌから無念の思いが溢れてくる。同じくこの惨劇を見せつけられているロルフカリバーからも、言葉にならない悲哀の思いが。仲間たちの義憤と哀悼はありがたい。だがやはり我が身に起こった事なのだと実感してしまうと、慚愧に堪えない。そして同時にこの大きな喪失に思う。
「今度こそ、かけがえない大切な存在を、命が失われぬよう守らなくては……」
―我からかけがえない大切な存在を奪ったモノは、人間どもはやはり生かしてはおけん……!―
私の新たにした決意と同時に響いた、相反する憎悪の言葉。
この声には聞き覚えがある。あるが、まさかそんな……。
信じられない思いを、考えすぎだと否定しようとする私から、毒々しい緑色の塊が離れる。……いや違う、離れているのは私の、私たちの方だ。私たちオレンジ色の輝きが、巨大な緑色の憎しみの炎から切り離されているのだ!
「ネガティオンッ!?」
私たちの見る前で白い鋼の鎧を纏い、大きな人型になっていく憎しみ。これがなんなのかを悟った瞬間、私の視界はまばゆい朝焼けに閉ざされるのであった。




